カミングアウト
10/26

 初の大人デートは充実の一時間半だった。人生の思い出になりそうなくらいの出来事と言える。
 真澄は終始ご機嫌で、最後まで幸司を離さなかった。

 そんなせっかくのデートが、それだけの時間で終わってしまったのには理由がある。日付を過ぎてすぐに、幸司が眠気を催したからだ。
 普段は友達と遊ぶ以外に予定がないので、そろそろ布団に入る時間だった。

「またデートしようね」

「は、はい、約束ですよ」

「うんうん、約束約束」

 どこか軽い返事をする真澄に心配になるが、彼は満面の笑みで幸司の小指と、自分の小指を結ぶ。
 指切り――たったそれだけの仕草で胸が高鳴るのは、やはりこの人が好きだからだろう。

 笑っている顔を見ながら、幸司はそれをじっくりと噛みしめる。
 ふと上がった目線につられて見つめ返せば、なにかを思いついたのか、真澄はぱあっと明るい笑みを浮かべた。

 戸惑いがちに幸司が首を傾げると、小指がほどけて、代わりに両手が伸ばされる。
 その動作は一瞬で、避けることも止めることも叶わなかった。

「んっ」

 伸びてきた両手に頬を掴まれ、ぐっと力任せに引き寄せられる。そして口を柔らかなもので塞がれた。
 驚いて固まっていると、閉じている唇を舌でこじ開けられる。

 滑り込んできたそれは、驚く幸司の気持ちなど意に介さず、たっぷり味わうみたいに口の中で暴れていく。
 歯や上顎、頬の裏まで隅々と撫でられて、立っている足が震えた。

「んぅっ」

「はあ、こうちゃん、口の中が熱いね。お酒に酔ってる? それともおねむだからかな?」

 唾液の糸が引く――そんな場面を、経験するとは思わなかった。こぼれるものを指先で拭われて、ビクンと肩が跳ね上がる。
 そんな自分の反応に幸司はとっさに俯き、頬を染めた。

 しかし恥じらうほどに、目の前の人は嬉々とした顔を見せる。また口づけようとしているのを察して、幸司は後ろへと逃げた。

「真澄さん、ここ外」

「こんな時間だし人は少ないよ」

「でも見られてる」

「見せつけておきなよ。真澄、こんな格好だから、男同士だってバレないよ。大丈夫大丈夫」

 無責任に、あっけらかんと笑う彼にため息がこぼれた。確かに終電を過ぎた時間帯で、駅に人はほとんどいない。
 しかし誰もいないわけではなく、見るからに濃厚な口づけを交わしている、自分たちに向けられる視線を感じた。

 しかもいま立つ場所は幸司の最寄り駅だ。いつどこで知り合いと遭遇するかわからない。

「こうちゃん、真っ赤か。可愛い」

「もう、見ないで。ま、真澄さん、家までタクシーだよね? わざわざここまで送らなくても良かったのに」

「えー、あわよくばこうちゃんちに、って思ったんだけど」

「だ、駄目! うち実家だし、家族全員いるし、こんな時間に連れ帰ったら」

「そっかぁ、ざんねーん」

 幸司が言い終わらぬうちに、あっさりと後ろへ下がられてしまった。それに少しばかり寂しさを覚えるが、このまま真澄を連れ帰るわけにはいかない。
 明日、幸司は休みだが、彼は仕事がある。

 ここからどのくらいの場所に、家があるのかわからないけれど、送るべきは自分のほうだったのではないか。

「じゃあ、真澄は一人寂しく帰るね」

「ええっ、そんな言い方」

「うそうそ、大丈夫。今日は楽しかったよ」

「う、うん、俺も楽しかった」

 幸司の頭をあやすように撫でた真澄は、機嫌良さげに笑ったあと、両手を広げて見せてくる。
 じっと見つめられ、幸司はおずおずとその腕の中に収まった。

「明後日は忘れずに店に来てね」

「わかった」

「いい子いい子。こうちゃんは可愛いね」

 ぎゅっと抱きしめられて背中をぽんぽんと叩かれる。真澄のぬくもりと香りを感じれば、急に離れがたくなった。
 それでもしばらく抱き合うと、彼はゆっくりと離れていく。

「それじゃあ、またね」

「うん、おやすみなさい」

 ひらひらと手を振られて、タクシーに乗り込んでいく姿を見送る。車が走り去るのを見届けてから、幸司はいつもより軽い足取りで一歩を踏み出した。

 お酒が入ってふわふわとしている自覚はあるが、それだけではない。やるだけやったあとはすぐに帰ってしまう彼が、こんな時間まで一緒にいてくれた。
 たったそれだけのことがご褒美のように思えた。

 付き合うと言ってくれて、またデートしようとも言われた。それが夢ではないと確認するために、繋がったばかりのメッセージアプリを起動させる。

 ――おやすみなさい。また会うの楽しみにしてる
 ――早速ありがと~! 次はパンケーキでも食べに行く?
 ――行きたい!
 ――調べておくね
 ――そうだ。二人でいる時くらいは素でもいいよ
 ――優しい! そういうところいいよね

 可愛いイラストを受信して、そこに描かれた大好きの文字にドキドキとする。恋人らしいやり取りにほんわりと、胸が温かくなった。

「ただいまぁ」

「おかえりぃ」

「おかえりなさい」

「……! びっくりした! 小春、咲斗、お前たちこんな時間まで、どこに行ってたんだよ」

 玄関扉を開けて声を上げた瞬間に、背後から聞き慣れた声がして、肩が大きく跳ね上がる。
 驚き戸惑う幸司の背中に、どーんという声とともに二つの重みがのし掛かった。

 腰に巻きついて笑っている少女は、妹の小春で、その後ろで小春を抱きしめているのが弟の咲斗だ。
 四つ下の弟妹は、そっくりな顔を持ち上げて幸司を見つめる。

「コンビニに行ってきた。こはがお腹空いたって言うから」

「こう兄も食べる? ケーキとアイス買ってきたよ」

「そっか、うん、食べるよ」

 二人に押されて家に上がると、明かりの灯ったリビングに足を向ける。しかし踏み込む前に、後ろにいた小春たちに追い抜かれた。
 パタパタとスリッパの音が響き、すぐにまた違う声が聞こえてくる。

「そうなのか!」

「まあ、それはお赤飯ね!」

「あれ? 父さんと母さんも起きてたの?」

「幸司!」

「恋人ができたんですって?」

「ええっ?」

 こんな時間に、家族全員揃うなんて珍しいものだ、のんきにそう思っていた幸司は、両親の反応にまた肩を跳ね上げた。
 とっさに二人の傍にいる弟妹を見れば、含みのある顔で笑っている。

 駅から家まで徒歩六分ほど。
 一番近いコンビニは駅から徒歩一分だ。そのことを瞬時に理解すると、幸司は茹で上げられたように顔を赤くする。

 先ほどの場面を見ていた人の中に、家族である小春と咲斗が含まれていたのだ。

「すんごい美人だったよ」

「スタイル良くてモデルみたいな人だった」

「そうか、でも幸司だって元はいいんだから。……そうだ! この機会にイメチェンなんてどうだ?」

「いいわね、髪の毛も明るく染めちゃいましょう!」

 なおも煽ってくる弟妹に苦笑いしか浮かばない。
 秘蔵の酒でも持ち出しそうな勢いの父と、本当に赤飯を炊き出しかねない母を、どうやって止めるべきか考えてしまう。

「いや、あの、見た目はそのままでいいって言ってくれたから」

「まあ、なんてできた彼女さん」

「……あ、えっと、……彼氏です」

「え?」

 反射的に返事をしてしまい、賑やかだった空気が一瞬にしてしんと静まる。黙ってそれとなく頷いていれば良かったものを、どうして訂正してしまったのか。

 じわじわと込み上がってくる焦りに、熱かった顔が急速に冷めていく。
 しかしそんな幸司に小春と咲斗はあーあ、と呆れた声を上げた。

「こう兄、言っちゃった」

「せっかくオブラートに包んであげたのに」

「え、なに? 気づいてたの?」

「気づくよー。女性の格好してたけど、ねー」

「そうそう、骨格を見ればわかるよ」

「えっ、そうなの?」

 得意気に語る二人に、幸司はまた顔を赤くしてあたふたとする。
 どれほど近距離で見られたのかは定かではないが、友人たちでさえ彼を女の子だと疑っていなかった。

 それなのに一目見ただけでわかる、この二人の洞察力が怖い。

「お父さん、残念ながら男性同士の仕方は教えてあげられないなぁ」

「いい、いいよ! 教えてくれなくったって!」

 ひどく難しい顔をして唸った父に、声が思わず上擦った。そもそも教えてもらう以前に段階を超えている。
 さすがにそれは口にできなくて、あれこれ言い訳を連ねて誤魔化した。

 兄の、息子の恋人が男だったことに驚くどころか、興味津々過ぎて――やはり連れてこなくて良かったと思う。
 こんな時間に恋人を連れ帰ったら、聞き耳を立てられやしないか、そう考えたのは見当違いではなかった。

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