夕日が沈む前に
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 小さなざわめき――友人たちのまたなの声に手を振り返して、賑やかな場所に背中を向けた。下り坂をのらりくらりと歩き、部活に勤しんでいる彼らを横目にあくびを噛みしめる。
 数ヶ月前は自分もあそこにいたけれど、必死だった頃が嘘のようなのんびりとした時間を過ごしていた。頑張ればまだできる、そう励まされたが、以前のようにはいかないのは目に見えている。
 下から這い上がれるならまだしも、どう頑張っても人並みより少しできる程度だ。そこで続けていけるほどの根性はない。

「はあ、あっつ」

 坂道を下りた先にあるコンビニでアイスを買って、すぐさま齧り付く。昼間に蓄えた熱がアスファルトから立ち上って汗が滴っていた。ぱたぱたとシャツを揺らして風を送ると、少しばかり首元が涼しくなる。
 しゃくしゃくとソーダ味のアイスを囓り、スマートフォンを眺めたら、グループメッセージにはデート、彼女の文字。それにため息をついて、舌打ちとともに手にあるものをポケットにねじ込む。

「暇だな。あー、夕焼けが目に染みる」

 沈み始めた太陽は燃えるような夕焼けを空に映し出していた。眩しい光に目をすがめながら、そっと手を伸ばす。幼い頃、ビー玉をかざして見るのが楽しかったことを思い出した。
 七色のビー玉がお気に入りで、いつもポケットに入れていたらどこかでなくしてしまった。探しても探しても見つからなくて、大泣きしたことまで思い出す。自分の大事なものは簡単に隙間からこぼれていってしまう。
 あの時も、ただ黙って頷くしかできなかった。

「どうしてんのかな。あれっきりだな」

 どのくらい時間が過ぎただろう。最後に会ったのはランドセルを背負っていた頃だ。記憶だっておぼろげになってきた。それでもあの人の笑い方、仕草、声はいまでも頭の片隅に残っている。
 優しい笑顔で、ひどくあたたかい声をしていた。だから余計に最後に聞いたバイバイ――の言葉が忘れられない。

「結人!」

 柔らかくて聞き心地のいい低音。ふいに聞こえたその声に、改札を通り抜けようとした足が止まる。声の先を振り返れば、慌てた様子で駆けてくる人の姿が見えた。

「良かった。すれ違うところだった」

「嘘、……英ちゃん。あっ、英樹さん」

「え? どうしたんだよ。改まって」

「いや、その」

 ふんわり笑ったその顔は昔とちっとも変わっていなかった。眉尻をちょっとだけ下げて、いつも困ったように笑う。懐かしい笑顔と懐かしい声に、胸の奥がきゅっと締めつけられた。

「会わないうちに随分と大きくなったんだな」

「何年経ったと思ってるの?」

「えーっと、七年、かな」

「よく俺がわかったね」

「結人の家で写真見せてもらった」

「ふぅん……なんで急に帰ってきたの?」

「うん、結人はどうしてるかなって」

 そんな暢気な声で近所に行ってたくらいの声で、気持ちをざわめかせるようなことを言う。もう二度と帰ってこないかのような去り方だったのに。
 けれどこの人は知らない。目の前にいる子供だって思っている男の初恋が自分だってことも、まだ恋心が残っていることも。

「俺の顔を見に帰ってきたわけ? いつまでこっちにいられるの?」

「ずっといるよ」

「え?」

「勤めている会社の支社がこっちにできて、ずっと異動願を出してて。やっと通ったんだ」

「そう、なんだ」

 思いがけない話に上手い返しも見つからず言葉に詰まる。嬉しいのにどうしよう、なんて考えてしまう。ずっと近くにいたら、いつかこの気持ちがバレてしまうかもしれない。
 付き合っていた彼女はいつも小さくて可愛い子ばかりだった。無駄に育ってしまったこんな男じゃ、好みの範疇外だ。

「喜んでは、もらえないか。僕みたいなのが帰ってきたところで」

「あ、……嬉しい、嬉しいよ。もう会えないのかと思ってたし」

 諦めるのか、このまま。自分にはどうしようもないって、放り投げるのか。
 目の前にある小さなチャンスを掴まないままでいたら、そのうち逃げ癖がつく。諦めるほうが楽だ。仕方ないってぼやいてるのは楽だ。だけどそれじゃあいつまで経っても前に進めない。

「結人?」

「英ちゃん、俺!」

 滲んだ夕陽の中に、情けないくらい震えた声が響いた。

夕陽が沈む前に/end

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