第三幕
目が覚めると、部屋には暁治一人だった。時刻はそろそろ明け方ごろだろうか。布団から手を出して、隣の窪みを触ると、まだ温かくてほっとする。
起きようとして、シーツに残る残り香に気づき、昨夜のことを思い出して一人悶えた。もしかして、と思う。まさかこの部屋で寝るたびに思い出すんじゃないだろうな。
かといって、居間で致しても同じだったろう。暁治は吐息をつくと、頭を切り替えようと目を閉じた。
「おはよ~はる、ちょうどご飯できたよ」
ひょっこり。扉が開いて、朱嶺が顔を出した。まさか彼が目が覚めたのに気づいたのだろうか。あまりのタイミングのよさに、暁治の目が丸くなる。
どうやら朱嶺はご機嫌らしい。クリスマスプレゼントにと、キイチが嫌がらせで買った、ピンクのフリフリエプロンを着て、お玉を持っている。字面だけだと新婚ほやほやの若妻のようである。
嫌がらせは本人にまったく効力はないが、周りへの視覚の暴力は健在だ。変に似合っているところが余計に。
「今朝はなにを作ってくれたんだ?」
「えっとね、雑穀ご飯としじみのお味噌、白菜のお漬物とにんじんのシリシリ、メインはおっきなホッケの開きだよ。愛情たっぷり込めて作ったからね」
「ふむ、味噌汁とホッケの開きは、後で温め直せばいいな」
「え、そりゃ後からなら――」
きょとんっと、目を瞬かせた朱嶺の腕をつかむと引き寄せる。腕に囲って布団の中へと引き込んだ。
「なんだよお前、冷え冷えじゃないか」
「って、そりゃさっきまで台所にいたし」
暴れた拍子にお玉が部屋の隅に飛んだけれど、暁治に頬をすりすりされて大人しくなった。美味しいものをいっぱい食べて、栄養が行き届いているに違いない、もちもちの肌だ。
「もぉ」
背中に手を回して、ぎゅうと抱きつく。口を尖らせてみてはいるが、日ごろスキンシップ欠乏症ゆえに長続きしない。腕の中で暁治の胸に耳を寄せると、少し早い鼓動が聴こえた。ほにゃりと朱嶺の頬が緩む。そのため聞き逃してしまった。
「一人になりたかったんだよなぁ」
「なぁに?」
首をひねると、暁治が視線を下げて朱嶺を見た。珍しく機嫌がいいのか、口角が弧を描く。
「いや、ここに来た理由だよ」
「うん」
「あっちで色々あってさ。しがらみとか全部、嫌になってここに来たんだ。一人になりたかった」
「そうなんだ?」
「だから最初は苦手だったんだよな。お前のこと」
「えぇ、そうなの!? 僕のこと迷惑だったの?」
「すっごい迷惑」
「えぇ!?」
「って思ってた、最初はな」
じたばたと暴れる赤い髪を押さえ込むと、なでなでと頭をなでてやる。
「でもなぁ、やっぱ今はいいかな」
触り心地いいし、なによりこの季節、温かい。
「俺結構冷え性だからなぁ、お前あったかいだろ」
毛並みもいいし。赤くてふさふさ。
「はる、僕をわんこと間違えてない?」
「犬はもう少し可愛げあるぞ」
「もぉ!」
ぺしぺしとおでこを叩かれて、暁治が失笑した。ついで声を立てて笑う。
「嘘うそ、お前がいないと寂しいよ。家の中で灯りが消えたみたいだ」
明るくて騒がしくて。いないと寂しい。毒されてる気がしないではないが、彼がいない人生なんてつまらないと思うほど。
ぎゅうと、温かい身体を抱きしめる。朱嶺はぴくりと震えたかと思うと、おずおずとまた背中に腕を回した。
「ほんと?」
「ほんとほんと」
よしよしと頭をなでてやると、複雑そうな表情が浮かぶ。
「なんか騙されてるような気がするんだけど」
「気のせい気のせい、好きだぞ朱嶺」
「僕も大好き!」
あっという間に機嫌が直ったようだ。こいつ、こんなに単純で大丈夫なのだろうか。自分を棚上げして、心配になる暁治だ。
「えへへ、そうだ、実は僕、はるにまだ言ってなかった言葉があるんだ」
「ん?」
もじもじと、しかし期待に満ちた眼差し。伸びてきた両手が、暁治の両頬を包み込むと、こつんっとおでこが合わさった。
「ほんとは僕らの再会の日に、言わないといけなかったと思うんだけど」
「なんだ?」
すぐそこにある朱嶺の瞳を覗き込む。そこに映る自分を見て、我ながらこんなに優しい顔もできるのだと、ひとつ発見してしまう。
そうだ、彼といるといつもなにか新しいことを見つけているような気がする。それは暁治にとって、目には見えなくても、きっととても大事なもの。
朱嶺はゆっくりと言葉を告げた。その言葉に、暁治も口を開く。お互い笑い合うと、優しい時間ごと、相手を抱きしめた。
「はる、おかえり」
「おぅ、ただいま朱嶺」