お付き合いしましょう
7/26

 室内に掠れた声が響いている。静かなそこでは、その声とベッドが軋む音と乾いた密着音、それがずっと止むことなく続いていた。
 ぎしりぎしりと音がするたび、上擦った声は嫌だ嫌だと繰り返す。それでもそこには縋るような甘さが含まれていた。

「ぁっ、やだっ、もぉ、や、あっあっ」

「全然説得力ないよ。こうちゃん、さっきからイキっぱなしじゃない。可愛い息子ちゃんがお口を開きっぱなしでだらだらだよ」

「ちがっ、違、うっ」

 後ろに両手を引っ張られて、のけ反るような不安定な体勢。強く掴まれた手首が痛いくらいだった。
 それなのに身体に押し込められた熱が、激しく出入りするたびに、ひんひんと啼いてしまう。

 頭の中はもうわけがわからなくて、幸司はいまにも意識を飛ばしそうだった。
 これは初めての夜の続き――ではない。こうして身体を繋げるのはこれで何度目か。

 週に三、四回くらいの頻度で呼び出されて、ラブホテルに連れ込まれている。
 本当に嫌ならば、電話に応答しなければいいし、着信拒否をしたっていい。

 ただ幸司はあまりにも真面目すぎて、そう言った対応を取る、という選択肢を持っていなかった。
 それに加え、お願いもまだ聞いてもらっていない。もしかしたら次こそは、などという変なポジティブ思考を持ち合わせていた。

 友人たちが知ったら間違いなく、あり得ないと訂正してくれただろう。
 しかしこんな状況、仲のいい友人にも言えやしない。

 淡い恋心を芽生えさせていた綺麗な女性――だと思っていた人に、組み敷かれているなんて。

「ぁっ、あぁっ……んっ」

「ん、……はぁ、こうちゃん、ますますえっちになってきたね」

 尻の奥でドクドクと熱が脈打つのがわかる。それとともに薄いゴムの中に、吐き出されたものまで感じた。
 手を離されてベッドに倒れ込んだ幸司は、荒い息を吐きながらぎゅっとシーツを掴む。

 すっかり慣らされた身体はこの行為で、気持ちいいという感覚しか拾わなくなった。
 最初の頃はまだ、苦しいとかやめてとか騒いでいたのに、いまでは挿れられれば、前を触らなくても射精してしまう。

 それにひどく戸惑いを覚える。会うたびもう嫌だ、そう言おうと思うのに、いまだになにも言葉にできずにいた。
 一方的な行為だけれど、幸司は真澄との繋がりが切れることを、心の中で拒んでいる。

「明後日の月曜日、真澄は早上がりだから、学校が終わったらお店に来て」

 終わると彼はさっさとシャワーを浴びて、気持ちをすっかり切り替える。甘いピロトークなんて、したことすらない。
 それでも許してしまうのは、真澄が時折見せる優しさと、惚れた弱み――というところだろう。

「真澄さん」

「なに?」

「あの、ずっと気になってたんだけど」

 バスルームから戻ってきた真澄が、きちりと着替え終わった姿を見て、幸司はのろのろと重たい身体を持ち上げる。
 そしてベッドボードから眼鏡を取ると、ちんまりと広いベッドの上に座り、綺麗な人を見上げた。

「なんで、こんなことするの?」

「え?」

「最初の頃なんて、セックスっていうか、毎回レイプみたいだったし。縛られた手首に痕が残って、人に見られないようにするの、大変だったんだよ」

 この関係が始まったばかりの時は、幸司が逃げないようにするためか、ホテルに着くなり手足を縛られベッドに転がされた。
 バスローブの紐やネクタイ、それらがない時はベルトできつく縛る。

 初日などはそれに気づかず、痣を見た友人たちにひどく心配された。あの美人はSMの気があったのかとオロオロされて、必死で言い訳をする羽目になった。

「えー、いまは十分、こうちゃんも気持ち良くなってるでしょ?」

「い、いや、それは、……確かに、そうだけど。そうじゃなくて! セックスって、好きな人とするんじゃないの?」

「わぁ、出た。純粋培養童貞」

 真剣な顔をする幸司に、真澄が苦笑いを浮かべてぼそりと呟く。けれどその声が届かなかった幸司は、訝しげな顔をして首を傾げた。見つめ合ったまま沈黙が続く。

「んー、こうちゃんは可愛いから、真澄は好きだよ」

「真澄さん、俺のこと好きなの?」

「そうそう、好き。だからえっちなことしたくなっちゃうの」

「そっか、……好き、なんだ。でも真澄さんは男の人だし、しかも俺が女役って」

 端から見れば軽く遊ばれていると、すぐにわかるような状況も、人を疑うことをしない幸司にかかれば、ザ・ポジティブ思考に変換される。
 俯いて悩む素振りを見せたのは、ほんの十数秒ほどで、すぐにぱっと明るい笑みを浮かべた。

「わかりました! 色々と考える部分はあるんだけど。そういうことならお付き合いしましょう! ちょっとなし崩しでなあなあになってたから、真澄さんも言い出せなかったんだよね?」

「そーきたか、これは天然記念物だ」

「真澄さん?」

「えーっと、そうね。よし、じゃあ、付き合おっか」

「は、はいっ」

「真澄ね、可愛い恋人は毎日でも食べたいって、思うんだけど」

「え?」

 瞳を輝かせた幸司に、真澄もにっこりと笑みを浮かべる。一瞬、語尾にハートマークがつきそうな声音と、可愛いウィンクに騙されそうになった。
 さすがに鈍い幸司にも、その言葉の意味がすぐわかる。

 じわじわと顔を赤く染めれば、ベッド脇に立っていた彼が、近づくように乗り上がってきた。
 逃げ出すように、身体が後ろへ下がるけれど、腕を掴まれると逃げ場を失う。

 一見すると細く見える真澄だが、彼の力は身体の大きな幸司が敵わないほどだった。つつと辿るように指先で顎下を撫でられて、気分はか弱い仔猫だ。

「ま、毎日はさすがに壊れちゃうよ。いまでも翌日が結構辛い」

「えー、そうなの?」

「そ、それより! 付き合うならデートがしたい、です」

「デート?」

「ほら、映画とか、水族館とか、遊園地とか」

「デートねぇ」

 童貞感が満載な幸司の提案に、ふいに興味を失ったように真澄の手が離れていく。それは気が乗らないといった気持ちが、一目でわかる。

「嫌なら、いいんだけど。……俺みたいな冴えない男と一緒にデートなんて嫌だよね」

 自分の言葉に自分で傷つく。合コンに連れて行かれたのは、あの日が初めてだったが、これまで幸司は何度か友人に、女の子を紹介されている。
 それなのについ最近まで、キスはおろか、手さえ繋いだことがなかった。

 結果は言わずもがな。女の子たちに振られた原因は――性格が暗い、見た目がダサい、気が利かない、話すと苛々するなどバリエーションが豊かだ。

 付き合いたいと言ってくれる、珍妙な人は一人もいなかった。少し浮かれすぎた自分に気づき、大きなため息を吐き出した。

「あれ? えー? こうちゃん? 落ち込んじゃった? あー、そっか、全部が初体験なんだもんね。んー、まあ、いっか。真澄、こうちゃん気に入ってるし。じゃあ、デートする? こうちゃんは明日、学校休みだし、これから夜景の見えるバーなんてどう?」

「……え、い、行きたいっ」

「ならシャワー浴びておいで、そのあいだに予約を取っておくから」

 うな垂れていた幸司の頭を、文字通りよしよしと撫でて、真澄はバッグからスマートフォンを取り出す。
 それをちらつかせるように目の前で振られて、幸司は慌ただしくベッドから飛び降りた。

 待てをさせられたところにご馳走を与えられたような気分だ。いつものように腰が重かったけれど、いまばかりはそれを忘れた。

リアクション各5回・メッセージ:Clap