二人で過ごす夜

 草原や森の散策のあとに、ロヴェが言っていた王族専用の屋敷へ移動した。
 屋敷の前には後発の馬車が駐まっており、リトやロヴェの着替え、身の回り品が積み込まれているようだ。

 馬を下りて見上げた二階建ての屋敷は、王宮を見慣れたせいか想像以上にこぢんまりとして見えた。屋敷と呼ぶよりも隠れ家といったほうが似合う。
 庭も個人で手入れできそうなほどの広さしかない。

「――これで解散とする。十分に体を休めてくれ」

「はい!」

 建物の付近は侵入者どころか、森の獣が近づく危険もなく安全なので、到着すると護衛の騎士たちはロヴェから自由時間をもらった。

 不用意に区画を出ない限り、なにをしていてもいいと言われた彼らだが、離れに寝泊まりする準備を始めたのはなぜなのか。
 リトは訝しげな顔でその様子を眺める。

「もちろん泊まっていかれますよね?」

「え? そうだったの?」

 微妙な表情で見ているリトに気づいたのか、馬車に積んだ荷を下ろしていたミリィが、当然のように問いかけてきた。
 前もってそういった話を聞いていなかったリトは、完全なる初耳だ。

「ここでなら誰に邪魔されることもなく、陛下と二人っきりの夜を過ごせますよ」

「いや、いつも夜は二人きりだけど?」

「え? てっきりわざと今日を選ばれたのかと思っていました」

「え?」

 なにやらリトとミリィのあいだで齟齬があるらしく、二人で驚きをあらわにしてしまった。
 とはいえ彼女の言う意味がリトにはよくわからず、考え込む横顔に戸惑う。

「リト殿、召し上がるようになって、今日で何日経ちましたか?」

「召し上がる?」

 立ち止まっていたリトたちの傍へやって来て、さっとミリィの荷物をさらっていったダイトは、いつもの真面目な顔で問いかけて来た。
 主語が足りない気はしたけれど、リトは彼の言葉から最近の自分の行動を反芻する。

「……あっ! そういえば昨日で最後でした」

 番が同性ゆえに子を持てないと嘆いた我が子のために、始祖が遺した古代樹の果実。
 指先でつまめるほどの小粒で丸い、赤い果実を毎晩食べるのが最近の習慣だった。

(と言うことは、今夜から夜伽をするってみんな思ってた? 初夜の場所にここを選んだと思われてたの?)

「恥ずかしすぎる」

 わりと獣人は番に関して大っぴらな面があり、愛する番との子作りを恥ずかしいものだと認識していない。時として盛大に応援され、祝われる傾向にある。
 それに加えロヴェが国王なので、周りから陰ながらも期待をされていて、リトの健康管理はかなり重要視されていた。

 ゆえに普段からなにを食べ改善したか、体調を崩したかもしっかり診察日誌が書かれていて、無論のこと特別な食べ物は従者も把握する。

「その予定でなかったのであれば、陛下に言付けておきましょうか?」

「えっ、いや、断るのは! ……ちょっと、あの」

 さらっと断ろうとするダイトを思わず大声で止めてしまい、リトは顔から火が噴く思いがした。
 予定として考えていなかったけれど、ロヴェと初夜を迎えるのが嫌なわけではない。

 果実を食べるようになってから、毎晩のようにロヴェが受け入れる準備を手伝ってくれた。リト自身も非常に性衝動を感じたが、彼はきっとそれ以上だったはずだ。
 だというのに心の準備ができていません、と生殺しにするのはさすがに非道すぎる。

「リトさま、今日は落ち着く香油を垂らした湯に浸かり心を解してから、ゆっくり陛下とお話になってください」

「はい、そうします」

「もう、ダイトったら駄目よ。なんでもサバサバと解決しようとしては。受け入れる側は色々と心の準備が必要なんだから」

「……? そうなのか? ミリィはなんの前置きもなく私に襲いかかってきた覚えが」

(あー、ミリィって見た目によらず肉食系だったんだ)

 ミリィの言葉に目を丸くするダイトは、黙れと言わんばかりに背中を叩かれながらも、あからさまに咳払いをされて承諾するように素直に頷いた。

「さあ、まずは湯浴みをいたしましょう。屋敷の中を案内します」

 すっかり話を切り替えたミリィに苦笑しつつも、リトは彼女の明るさにいつも救われている気がした。

 屋敷はエントランスホールの正面に二階へ至る階段があり、上階は主人のフロアなので、ミリィやダイトは一階の使用人室を使うようだ。
 二階は率直な感想を言えば、普段使っている部屋がすっぽり収まった印象。私室と主寝室、水場などがすべて二階に集約されている。

 初めて王宮に上がった時は荘厳さに尻込みをしたのに、いつの間にか特別な環境に慣れきっている気がした。リトは一瞬、初心を振り返るべきかと悩んだ。

「リトさま、贅沢さは罪ではありませんよ。貧富を知るリトさまは、視野の広さをぜひ陛下のためにお使いください」

「ミリィ、いつもありがとう」

 立ち止まりかけると、さっと前に立って導いてくれるミリィとダイト。
 リトに関する采配はすべて、ロヴェの手で行われたとベルイが言っていた。人選ももれなくそうなのだろうと思えば、行き届いた心遣いが感じられる。

 二人だけではなく、私室の警護に当たる赤の騎士たちも同様だ。
 真面目で人当たりが良く、なによりも明るく朗らかな彼らは、リトの慣れない生活を心強いものにしてくれた。

「ロヴェ」

 汚れを落とし、リトが身支度を調えてから彼の待つ部屋へ向かえば、ソファで果実酒のグラスを片手に寛いでいた。
 部屋を覗くリトに気づいて、微笑んだロヴェは室内着に着替え、緩く編んだ髪を胸元に垂らしたしどけない格好だ。

 夕刻を過ぎ薄暗くなった外の景色と、ロヴェの艶っぽさの対比がとても目に毒な気がして、リトはまた頬が熱くなった。

「どうした、そんなところに突っ立って。リト、おいで」

「はっ、はい!」

 自分の番の美しさに見惚れていたとは恥ずかしくて言えず、火照る顔のままリトは慌ててロヴェの傍へ駆け寄った。
 近くまで行くと、グラスをテーブルに置いたロヴェがごく自然にリトを引き寄せ、膝に載せる。近頃ではお決まりの定位置だ。

「良い香りがするな」

「心が落ち着く香りですよね。ミリィが選んでくれました」

「リトの匂いと相まってなんとも言えない香りだ。たまらなくそそられる」

「えっ!」

 首筋に顔を埋めたロヴェに匂いを嗅がれている。それだけでも恥ずかしいというのに、熱のこもったうっとりとしたため息を吐かれると、身体がぞくりとした。
 本当に匂いに興奮してきたのか、ロヴェは首筋を甘噛みし始めただけでなく、舌先で何度も味わうみたいに舐め出す。

(匂いが合わさる相性ってあるの?)

「リト、君の匂いが変化した気がする。香油のせいかと思ったがやけに甘く感じる」

「そうなんですか? もしかして果実の影響?」

「わからない。だがこの匂いは、衝動と言うより発情を誘発されるような」

「体の受け入れる準備ができるって、そういうのも込み、なんでしょうか」

「リトの体が子を作りたがっていると言うことか?」

「うっ……」

 自分の体が自身より正直すぎるのは非常にいたたまれない。
 不思議そうに顔を上げたロヴェを見ると、熱湯で茹で上げられたかのような頬の熱さになる。いまのリトは黙って、黄金色の瞳を見つめ返すしかできなかった。

 狼狽えるリトの表情で察したのか、ロヴェは体を起こすと優しく頬を撫でてから、ついばむような口づけをくれる。
 時折舌で唇を撫でながら、リトをなだめる仕草をする彼のおかげで、緊張していた肩の力が抜けた。

(あ、でもロヴェが辛そう。ほんとに体が反応しちゃってる)

 膝の上にいるため、ロヴェの兆しを臀部の辺りに感じるが、いつもであればここまで早くない。
 元々獣人にとって番の匂いは安定剤にもなるし、興奮剤にもなる。それが普段以上に刺激が強いと感じているとしたら、かなりの我慢を強いているはずだ。

「ロヴェ、少し早いけど……ベッドに行きませんか?」

「良いのか? 場所を変えたら抑えきれなくなるかもしれない」

「全力で来られるとさすがに厳しいですけど、長い我慢をしてからよりも早い段階でちょっとずつ開放するほうが、ロヴェにも僕にも負担が少なそうに思えませんか?」

 心配そうに見下ろしてくる、ロヴェの腕にはめられた戒めの輪を、できたら少しずつでも外してあげたかった。
 リトを傷つけないために、腕輪を付けてくれているとわかっていても、通常一つで済むところを三つも付けているのだ。

 そっと腕輪を指でなぞると、ロヴェは眉尻を下げ情けない表情を浮かべる。

「大丈夫です。もしもロヴェが無茶しそうになったら噛みついてやります。……だから、連れて行って」

 縋るように首元に腕を回し強く抱きつけば、恐る恐る背中へ回された腕に優しく抱きしめ返された。