小さな執着が嬉しい
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 甘い香水の香り――この匂いが好きだと言ったら、恋に効く魅惑の香水なのだと教えてくれた。
 匂いに惹き寄せられた幸司からすると、あながち間違いではないと思わされる。

 華やかで濃厚な香りは、個性的な真澄によく似ていた。ふんわりと甘く香ってくるのに、絡みつくようなしつこさはない。
 さらりと空気に溶け込むような。

 だからこそ彼の匂いをもっと感じたくて、追いかけたくなる。気づけば虜になってしまうような、たまらない香りだ。

「こうちゃんっ」

「え? ああ、うん。えっと」

 ふいに聞こえた声に、幸司の肩が無意識に跳ね上がる。ハッとして横を見れば、真澄にじっと見つめられていた。匂いに気を取られすぎて、ぼんやりとしていたことに気づく。

「話、聞いてなかったな?」

「ご、ごめん。なに?」

「次のデート、どこに行きたい?」

「えっ! 次もあるの?」

 今日のデートは我がままなことを言ったので、仕方なく、一度きりだろうと思っていた。予想外の言葉に、幸司の身体が前のめりになる。
 その様子に真澄は、楽しげにやんわりと笑う。

「こうちゃん次第かな」

「ど、どうすればいいの?」

「そうだなぁ、真澄にいっぱい好きって言ってくれる?」

 テーブルに頬杖をついて、下から見上げてくる仕草に、胸がドキリとする。瞳は照明のせいか、潤んだように煌めいて見えた。
 ゴクリと喉を鳴らして唾を飲み込めば、早くとせっつかれる。

「す、す、す……」

「その次は?」

 肝心の場面――いつもの調子で声がどもり、格好良く告白ができない。その様子に頑張れ頑張れと手を叩かれて、ますます恥ずかしい気持ちになった。
 けれどしばらく真澄の笑顔を見ていたら、すっと優しく気持ちが凪いだ。

「真澄さん、す……」

「あれ? 真澄じゃん」

 いざ声を発そうとした瞬間、二人のあいだを裂くように、腕が割り込む。驚いてその先を見上げたら、幸司とさほど変わらない体格の背中があった。

 突然のことに戸惑いを覚えるが、声を上げようにも、初めての人には話しかけられないのが幸司だ。どうしようかと真澄を見ると、彼はひどく訝しげな顔をしている。

「おい、もう忘れたのかよ」

「……あ、あー、タカシくん、だっけ?」

 しばらく眉を寄せ、考え込んでいた真澄だけれど、ようやくピンときたのか彼を指さした。その仕草に目の前の背中が、ため息をついたのがわかる。

「相変わらず適当だな。なにしてんの? 一緒に遊ばない?」

「え?」

 隣に座っている幸司の姿が、まったく見えていないと言わんばかりに、タカシはいきなり真澄に誘いをかける。
 驚く幸司の声すら、聞いていないのだろう。彼は振り向くことなく、真澄に手を伸ばした。

 だがタカシの手を払い、彼はぎゅっと幸司の手を握りしめる。

「いまはデート中だから」

「……っていうか、雑食なのも相変わらず」

「失礼だな。真澄はダイヤモンドの原石が好きなんだよ」

「じゃあ、いいや。それも混ぜて三人で遊ぼう」

「んー、三人、か」

 見知らぬ男に雑に指をさされて、幸司は思わずムッとした。さらにはデート中の相手には、悩む素振りを見せられて、胸の内が複雑になる。
 どうしようかな、などと呟く真澄の手をきつく握り返した。

「お、俺は、嫌です!」

「は? あんたの意見は聞いてないし」

 必死な顔で声を上げた幸司を見て、タカシは鬱陶しげに眉を寄せた。その反応にますます苛立ちが増す。
仮にも付き合おうと言った初日に、よくわからない男を交えて遊ぶだなんて、あり得ないだろう。

 きゅっと唇を引き結び、その場を立とうと、幸司は身体に力を込める。しかしその前に握った手を引き寄せられた。

「やっぱやめた。可愛いこうちゃんは、真澄だけのものだから、ほかの男になんて見せてあげない」

「なっ、趣味悪くなり過ぎじゃねぇの」

「この子の良さは、真澄だけ知ってればいいの。バイバイ、もう邪魔しないで」

「そんなもっさりとした男の、どこがいいんだよ! 意味分かんねぇっ」

 ひらひらとすげなく真澄に手を振られて、タカシは鋭い目で幸司を睨んできた。

「原石どころかクズ石だろうがっ」

「……それ以上、こうちゃんの悪口を言ったら、さすがに俺もキレるよ?」

 一段低くなった真澄の声に、タカシは小さく肩を跳ね上げる。まだなにか言いたそうな顔をしているけれど、彼は真澄の視線から逃れるように、舌打ちをしながら去って行く。

 乱雑に歩いて、ウェイターを押し退けていく後ろ姿。それを眺めていたら、格好悪い男だと真澄は笑った。

 再び静けさが戻ると、隣の彼はカクテルに手を伸ばした。グラスを傾ける横顔を見つめながら、幸司もひと息つくように、ルビー色のカクテルに口を付ける。
 そして爽やかな甘みを舌に載せて、浮かんだ疑問を言葉にした。

「あの、真澄さん。遊ぶってどういう意味だったの?」

「え? わかんないで嫌って言ったの? もう可愛すぎて笑える」

 うぶな質問に振り向いた真澄は、目をまん丸くして驚いたあと、言葉どおりに声を上げて笑う。
 あれだよあれ、と言われて幸司は首を傾げかけたが、先ほどまでの会話を反芻してその意味に気づく。

「さ、三人でって、そういうことっ?」

「ああ、こうちゃんといると笑いに事欠かないわぁ」

「ひ、酷いよ。それを一瞬でも考えたなんて」

「ごめんごめん。いつもと違うシチュエーションも、面白いかなって思ったんだけど。やっぱりえっちなこうちゃんは、真澄が独り占めしたいから、ね」

 眉を寄せる幸司に可愛くウィンクをして、真澄は指先で唇に触れてくる。
 少しばかり誤魔化されているような気はしたが、執着されていると思えば簡単に気持ちが浮つく。

「さっきの人、格好良かったよね。元彼?」

「違うよ、セフレ。真澄はいままで付き合った人いないから。そんな面倒くさいこと……あ、でもこうちゃんは特別」

「ほ、ほんとに?」

「うん、こうちゃんは可愛くて癒やされるからね。真澄史上、一番の特別だよ」

 んふふ、と蠱惑的に笑う初めての恋人は、とても破天荒だけれど、特別だと言われて、幸司は少しばかりの安心感を覚える。

 まだまだ彼の心の内は見えない部分が多い。
 だとしても面倒くさいことに、付き合ってくれている。それが答えなのだと、思わずにいられなかった。

「真澄さん」

「ん?」

「えっと、あの」

「こうちゃんは可愛いね」

 改めて仕切り直しと思ったが、再び言葉が詰まって、伝えられなかった。しかし言い逃した言葉は、次の機会に取って置けばいい。
 いまは指を絡めて握られた手を、ぎゅっと強く握り返した。