モルドール商会と蜂蜜色の瞳
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 他店とは一目で違いがわかる、赤色の煉瓦造りの建物。中は天井が高く空間も広々しており、シャンデリアに明かりが灯されていても眩しさはない。
 空間を照らすよりも、商品を魅力的に見せる効果を担っているようだった。

 外の通りと変わらず、たくさんの人がいる店内をリトがキョロキョロ見回していると、ふいに後ろから声をかけられる。

「ようこそ、モルドール商会へ」

 振り向いた先にいたのは二十代後半くらいに見える、リトより頭一つ分は背が高い男性で、垂れ目がちな赤い瞳にはどこか色気を感じさせた。
 長いエメラルドグリーンの髪を高い位置で結っていて、首を傾げるとさらりと揺れる。

 前身頃を斜めに合わせ、腰元で帯を締めた縦長い異国風の衣装も目についたが、なによりもリトの目を引いたのは彼の頭の上で曲線を描いた〝ツノ〟だ。

「羊さんだ」

 耳や尻尾という特徴を持つ獣人は多く見たけれど、ツノを持った獣人をリトは初めて見た。
 思わずぽつりと呟けば、彼は目を丸くしてからふっと息を吐くように笑った。その仕草にハッと我に返り、とっさにリトは体を折り曲げ頭を下げる。

「不躾にごめんなさい!」

「気にしていないよ。そんな風に頭を下げなくても大丈夫。獣人に興味があるのかい?」

「あ、はい。獣人さんを最近初めて見たんですけど、とても素敵だなって。だからつい、目で追ってしまうんです」

「ふぅん、そうか。そんなに獣人に惹かれるなんて、縁があるのかもしれないね。今日はどんなご用で来店ですか?」

 どことなく意味深に目を細めた彼に戸惑うけれど、問いに答えるためリトは慌てて懐から封筒を取り出した。

「ああ、西の。今日はハンナさん忙しいのかな? まあ、いまの時期はどこも手が足りなくなるからね」

 封筒を受け取った男性は差出人を確かめると軽く頷き、傍で控えていた人へ手渡してしまった。
 中身は確認しなくても良いのだろうかと思いはしても、彼はハンナをきちんと認識しているようなので、口を挟まずリトは頷いた。

「君は去年王都へ来た子かな? そういえばハンナさんが新しく人を雇うと確か言っていた」

「はい、そうです。三ヶ月くらい前からお世話になってます。リトと言います」

「三ヶ月か、だったらリトくんの王都進出を記念して、私から贈りものをしよう」

「えっ?」

 突然の言葉にリトが驚きに固まっているあいだに、男性は深さのある袖の袂から化粧箱を取り出した。
 手のひらに載る程度、美しい艶があるベルベットでできた箱が開かれると、淡い黄金色のペンダントトップが目に留まる。

 銀のチェーンに繋がれたそれが男性の指先で持ち上げられ、リトの目の前で光を反射しながら揺れた。
 なんと表現して良いかわからない、いま思い浮かぶのはとても美しい石だというありきたりな感想だけだ。

「綺麗でしょ? 君にあげるよ」

「え? えっ? えぇっ?」

 黄金色の石に見惚れているうちに、男性は首飾りをリトの首へ下げてしまった。気づけば胸元で親指大ほどの石が輝いている。

「い、いただけません! こんな高価そうな品物っ」

「受け取ってよ。きっと君に渡すために私はいまこれを持っていたんだ」

「いや、でも、さすがに、困ります」

「肌身離さず持っていて。これから良いことがあるはずだから」

 外そうとして腕を持ち上げるものの、男性はにっこりと隙のない笑みを浮かべてリトの手を制した。有無を言わせない笑みの圧力に、ひくりとリトの口元が引きつる。
 しかし戸惑いはしても悪い雰囲気は感じられず、ゆるりと腕を下ろすと彼は満足げにポンポンと肩を叩いてきた。

「なにかあればいつでも私を頼ってくるといい。リトくんなら歓迎するよ」

「あ、あの」

「ん? ああ、自己紹介がまだだったね。私はキリエル。キリエル・ハンディフ・モルドール――この商会の責任者だよ。これからもご贔屓に」

 謎めく雰囲気で笑みを浮かべたキリエルは、彼を呼びに来た店員から若旦那さまと声をかけられていた。家名から商会の人間である事実は明白で、本人も責任者と名乗っていたけれど。

 モルドールの若旦那と言えば、国王陛下と同時期に代替わりをして、国内のみならず他国にまでモルドールの名を広めた、立て役者だとタットに聞いた。

「なんでそんなすごい人に気に入られてしまったんだろう? 僕が獣人に好意的だから?」

 結局返すに返せず、首飾りはリトの首元に下がったままだ。肌身離さずと強調していたので、コートの内側へしまうとなぜか深いため息が出た。
 キリエルが立ち去り、用事が済めば長居する理由も見当たらなく、リトは休憩時間に移ろうと店を出る。

 疑問は尽きないが、自分が悩んでもいま答えはわかりそうにない。無駄な考えをするよりも休憩を楽しもうと、リトは気持ちを切り替えた。

 中心街は王様のお膝元。王宮が近くにあるので建ち並ぶ店も高級感があり、すれ違う人々も洗練された雰囲気でどこか品がある。
 毎日こんなところで過ごしたら、肩が凝りそうではあるけれど、たまにこうして街中を歩くのは楽しい。

 並ぶ商品もキラキラとしていて美しく、リトは自分が輝くものに弱いと最近知った。
 人は金銀財宝、宝石類に心を奪われると言うから、そう珍しい嗜好ではないとはいえ、煌びやかさに惹かれる自分が些か貧乏人臭くて恥ずかしくもあった。

 先ほどもひどく困惑したのに、胸元の黄金色の石に心惹かれて止まず、手元にあるのが嬉しい反面、浅ましい己にがっかりとする。
 高価な品をもらう対価を払っていないのだから、いつか返さなければいけないのに。

「なんだろう? 今日は王宮の騎士がたくさんいる」

 ぶらぶらとリトが路面店を眺めながら歩いていると、何度も騎士の姿が目に留まった。
 それも王都の警備をしている青の騎士団ではなく白の騎士団――数ある騎士団の中でも精鋭部隊のほうだった。

 色の名がつく王宮の騎士団は騎士服が名を表しており、青の騎士団は濃紺色、白の騎士団はパッと目を引く純白なのだ。

 彼らが街中を巡回するほどの、事件でも起きているのだろうかと目で追うが、リト以外の人たちはさして気にかける様子が見えない。
 よくある光景とは思えず訝しさを感じるものの、問いかけるのも気が引けて、黙ってその場を通り過ぎた。

「そうだ、向こうにあるお菓子屋さん」

 そろそろ宿屋へ帰ろうと思いかけ、せっかく中心街に来たのだからと、滅多に行かない店へリトは足を向ける。
 村にいた頃、お菓子は高級品で年に一度食べられるか否かだった。

 少し前に偶然見つけた店は裏道にあり目立たないけれど、素朴ながらとても甘くておいしいお菓子が陳列されていた。

 しかも平民に優しい良心的な値段で、中心街に来たらまた行こうと思っていたのだ。
 気持ちが浮き立ち、足早に路地へ足を踏み出そうとしたリトだったが、急に飛び出してきた人とぶつかった。

「うわっ」

 さほど強い衝撃ではなかったはずなのに、相手の体が大きすぎて、小さなリトが後ろへ弾き飛ばされる形になる。
 後方へひっくり返りそうになりとっさに手を伸ばせば、ぶつかった人がすぐさま引き寄せてくれた。

「すまない。怪我はないか?」

「はっ、はいっ、ないです」

 耳に優しく響く落ち着いた低音で問いかけられて、慌てて見上げると深みのある黄金色の瞳がリトを見下ろしている。
 金細工のような煌びやかな派手さではない、柔らかな蜂蜜みたいに優しい色をしていて、あまりの美しさにリトは見惚れてしまった。

(首飾りの淡い黄金色に似てるけど、もっと深く濃く煮詰めたみたいな色だな)

「どこかぶつけただろうか?」

「大丈夫です! すみません! 貴方の黄金色の瞳があまりにも綺麗で見とれてしまって」

「え?」

 心配げな声に我に返り、抱き寄せられた腕から一歩退くと、リトは本日二度目の謝罪をして頭を下げる。
 深々と腰を折りしばらく、返答がないのが気になりそろりと顔を上げてみれば、目の前の人はなにか考え込んでいる様子だった。

(背が高くて体が大きい人だな。フードを被ってるからわからないけど、獣人さんかな? 綺麗な顔立ちなのに顔に傷があってもったいない)

 相手が気づいていないのを良いことに、リトは目の前の男性をじっと見つめた。
 全身を覆うローブで、フードから見える目鼻立ちくらいしかわからないのだが、整えられた眉、鋭い切れ長な瞳や形の良い鼻筋からも、美しい顔立ちをしているのがわかる。

 瞳の次に目につくのは、左のまぶたから頬にかけて刻まれた痛々しい傷だ。
 普通なら失明していそうなはっきりとした痕なので、見えているならばおそらく高度な治療をしたのだろうと推測できる。

「君は」

「あっ! すみません! 不躾にじろじろ見ました!」

「いや、そうではなく」

 ふいに動いた視線と目が合い、リトは慌ただしくまた頭を下げた。頭上から戸惑った気配を感じても顔が上げられず、恥ずかしさが湧く。

(見とれすぎた。いくら稀にみる美形だとしても、初めて会った人の顔を凝視するなんて)

「不快には感じていない。顔を……っ」

 きつく目を閉じリトがいつまでも頭を下げたままでいると、気遣わしげに男性が肩に手を添えてくれたが、急に彼の背後で人の気配がして指先から緊張を感じ取った。
 顔を上げてもリトからはよく見えないけれど、路地の先にいるのは一般人ではなく白の騎士団ではと思える。

(この人、追われているのかな? なにか悪いこと……しそうにはまったく見えない)

 近づく気配にリトの心臓が早鐘を打つ。
 悪い人には見えないとしても、王宮の騎士に追われる人物だとしたら、逃がしてはいけないのではないか。

 緊張している男性の横顔を見つめて、リトはぎゅっと無意識にコートの胸元を握った。

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