高鳴る胸と芽生える気持ち

 授業が終わったあと、ミリィに連れられてリトは王宮内にある騎士団の詰め所に訪れた。
 ここは各騎士団共通の部屋になっており、全体会議を行ったり共用している資料や資材を保管してあったりする。

 入ってすぐの部屋は共有空間で、そこから各部屋に繋がっているそうだ。
 広さは思った以上にあり、中央にあるテーブルは十人くらい集まれそうなほど大きい。壁面には本棚や扉付きの棚など、びっしりと並んでいた。

「エリックさんがいるとは思いませんでした」

「私も内勤や事務仕事があったりするのですよ」

 常にたくさん人がいるわけではないと聞いていたけれど、たまたま会議が終わったばかりだったのか、各騎士団の団長や補佐官が集まっていた。
 その中で一番見知った白の騎士団長を見つけ、子犬のようにリトが駆け寄るとエリックは目を細め、優しい笑みを浮かべてくれる。

 王族専属といえば黄金の騎士団なのだが、彼らは普段、前両陛下や王兄殿下などに仕えているそうだ。
 国王であるロヴェの傍には、いつも機動力のある白の騎士団が控えているため、エリック遭遇確率は高い。

 毎回、丁寧に言葉をかけてくれる彼は父親のような存在に思えて、リトはとても好意的に感じていた。

「仕入れたばかりなので質の良い水晶も多くあると思いますよ」

 今日の目的を伝えれば、エリック自ら資材室にある水晶の入った箱を持ってきてくれた。
 平たく大きい箱が開かれると、親指大ほどの水晶が上質な絹の上に等間隔で並んでいる。

 どれも曇り一つなく透明度が高い。
 あまりの美しさに、リトは見惚れるようにじっと水晶を凝視していた。

 そんな子供みたいな仕草を見たミリィやダイト、エリックだけでなく、様子を窺っていたほかの騎士たちまで忍び笑いを漏らす。

「すみません。こんなに綺麗な水晶を見たのは初めてで」

「いえいえ、リトさまの愛らしさは私どもの癒やしですよ」

「えぇ? 愛らしいって歳でもないですよ。もう少しで二十になりますし」

「……まだなられていないのですね」

「あ、四の月の十日とは聞いていたんですけど。もしかしたら違うかもですよね」

 訝しげな表情を浮かべたエリックの反応で、リトは実際の生まれ日が違うかもしれないと気づいた。
 もうすぐで歳を重ねるからと、これまでずっと二十年という言葉を何気なく聞いていた。けれど王宮が把握している番紋が表れた日付と、誤差があるのだろう。

 育ててくれたパルラが、リトを預けられた日を誕生日とした可能性もある。

「いつであろうと構いません。私たちにとってリトさまが存在する事実がすべてです」

「ありがとうございます」

「さあ、お好きな石をいくつでもお選びください。陛下を心に思い浮かべながら選ぶと良いかもしれません。石にも相性があるのですよ」

「そうなんですね。じゃあ、じっくり選ばなくちゃ」

 椅子を引いてもらったので、リトは腰を据えて選ぼうと再び箱を覗き込んだ。
 どれも見た目はほぼ同じなのだが、感じる印象が微妙にそれぞれ違う気がした。簡単に言えば、好ましい好ましくないといった感覚だろう。

 甲乙がつけがたいものの、ロヴェを思い浮かべてこれだ、と感じた心惹かれる水晶を五つ選んだ。
 厳選が済んで、ふとリトが我に返ると思いのほか時間が経っていた。リトたち以外はすでに退室しており、室内はしんとしている。

「お疲れさまでした。集中されていましたね」

「エリックさんの時間をいただいてしまい、すみません」

「滅相もない。素敵な瞬間に立ち会えて光栄です」

 やんわりと細められた、穏やかな海色の瞳は相変わらず慈愛に満ちていて、決して相手を萎縮させない物腰にほっとさせられる。
 ロヴェが好んでエリックを傍に置く理由がよくわかる気がした。

 信頼が置けるだけでなく、彼の傍では心静かに過ごせるのだろう。

「ではこちらはハウゼン夫人に預けておきますね。もしものときはまたいらしてください」

「はい! でもこのどれかで成功できるように頑張ります!」

「頑張ってください。陛下もきっと喜ばれるでしょう」

 小箱に移し替えられた水晶はミリィに手渡され、視線を向けると彼女は深く頷く。
 仕事だから当然なのだが、ミリィとダイトを立ちっぱなしにさせているのはリト的に申し訳なく感じるので、今日の行動は終わりにしようと決めた。

「あとは食事をして寝るだけだから、部屋に戻ったら二人も一度下がって休憩を取って」

 二人が自室に戻っても、代わりのメイドや騎士がついてくれるので問題はない。
 なにかあれば続き部屋なのですぐに対応もできるし、自分もゆっくり読書でもしよう――そう考えたリトだったが、部屋の前に赤の騎士団ではなく白の騎士団が立っていて予定が変わった。

 慌てて室内に足を踏み入れれば、ソファでロヴェが寛いでお茶を飲んでいる。
 午後のお茶会以外で彼に会える機会は滅多になく、こうして迎えではない状況で部屋に訪れてくれたのも初めてだ。

「ロ、ロヴェ、どうしたんですか? なにかあった?」

 思いがけず顔が見られ、驚きと嬉しさで胸がドキドキと早い音を立てる。
 狼狽えているのが一目でわかるリトの様子に、視線を上げたロヴェは微笑ましそうに目元を和らげ手招きをした。

 誘われるままに傍へ行けば、空いた隣を叩いて示される。
 普段は向かい合い、テーブルを挟んだ距離で座るというのに、急な接近でますます心音が加速し始めた。リトは熱くなる頬を誤魔化すのも忘れ、おずおずと腰掛ける。

「仕事が一段落したから、一緒に食事をしようと誘いに来た。あとは単純に、リトの顔を見たかっただけだ」

「そっ、そうなんだ! 嬉しい、嬉しいです!」

「耳まで真っ赤だな。赤い果実のようだ」

 動揺具合が酷いリトを見つめながら、ロヴェは指先で耳たぶをつまみ指先ですりすりと撫でてくる。
 そのなんとも言えない感触にリトはいまにも体の熱が灼熱に変わり、火山のように噴火しそうに思えた。

「嬉しいけど、恥ずかしいんです。こういうの慣れなくて」

「そうなのか、リトはとても愛らしいな」

「へっ? ひゃっ」

 恥ずかしさのあまり両手で顔を覆っていたら、リトの手をやんわり外したあとに近づいてきたロヴェが頬に口づけを落とした。
 驚きでおかしな声を上げてしまい、ますます羞恥が深まるのにロヴェは小さく笑って、熱を持った耳にまで唇を寄せる。

「リトが果実なら、きっと囓れば甘いのだろうな」

「僕は食べられませんよ!」

「そうだろうか? まあ、それは追い追いだな」

「……? ……っ! そ、それは」

 狭い村での営み事情は赤裸々ではないにしろ、よく耳に入った。含みのある言葉の意味にすぐさま気づいたリトは返答に詰まる。
 リトはあまり興味が湧かなかったものの、まったく知識がないといざ困るものだと言われ、ついつい当時は耳を傾けてしまった。

「疎いのかと思っていたが、わからないわけではないみたいだな。心配しなくともすぐに求めたりはしない。まずはもっと二人で過ごす時間を増やしたい」

「……はい」

 手を差し出され、そっとリトはロヴェの大きな手に自分の手を重ねる。
 優しく包み込むように握られれば、ゆっくりと立ち上がった彼につられて体が動いてしまった。気づいたときには、腰に手を回された状態で食卓へ導かれていた。

 普段と変わらないリトに合わせた料理の数と、数は同じなのに倍くらいの大きさや量のある皿は誰の物か一目瞭然である。

 リトの部屋に用意されているテーブルはさほど広くないのだが、元より二人分が想定されていたらしく、並んだ皿を見て妙に納得できた。
 これまでなぜか食事をしている最中、空いた向かい側が寂しく感じていたのだ。

「いまは毎日必ずとは言えないが、落ち着いたら共に食事をする回数を増やそう」

「本当ですか? ありがとうございます!」

 祝祭を控えた現状ではロヴェの忙しさは想像できた。誕生日を祝われる本人だというのに多忙なのは可哀想だけれど、国王ともなると致し方ないのかもしれない。
 それでもリトを優先しようとしてくれる気持ちがなによりも心に染みた。

「あの、これも落ち着いたら、で良いんですが……今度、遠乗りに連れて行ってくれませんか? 王都の近くに森がありますよね?」

「良いな、ぜひ行こう。リトは森の近くで育ったから恋しいだろう? 王都は華やかで便利だが賑やかだからな」

 言い訳をしなくても気持ちを汲み取ってくれるロヴェの言葉に、リトは胸がたまらなく熱くなるのを感じた。
 高鳴る気持ちとはまた別の感情が芽吹く心地で、ぎゅっと胸元を強く掴む。

「ほら、冷め切ってしまう前に食べよう」

「はい!」

 引かれた椅子に素直に腰掛ければ、向かいに掛けたロヴェは食前酒が注がれたグラスをわずかに掲げてみせる。
 同じようにリトはグラスを持って応え、真っ赤な頬で満面の笑みを浮かべた。