ロザハールの家門が国の力で潰えたのは建国以来初めてのことだった。
獣人を非道に扱い、非人道な研究を行っていたとしてルダール伯爵家は爵位領地ともに没収、当主を含む研究に関与した者たちは全員処刑が執行された。
自国民にここまで重たい処断が行われたのも初めてであり、過去にどのような功績があろうとも獣人、引いては国民に害を為す者には容赦をしないという警告にもなったはずだ。
これまで自ら剣を抜くことのなかったロザハールが牙を剥いた姿を目の当たりにして、隙を狙っていた敵国は随分と腰が引けたらしい。
吉報としては番も見つかり情勢も安定したのだから、無理に力のあるヘリューンと大々的に手を組む必要はないと結論が出された。
血生臭い空気が国に流れたものの、すぐあとに国王陛下の番が公表され、一時広まった噂もルダール伯爵家の悪意ある行為であったと明かされる。
しかしそれだけでは民に疑問が残るかもしれないと進言した宰相ベルイは、リトの了承を得て彼自身もまた被害者であったのだと付け加えた。
それから一年経った春の頃――
ロザハールの王都には色とりどりの花吹雪が舞っている。
婚姻の宣誓を行うために教会へ向かう国王陛下と番の乗った花馬車が道を進むたび、そこかしこで歓声が上がる。
真っ白な礼服に身を包んだ二人の姿が映える、花で飾られた馬車と騎士が騎乗した馬が列をなしている光景は圧巻だ。
「陛下、番さま、おめでとうございます!」
「きゃー! お二人とも素敵!」
「本当にお二人は仲睦まじくて理想の夫婦だわぁ」
祝いの声が響く中で年若い女性たちによるうっとりとしたため息も混じる。
以前まで女性たちのあいだでは理想の男性と名高かった国王陛下は、いまではすっかり結婚を夢みる女性たちの〝理想の夫〟となっていた。
いまも肌を冷やす春風が吹き抜けると、甲斐甲斐しく番の肩へ薄衣を掛け愛おしそうに見つめている。
獣人は元より番至上主義であると有名だったけれど、近頃は獣人と番いたいと望む人族女性が増えているとか。
宿屋のハンナが他国からやってくる女性が多くなり、宿の運営を見直している最中なのだとリトに手紙で教えてくれた。
今日は忙しくて花馬車の行列は見られないと残念がっていたけれど、少し前にお忍びで挨拶に行ったときには泣くほど喜んでくれ、全員はしゃいで飛び上がるほどだった。
「リト、気分は悪くないか?」
「大丈夫ですよ。ロヴェは心配しすぎ。もう安定期に入ったから問題ないって院長が言ってたでしょう?」
「だが君の体にもう一つ命が宿っていると思うと」
心配そうにリトの薄っぺらな腹を撫でるロヴェの手はひどく優しい。
妊娠が発覚する前、体調を崩したリトを目の当たりにした彼が顔面蒼白と言えるほど狼狽えたとは、さすがに民たちも想像できないだろう。
相変わらずリトは細身なので心配する気持ちはわかるのだが、診察してくれている院長は手放しで褒められるほど健康だと言っていた。
逆にロヴェの過保護を真に受けて部屋に引きこもる生活をしないようにとも。
それでもロヴェの生誕祭に合わせた婚姻は彼の一存で先延ばしにされ、春になりようやく今日を迎えた。
「ほら、せっかくの慶事です。そんな顔をしないで笑ってください」
「辛くなったらいつでも言ってくれ。王宮へ引き返す」
「民が楽しみにしていた日だというのに、なんて酷い王様でしょう」
「どんなに恨まれても俺にとって一番はリト、君だ。たとえこの子が生まれても順番は変わらないぞ」
「じゃあ、父さまの代わりに母さまが一番愛してあげるからね」
「だっ、駄目だ。君の一番は俺でないと」
お腹に添えた手を慌てたように掴んでくるロヴェの様子を見て、リトは思わず吹き出してしまった。
からかうつもりで言ったのに、いまにも泣き出しそうな顔をされてはこれ以上いじめるのは可哀想になる。
「僕が一番愛している夫はロヴェ、貴方です。でも我が子の一番はこの子ですよ」
しゅんとした耳を優しく撫でると頬にすり寄ってくる大きな獅子がたまらなく可愛い。
いつもは毅然として勇ましさを感じるロヴェが、自然と番に甘える様子を見た民たちも微笑ましそうに笑い声を漏らしている。
花馬車が到着した教会の周りは人だかりで、リトを抱き上げたままロヴェは赤い絨毯を踏みしめていく。
教会に参列者はおらず、最奥で宣誓に立ち会う大司教が待っているだけだ。
神聖な雰囲気の中を歩くロヴェの横顔が元来の美しさと華やかな白い礼服と相まって、舞い降りた戦の神かと錯覚しそうだった。
傷を帯びたその姿さえ神々しいと感じるのはリトの惚れた欲目だけではないはずだ。
「ロザハールの子らよ。聖杯より愛の証しをすくい神へと誓いなさい」
大司教の前には装飾が美しい水を湛えた杯があり、水底には二つの指輪が沈んでいる。
夫婦となる二人は聖水に浸かった指輪をお互いの指へはめてから誓いの言葉を紡ぐ。
ロヴェの節くれ立った指にはペパーミント色の水晶を基調とし、太陽みたいに温かいオレンジ色の魔力石が寄り添うように埋め込まれた指輪。
リトのほっそりとした指にはまったく逆の配色で彩られた指輪が煌めいた。
昨年の誕生日にリトが贈った水晶をロヴェの魔力石と合わせて結婚指輪を作ったのだ。
「ロヴェイン・ディル・ロザハールはこの魂が燃え尽きても、リト・ルルフィメールを永遠に愛することを誓う」
「リト・ルルフィメールは何度この魂が巡ろうとも、ロヴェイン・ディル・ロザハールを愛し抜くと誓います」
お互いの胸元へ手のひらを当てて祈れば、頭上から穏やかで優しい祝福の光が降り注いだ。
「我らの神は貴方たちの愛を祝福しておられます。……ふっ」
至極真面目な場面だというのに急に大司教が笑いをこぼしたので、リトは閉じていた瞳を思わず開いてしまった。
視界に映るのはロヴェと自分の足元、のはずが――幼い獅子が父親の足にしがみついている様子が見える。
ちらりとロヴェのほうへ視線を向けたら、なんとも言えない顔で眉間にしわを寄せていた。
最終的には甘えて長い足に頬をすり寄せる仕草に諦めを含んだ息をつき、小さな頭を思いのほか優しい手つきで撫でる。
「あっ……」
撫でられて満足したのか、仔獅子は満面の笑みを浮かべて光に溶けていった。
「先ほどの文句を言いに来たんですね」
「何度言われてもリトが一番なのは変わらないからな。だが俺は君との子はすべて愛するつもりだ」
「ロヴェは素敵なお父さんになりそうですね。みんなで幸せになりましょう。あの食堂で賑やかに過ごしたいです」
「ああ、末永く」
自然とお互いが寄り添い唇が触れ合ったとき、教会の外には空から光をまとった〝メイヴィー〟が降り注いで、集まった民たちの歓声が王都中に響いたという。
賢王ロヴェイン・ディル・ロザハールの名はこの先、ロザハール王国の歴史の中で長く語り継がれる。
そして番を最も深く愛した王として、始祖ロザハールに並ぶようになったのは――余談であろうか。
END