会いたい会えない
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 なぜあれほどまでに、ショックを受けたのだろう。冷静に考えてみると、自分の慌てふためき方は、異常だったのではないか。
 男性に、同性に告白をされたから、と言うだけでは済まないような。

 志織からの思いがけない告白に、しばらくその場で固まったあと、雄史は激しく取り乱した。フォークを取り落とし、紅茶をひっくり返し、大好きなケーキにさえも手が伸びず、喉を通らなくなるほどに。

 穴があったら入りたい、と思えるほどの醜態だったが、なによりも動揺させたのは、そんな雄史を見た志織の悲しげな表情だった。
 結局言えたのは――少し考えさせてください、の一言だけ。

 それはただ時間をおいて冷静に考えたかった、と言う意味だった。
 けれども落ち着いて振り返ってみれば、相手に一線を引くような答え方だったのではないかと、不安にもなる。

 さらには断りの常套句のようにも思えてしまい、言葉を取り消したくもなった。困ったように笑い、小さく頷いた彼のことを思い出すと、心臓をきつく握りしめられたような痛みすら覚える。

 告白を受けて、雄史が感じたのは驚きと戸惑い、それだけだ。嫌悪や否定的な感情は浮かばなかった。
 にもかかわらず、考えるたびにあの人が、あんなにたくさんのものに恵まれているような人が、自分などを、と思って気持ちが定まらない。

 冗談だよ、そう笑われても、そうか――と、信じてしまえるくらいに、現実味がなかった。

 それでもそんなことを冗談でも言わないのが、志織だとも思っていた。あの人は決して軽薄な人ではない。
 だからこそ、はっきりとした答えを出したいと考えていた。まっすぐと向き合って、答えを出したい。

 ところがあれから数週間も過ぎているというのに、雄史はまだ彼になに一つ伝えられずにいた。

「もう、なんでこんな時に限って忙しいんだよ。ああーっ! 忙しい、忙しい、忙しいー!」

 ぼんやりとしていた自分に気づくと、ふっと現実が目の前に広がる。その瞬間、苛立ち交じりの声が出た。
 いまいるのは会社の自分のデスク。積み上がったファイルを、思いきりなぎ倒したいような気分になっていた。けれどそれもできなくて、勢いよくキーボードを叩く。

 静かなフロアの中では、同じようにキーボードを叩いている音が聞こえている。忙しいのは自分だけではないから、一人で文句を呟くしかできない。
 大雑把な性格ではあるが、元より真面目な雄史は、仕事を後回しにするという選択肢を持っていなかった。

 それなのに苛々しているのは、カフェに――志織に、会いに行けていないからだ。

 梅雨の頃から四ヶ月も通い詰めていたのに、行かない週などなかったのに、一ヶ月近くもあの人の作るものを食べていない。
 あの人の声を聞いていない。

「この苛々は癒やしが足りてないからだ。おいしいもの食べてないからだ」

 もうコンビニのおにぎりは食べ飽きた。食堂のご飯だけでは味気ない。栄養補充するだけの野菜ジュースも飲み飽きた。時間が足りない、癒やしが足りない、おいしいものが足りない。

 ――あの人の笑顔が、足りない。

「志織さんに会いたいなぁ。でも返事、返事も考えなくちゃ。俺、そういう意味で、好き、なんだろうか」

 この自問自答はこれで何度目かと、思わずため息がこぼれる。小さな嫉妬をするくらい、固執していたのは間違いはない。けれどまだ雄史の中で、親愛の好きと、恋愛の好きが定まっていなかった。

「好き……好きか嫌いかって言ったら、迷わず好きって言えるんだけど。んー、考えるより会えばわかる? ああー、だけど返事の前に、この仕事だよな。いつになったら会いに行けるんだろう」

 冷静になってから、ちゃんと気持ちが決まったら、会いに行こう。そんなことを考えているうちに忙しくなり、そのままどんどんと時間が過ぎてしまった。
 そのあいだに来ないのかと、メッセージは届いたけれど、忙しくて、と返したきりだ。

 まるで会うのを避けるための、言い訳に聞こえる。しかしそう思われているのだろうとわかっていても、行きますと返せるだけの暇がないのだ。
 時間がない、時間が足りない。

 それを考えるだけで苛々が増して、キーボードを打つ音が激しくなる。気を紛らわすように雄史はガムを数粒、口の中に放り込んだ。

「おい、高塚。……おいってば!」

 青白い画面を睨み付けてどれほどか、ふいに肩を叩かれた。それに気づいて雄史が肩を跳ね上げると、小さなため息が聞こえてくる。慌てて振り向けば、部署の先輩、吉田が後ろに立っていた。

「なんですか? 追加ですか?」

「そうじゃなくて、お前、もう帰れよ。ちょっと家に帰って、ゆっくり休んだほうがいいぞ。なんかこのところ鬼気迫るような感じだし、苛々はピークっぽいし、顔色も良くない」

「でもあと一冊は片付けないと明日、また出ないと……はあ」

「ほら、ため息の数も多いだろ。疲れが溜まってる時は休んで、充電したほうがそのあとの効率もいいんだ」

「でも」

「いいから、パソコンを落とせ、そして帰れ」

 渋ると急くように背中を叩かれて、ほらほらとせっつかれた。確かにそろそろ限界が近いのも感じる。大人しく電源を落とせば、これを食えとコンビニのフルーツサンドを渡された。

「それを食ったらまっすぐ帰るんだぞ」

「……はい」

 なだめるように雄史の頭を撫でると、吉田は踵を返して自分の仕事へ戻っていく。その後ろ姿を見ながら小さく息をついて、手元に残されたフルーツサンドのフィルムを剥がした。

 ほかの人たちも忙しいのに、自分だけいいのだろうか。そんな考えも浮かぶけれど、新米の雄史ができる仕事は、みんなほど多くない。
 そもそも抱えているものだけで精一杯で、周りを気遣う余裕すらなかった。

 正直言えば、ずっと仕事と志織が天秤の上でぐらぐらとしていた。忙しさに集中しなくてはいけないのに、告白の返事のことばかりを考えて、そのせいで仕事が遅れている。
 公私混同――そんな言葉が浮かんだが、仕事へのエネルギーはすべて、あそこで作られていると言っても過言ではない。

「苺と生クリーム、久しぶりに食べた。志織さんのケーキに比べたら安っぽい味だけど、おいしい」

 おいしいものをゆっくりと食べる余裕が、欠片もなかった、それをまた実感する。人間、生きていくのに三大欲求はやはり大切だ。特にお腹を満たすおいしいものと、たっぷりの睡眠は欠かせない。

「あっ、志織さんからメッセージ届いてた。いま何時? わ、三時間前だ」

 黙々とフルーツサンドを食べながら、懐に入れっぱなしだったスマートフォンを取り出せば、着信やメッセージがいくつか。
 その中に彼からのものが混じっていた。慌てて開くと、今日も忙しい? そんな問いかけだった。

 時刻はもうすぐで二十時になるところ。あのカフェは普段通りであれば、まだあと一時間は営業している。それに気づくと、慌ただしく文章を打っていた。
 返信が遅れたことを謝罪して、いまから行ってもいいかと問いかける。

 すると一分とかからないうちに、返事が来た。しかし帰ってきた文面に、思わず首を傾げてしまう。

「にゃむのご飯?」

 時間があるのなら家へ行って、愛猫に餌をあげて欲しいと書かれている。けれど自宅は店の二階だ。いつものようにカフェで仕事をしていれば、そんなお願いをしてくるのはおかしい。
 今日は週末で店を閉める理由も見当たらない。ふいになぜか嫌な予感がして、どこにいるのかと短文を送り返した。

 そうして待つこと数分――帰ってきた文字に、雄史は勢いよく立ち上がっていた。

 食べかけのフルーツサンドを腹の中へ収めて、荷物を引っ掴むと大声で挨拶をしてフロアを出る。それなのに二基あるエレベーターは通り過ぎたばかりで、ボタンを無意味に何度も押してしまった。
 会社を飛び出したあとは、いつもなら十分はかかる駅までの距離を、全速力で半分に短縮した。

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