一目惚れと初恋?
しばらくすると、数人の騎士が路地を抜けて現れた。鬼気迫った様子にリトは内心、口から心臓が飛び出しそうな気分であったが、彼らはリトを見ると驚きに目を見開いてから、じっと見つめてくる。
どう反応するのが正解かわからず、置物のように立っていると、今度は顔を見合わせてなにやら小声で話し出す。
そうしてやや間を置いてから、結論が出たのか代表らしき人がリトと向かい合った。
「君はずっとここで一人だった? これからどこへ?」
「は、はい。仕事の休憩中で、この先のお菓子屋さんに行こうと思って」
路地の先にある菓子屋に行こうとしていたのは本当なので、リトは訝しげな表情を浮かべる騎士の後方を指さす。
どうやら彼は菓子屋を知っているようで「ああ」と納得した相づちを打った。
「では君はいまなにか身につけている?」
「身につける? ……あっ、これ」
問いかけの意味がわからなくて、首をひねってしまったリトだが、一つだけ思い当たり、首に下げた首飾りをコートの下から引っ張り出した。
騎士にちゃんと見せるため外そうと腕を上げたら、なぜかすぐさま制される。
「これはどこで?」
「モ、モルドールの若旦那さんが」
「はあ、キリエル殿が原因か」
脱力したように額を抑える騎士から気苦労がにじみ出る。背後にいるほかの騎士たちもざわめき、ため息を吐いたりうな垂れたりし始めた。
「原因とは、なんですか?」
「突然尋問のような真似をして申し訳ない。我々はいま、その首飾りが持つ魔力と同じ気配を辿っていて、恥ずかしながら勘違いしてしまったようだ」
「そう、だったんですか。僕、これをさっき渡されて、全然知らなくて」
(良いことがあるから、なんて言ってたけど。尋問されるのは良いことなのかな?)
足を止めさせたと、真摯に非礼を詫びてくれた騎士たちは「振り出しか」とか「キリエル殿め」とぼやきながら去っていった。
すっかり彼らの気配が消えたのを確信してから、リトはくるりと背後を振り返り、路地脇の荷車にかけられた分厚い雨よけを捲る。
「大丈夫ですか?」
そっと布の内側を覗くと、光を反射した黄金色の瞳が見えた。もぞりと布が動き、荷車から滑り落ちれば、ローブをまとった男性が姿を現す。
少し前に騎士たちの気配が近づくのを感じて、リトは目についた荷車に彼を押し込み、布を被せて隠したのだ。
「ああ、問題ない。しかし俺を隠したりして、良かったのか?」
「うーん、本当はいけないんでしょうけど。どうしてか貴方が悪い人には思えなくて」
「……これは」
「これ、なんでしょうかね? 僕もよくわからないんです」
荷車を降りて目の前に立った男性が首元の首飾りを手に取る。
手のひらに載せ、憂い顔で石を見つめる姿に見惚れそうになりつつ、リトは理由のわからない贈りものに苦笑いを浮かべた。
目の前の彼はしばらく石を見つめていたけれど、小さく息をついてからゆっくりと手放す。
なにか気になるのだろうか、と思いはしても問いかけづらく、リトは黙って男性を見つめた。
「また、機会があればどこかで会おう。そのときは今日の礼をさせてもらう」
「お礼なんて! ……あ、でも会えたら、嬉しい、です」
「そう思ってもらえるなら、俺も嬉しい。できれば次からはロヴェと呼んで欲しい」
「ロヴェ……あっ、僕はリトです」
「わかった。ではリト、またいつか」
微かに目元が緩んで、ロヴェが笑みを浮かべたのに気づいた瞬間、ふっと目の前から彼の姿が消えた。とっさにリトが近くの建物を仰ぎ見れば、遠ざかる影が見える。
「わぁ、すごい跳躍。やっぱり獣人さんなんだろうな。どんな種族なんだろう」
(本当に次も会えるのかな? 勢いで会いたいとか言っちゃったけど。……だってあんなに綺麗な獣人さんは見たことないし、できたらちゃんと姿も見たいし)
会いたい言い訳を連ねながら、リトは首元に下がる石を指先でつまんだ。
淡いけれどロヴェの瞳によく似た石がひどく大切に思えて、そっと指先で撫でてから、いそいそとシャツの下へとしまい込む。
返さなければ、と思う気持ちが随分と薄れているのに気づきながらも、振り切るようにリトは足を踏み出した。
いくら会いたいと願っても相手の名前しか知らず、それも本名かもわからず、口元まで隠した覆面状態で姿形もはっきりとわからない相手だ。
彼の言ったいつかが数日、数週間なのか、はたまた半年一年先なのか。
よくよく考えれば騎士団に追いかけられるような人でもあり、簡単に再会できるはずがないとリトが気づいたのは、ロヴェと出会って十日ほど過ぎた頃だろうか。
「りっちゃん、最近元気ないわね」
「え? そんなことないですよ」
いつものように朝の掃除を終わらせて洗濯場へ行くと、皆が心配そうな表情を浮かべた。
少しばかりがっかりとした気持ちはあったものの、そこまで落ち込んでいるつもりがなかったリトは慌てて否定をする。
「そうかしら? 女将さんのおつかいに行ったあと辺りからそわそわして、最近はすっかりしょぼくれているように見えるわよ」
「なにかあったの?」
「えぇっ、そ、んなに」
ぴったりと時期を言い当てられて、リトは焦りで頭の中がグルグルと混乱し出す。
なにかあったと言えばあったけれど、目に見えて落ち込むほどの出来事でもなく、かといってロヴェの話をほかの人にしていいものかもわからない。
「あー、えーと、とても素敵な獣人さんに会ったんですけど。また会えたらなんて話をして、でもどこに住んでる人か、知らなくて」
「りっちゃんは社交辞令だったかもと落ち込んでいるのね」
「あらあら、獣人好きだとは知っていたけれど。りっちゃんはその人に一目惚れしちゃったんじゃない?」
「ひっ、一目、惚れっ? だっ、だって、彼は男性だったし! それにそれに」
(はっきりと顔も姿も見ていないのにっ?)
「まあ、りっちゃんったら国の法律も疎いのね。同性婚はこの国で認められているわよ」
「そうそう、王族も同性婚をするからね。国民にも認められているの」
「けっ、結婚なんて、図々しいこと考えてません!」
さらりと言われた言葉で、リトの顔は火がついたように熱くなった。
ただもう一度会えたらいい、それくらいの考えだったというのに飛躍しすぎだ。だがニヨニヨと口元を緩める彼女たちの表情に、たまらずリトは洗濯場から逃げ出してしまった。
(恥ずかしい、恥ずかしいっ! あんな風に思われちゃうような態度を見せていたなんて)
廊下を走り抜けたときに、ハンナに声をかけられた気もしたけれど、立ち止まる余裕もなくリトは外へ飛び出した。
まだ早朝の時間帯だ。
外は明るくなってきていても一の月の空気は冬で、頭を冷やすには効果てきめんだろう。
「うぅぅーっ、こんなんじゃ、ロヴェにまた会ったら変な顔をしてしまいそう」
裏口から出たリトは、路地脇にある大木の根元でしゃがみ込んで頭を抱えた。
冷静になろうと深呼吸を繰り返すが、顔を撫でる風は冷たいのに反比例して頬がカッカと熱くなってきて、ますます言葉にならない呻きが口から漏れる。
そのあとは奇行に走ったリトを心配したのか、ハンナに休みを言い渡されてしまった。
からかった洗濯場の皆はハンナに叱られたらしく、代わる代わる謝りに来てくれて「せっかくの初恋なら上手くいって欲しかった」とけしかけた理由を教えてくれた。
「りっちゃん、ごめんね!」
「僕は怒ってないですよ。どうしてもと言うなら今度甘いものをおごってください」
「あーん、さすが森妖精さん! りっちゃん優しい!」
「だけど恥ずかしいから、もうからかわないでくださいね」
「うんうん。でもなにか悩みごとがあったら相談してね」
円満解決が済むと皆、安心したように仕事へ戻っていった。たまに子供扱いでからかわれるけれど、宿屋で働く人たちは心根が優しい。
そもそも弟や息子のように思い、可愛がってくれているのが感じられ、怒りようも恨みようもなかった。
「さて、急な休みだけどどうしようかな」
ぽっかり空いた時間。ぼんやりして過ごすのは非常にもったいなく、リトはしばし考え込んでから、ふと窓の外へ視線が移って目的が定まる。
一の月の終わりが近づき、さらに船の出入りが増えたという船着き場へ向かうことにした。