大きな愛情のかたまり
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 急いでカフェへ向かうと、店内には志織と見慣れた常連、初めて見るイケメンがいた。
 店の扉を開けて立ち止まっている雄史に、志織は不思議そうな表情を浮かべる。

「雄史?」

「はっ! すみません! 志織さん、ただいまです」

「ああ、おかえり」

 かけられた声に我に返って雄史はいつもの挨拶をする。
 その言葉を聞いて、志織も安心したように柔らかく微笑んだ。

「あれ、高塚くん。最近は朝に見かけないから、加納くんに追い出されたのかと思っていたのに、違ったみたいだね」

「く、さん! 酷いです! 俺は志織さんの迷惑にならないために」

 カウンター席に座っていた一人、老齢の男性は常連の久野。
 白髪だが昔は大層モテていそうな顔立ちをしている。定年を過ぎてから、志織のカフェでコーヒーを飲むのが趣味だとか。

 会うたびこうして雄史をからかってくる。
 いじり甲斐があると意地悪されるものの、根は気のいいおじいさんだ。

「引っ越しするんだってねぇ。ほら、高塚くんがお待たせしていた彼。仕事のできるイケメンくんに挨拶しないの?」

 久野と並んで座っていた男性は志織と同じか、少し年上に見える。
 皆と一緒にこちらを見ていて、視線を動かしたらにこやかに微笑まれた。

 座っていてもわかる足の長さ。彫りの深い顔立ちは、西洋系の血が流れているのではと思える。
 志織と並べて見ると、和風の凜々しい男前と洋風の王子さま系紳士で、なにやら周りにキラキラと光が舞っていそうだ。

 自分では似合わないだろうデザインの、シャツやスーツがバシッと決まっていて、雄史は気後れした。

「えっと……た、高塚雄史と言います。今日はわざわざ時間をいただきまして」

「ふふっ、噂に聞いてたとおりわんこ系だな。可愛い」

ひようどう、そうやって獲物を品定めするような視線で雄史を見るな」

 ゴツッと、珍しく乱暴にグラスをカウンターに置く志織に、兵藤と呼ばれた男性も久野もニヤニヤしている。
 状況のわからない雄史だけが首を傾げた。

「雄史、ここへ座れ」

「えー、加納、それはないんじゃ。なんで一個、席を空けるのさ。これからじっくり二人でお話しするのに」

「確かに物件の話をしてもらうが、雄史にむやみやたらと近づくな」

(知人とか言っていたのに、志織さんと兵藤さんは仲良くないのか?)

 とりあえず雄史は志織に言われるまま、指定された席に座る。
 そのあいだ、席一つ向こうにいる、兵藤の視線はずっと雄史についてきた。

「雄史、なにを食べる?」

 落ち着かない気持ちでへらりと雄史が笑えば、突然あいだを割るようメニュー表が立ち塞がった。
 普段はメニューなんて差し出されないので、先ほどから雄史の頭では疑問符が飛び交っている。

「志織さんの今日のおすすめで」

 若干不機嫌に感じる志織の表情にも戸惑わずにいられない。
 おずおずと希望を言ったら「わかった」と言いながら、頭をめちゃくちゃ撫でられた。

「ぶはっ、加納の嫉妬とか初めて見た」

「え? なんで志織さんが嫉妬するんですか? え? もしかして兵藤さんって元カ――」

「違う。あり得ないから変な勘違いをするな。はあ、狙われてるのはお前だぞ」

「ほんとにノンケを落としたんだ。全然わかってない顔が可愛い」

 頭が痛いと言わんばかりに額を抑える志織と、なんだかやたらと楽しそうに腹を抱える兵藤。
 ぐるぐると頭の中で情報を整理し、雄史は拳を握りしめて力説した。

「俺、志織さんが好きなのであって、イケメンが好きなわけじゃないです! 兵藤さんは格好いいですけど、志織さんみたいに、常に抱きしめたくはならないです!」

「んー、加納? あんた、このわんこちゃん相手にネコやってんのか?」

「プライベートに干渉するな。お前は仕事をしろ」

「はー、そう、あんたがね。そこまで本気なら、僕なんぞに頼ってくるはずだよな」

 カウンター内の調理場で黙秘したまま、料理を始めた志織に対し、意味深に目を細めて薄笑いする兵藤。
 微妙な空間に雄史はそわそわとした気分になる。

「あの、兵藤さんって、志織さんとどういうお知り合いですか? 不動産関係の人じゃ」

「ああ、不安にさせたかな? 僕はれっきとした資格持ちの本職だよ。はい、これ。兵藤ゆきなりです、よろしく。加納とは高校時代からの付き合い。悪友的な?」

「あ、どうも」

 名刺を差し出されて、ついいつもの癖で雄史は名刺交換をしていた。
 不動産賃貸・仲介販売の会社社長という肩書きがあり、裏を見るとずらりと取得した資格が記載されている。

 普通はここまで資格を持っている人はいないけれど、どれもこの仕事をしているならば、持っていて損のないものばかり。

「晩ご飯ができる前に少し話をしようか」

「は、はい」

 ちらりと志織を見ると黙って頷いたので、雄史は兵藤の言葉に従うことにする。
 足元に置いていた彼の鞄から取り出された書類。数枚の紙にはそれぞれ物件の詳細が書かれていた。

「僕のおすすめはここなんだけど。いまはまだリフォームの最中でね。明け渡せるのはおそらく十月末か、十一月初めかな。ほかはこれから広告に出すところだったから、すぐにでも平気」

 紹介してくれた物件は、どれも雄史の提示している条件内。
 おすすめの物件は駅から少し離れているが、昨夜ちょうど範囲を拡げても、と思っていたため条件に合っていると言っていい。

 物件探しを始めてひと月近く。毎日の苦労はなんだったのかと思うほど、完璧に希望どおりなのでひどく悩ましい。
 いまある物件でもいいけれど、ただやはりリフォーム中の物件がとても気になる。

「ここはね。いままで二部屋にキッチンの2Kだったんだけど、広いワンルームになる予定。でも可動式の仕切り戸で間仕切りは可能」

 じっと食い入るように見ていた雄史に気づいたのか、兵藤が細かく説明してくれた。

「あのー、こんなにいい物件、本当に条件内の家賃で大丈夫なんですか?」

「ん? いいよ。今日提案したのは全部、僕の持ち物件だから」

(ということは――おそらく本来こんな金額で貸し出していない物件だ)

 顔を青くした雄史が再び志織を振り返ると、またもや黙って頷かれてしまった。彼も了承済みなのだろうが。

(見返りもなく、ここまでいい物件を出してくるものなのか?)

「雄史、気にしなくていい。そいつには俺の父親が経営している店のケーキを、三ヶ月間はいつでも用意する、で手を打ってある」

「いやいや、志織さんのお父さんって、すごく有名なパティシエさんでしたよね? そこのケーキって一個でも結構な値段で、三ヶ月いつでもとか!」

「心配はいらない。父にも交渉済みだ。俺に負担はほぼない」

「絶対、嘘です!」

「……雄史、これはいま一緒に暮らしてやれない、俺からのせめての気持ちだ。黙って受け入れろ」

「志織さんっ、ずーるーいー! ずるいです!」

 うわーんと大げさに雄史がカウンターへ突っ伏せば、ぽんぽんとなだめるみたいに頭を撫でられる。
 スマートな志織の対応と、あまりの男前ぶりに完敗して、さらに愛されているのを実感すれば、太刀打ちができない。

「あー、なるほど。よしよしして、甘やかしてやりたくなるタイプね。したいってねだられたら、さすがのあんたでもほだされるのはわかる」

「兵藤、雄史に変なちょっかいを出すなよ」

「そんなに怖い顔をしなくても、割り入る隙がない。僕は人の幸せを壊したい性格じゃないし。久野さん、糖分過多になる前に、僕たちは退散しましょうか」

「そうだねぇ、そろそろ胸焼けがし始めたところだよ」

「それじゃあ、高塚くん。また後日ゆっくり話をしよう! よく検討してもらえたら嬉しいよ」

 意気投合した兵藤と久野は会計を済ませて、さっさと退店していった。
 飲みに行こうか、などと話していたので、性格の相性がいいのかもしれない。

 彼らの後ろ姿を見送った雄史は、ようやく落ち着いてご飯にありつく。
 本日の晩ご飯はトロトロ卵のオムライス、ビーフシチュー添え。
 オニオンスープも旨み満載で美味しい。

「雄史はどの物件がいいんだ?」

「兵藤さんのおすすめ物件が気になります」

「駅から一番遠い所?」

「はい、遠いと言っても二十分弱なので、自転車もあるし。徒歩でもたぶん通勤時間、いまの家と変わらないです。それにここが一番、近いです」

 そう、駅からは確かに一番遠い。ただしカフェには一番近いのだ。
 ほかの物件は駅には近いけれど、商店街側ではないので、駅の反対出口ばかりだった。

 その点、おすすめ物件は駅から二十分でも、カフェとの行き来はおそらく片道十分程度のはず。
 雄史が駅と志織を選ぶなら断然後者だ。

「これから色々手続きを、と思えば時期もちょうどいいです」

 退去の連絡も一ヶ月前までか二ヶ月前だったか、再確認をしなければいけない。
 長く住んでいたので、要らない物も増えていそうだから、断捨離も必要だろう。

「志織さん、わざわざ兵藤さんに声をかけてくれて、ありがとうございます」

「いや、俺のためでもあるし」

「え?」

「雄史が変な我慢をして独り寝が寂しいしな」

「ふぇ、えー!」

 思わぬ志織の発言で、スプーンですくったオムライスが、口に入る前に皿へ滑り落ちた。

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