あなたに会えない夜に
14/21

 平日の夜、いつもと変わらない一日を過ごして仕事を終える。すっかり陽の落ちた街並みでは至る所でイルミネーションが輝いていた。それも今月に入ってからはだいぶ見慣れた光景。けれど今夜は少し周りも世の中も浮ついた雰囲気があった。
 今日はクリスマス――イブの昨日からちょっとしたお祭り気分のみんなは、浮き立った様子で歩いている。クリスマスケーキやプレゼントの包み入れる紙袋を携えた後ろ姿。家族はホームパーティー、恋人たちはディナーでもするのかもしれない。

 できたら俺もその一員に加わりたかったけれど、恋人からの返事は一言――いま忙しい、それだけだ。愛しの恋人は俺のような平凡なサラリーマンではなく、連載を何本も抱える作家先生。
 今日も締め切り間近で鬼気迫る状態なのだろう。クリスマスの前に年末が近いから、編集社ももう少しで正月休みに入ってしまうのだ。だからその前に原稿を仕上げなくてはいけない。
 あの人は担当編集さん曰くインスピレーションが気まぐれなので、書ける時は光の速さだが、遅い時は牛歩、亀の歩み、蟻並みだと言う。今回はどうやら蟻のようで、先週から今日の予定を聞いてもわからないの一点張りだった。

「恋人がいるのにクリスマスの夜に一人飯か」

 とは言えこれも初めてではない。付き合い始めて二年くらい。出会ったのはもう十年くらい前だ。その当時からもうあの人は作家の道を歩いていたから、学生だった俺は近づきたくても近づけない雲の上の人だった。
 一回りも歳が離れているし、若い頃から文章を綴ることにすべてを賭けているあの人とは持っている世界観も価値観も違う。それなのに恋人という立ち位置になれた。それだけでも喜ぶべきことだろう。

「クリスマスケーキでも買って一人で空しく食べるか」

 去年は珍しく時間があったあの人と一緒にケーキを食べた。洋菓子よりも和菓子が好きな彼からしたら、クリスマスケーキは大して喜ばしいものではなかったかもしれないが、有名店のケーキを奮発して買った俺を察してくれたのかなにも文句は言われなかった。

「次に買うことがあったら和栗のケーキとかがいいかな。ああ、もう少し雅巳さんに時間ができたら旅行とか行きたい。温泉に入って美味しいご飯食べて布団でえっちとか」

 叶わないだろう無駄な妄想をしながら、そういえば最近はご無沙汰だなんて考えてあの人の香りを思い出す。オール石鹸な彼からはいつも柔らかい優しい匂いがする。それが色香に混じって甘い匂いをさせ始めるのが堪らないのだ。

「あー、やめやめ、無駄に発情してさらに空しくなる」

 頭の中の煩悩を振り払って冷たい風で頭をクリアにする。そしてやけ食いしてやろうとホールのケーキを買った。

 マンションに着いて風呂に入りさっぱりしてから、コンビニで買ったチキン、四号のケーキを前にフォークを構えて赤ワインをコップに注ぐ。一人こたつでなんとも寂しい光景だが、どうせ明日も仕事だ。
 食って飲んだらあとは寝てしまえばいい。そんなことを思いながらホールケーキにそのまま切ることなくフォークを突き立てた。店頭販売の量産品ではあるが、自分一人で食べるならこんなものかと今度は飾りの苺に突き立てる。

 そして大して面白くもないテレビ番組を見ながら、ボトルワインの半分ちょっとを飲んだ頃にうとうとしてくる。しかしこたつで寝るといつも風邪を引くので、ぐらぐらする頭を振ってもぞもぞと布団へ移動した。
 クリスマスが終われば年末だ。来年は初詣一緒に行けるだろうか。今年は行って帰ってそれでさよならというスケジュールだった。あの人は年末前の原稿が終わっても次の原稿が待っている、年中無休とも言える仕事だ。

「雅巳さん、会いたい。……電話しちゃおうかな。出ないだろうけど」

 潜り込んだ布団の中で枕元に置いたスマホを手に取る。帰りに送ったメッセージはまだ既読になっていないが、ダメ元で発信した。コール音が一回二回、ずっと聞いているうちにまたうとうとしてくる。
 あ、落ちる――と思って切ろうとしたら、それが繋がった。けれどものすごく眠くて声が出ない。彼は自分からもしもし、なんて言う人ではないから、このままでは通話を切られる可能性がある。それなのに――。

「……おい、秀、寝ぼけてんのか」

 久しぶりに聞いた。少し掠れたちょっと色っぽい雅巳さんの声。最後に聞いたのいつだったっけ。

「雅巳さん、えっちしたい」

「……切るぞ」

 思わず心の声が口から出ていた。それに呆れたようなため息を返されるけれど、仕事中のわりに気が立っていないのか本当に通話は切られなかった。

「ごめん。……声、聞きたかったの」

「酔っ払ってんのか」

「うん、雅巳さんに会えないから寂しくて」

「……たぶん、明日には終わる」

「じゃあ、明日の夜に会いに行くね」

「わかった」

 今日の雅巳さんちょっと優しい。もっと喋ってって言ったら、喋ることないなんて寂しいことを言われたが、なんだかおかしくて笑いが込み上がる。一人でクスクス笑っていたらまたため息を吐かれたけれど、それも愛おしくって電話口にキスしてしまった。

「なにしてんだよ」

「雅巳さんにチューした」

「酔っ払いが、早く寝ろよ」

「うん、雅巳さん大好き。明日いっぱいハグさせてね」

「好きなだけさせてやる」

 ぐふふっと変な含み笑いをして、素直な返事をした彼の声を聞きながら、いつの間に眠りに落ちた。
 そして仕事終わり、駅前で待っていたあの人に飛びついたのは、二日酔いで目が覚めた日のことだ。

あなたに会えない夜に/end

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