新しい黒猫いりませんか?07
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 河原から土手の道に出る、申し訳程度の階段は、僕が通ってきた道の反対側にあった。
 手前ばかりを気にしていて、向かい側を見落としていたわけだ。

 水没した携帯電話を拾い、そこからなんとか地上に脱出して、雨の中を二人で歩いて帰った。

 お店に着くと、店の前でウロウロと視線をさ迷わせていた、吉吾さんと目が合う。すると彼はその途端に、雨などお構いなしに駆け寄ってきて、昭太郎くんを抱きしめた。
 良かった良かったと涙を浮かべて、顔をしわくちゃにしながら喜ぶその姿に、ひどく申し訳なさが募ってしまう。

「ミハネくん、ありがとうな」

「すみません! 僕が学校に着くのが遅くなったせいです」

「なに言ってんだ。お前さん、顔も膝もボロボロじゃないか。一生懸命に探してくれたんだろ?」

 ふいに伸びてきた手に、頭を優しく撫でられて、緊張が解けた僕は感情が込み上がってきそうになり、唇を噛んだ。
 目を潤ませてしまったことに気づいたのか、吉吾さんは何度もありがとうと言ってくれた。

「おじいちゃん」

「なんだ?」

「猫さん、怪我してるの」

「ん? 猫?」

 前掛けを引っ張った、昭太郎くんの言葉で視線を落とすと、あれまあ、と彼は慌てた声を出す。
 そして病院だ病院! と大声を上げて、母屋のほうにいたらしい寧々子さんが、その声にびっくりした様子で飛び出してきた。

 いきなり大きな声で、そんなことを言われたら、孫が大怪我でもしたのかと思うだろう。しかしそうではないことに、ほっとした顔を見せたが、彼女はすぐさま、息子を探しに出ていた有希さんに連絡をした。

「昭太郎ちゃん、猫ちゃんは病院に行くから、その前にお着替えしましょ」

「……あ、あの」

 猫をタオルで包んでから、びしょ濡れになった孫を抱き上げた寧々子さんは、母屋に戻ろうとする。
 吉吾さんは孫が帰ってきたと、近所に報告に回っている。そこで僕はさらに申し訳なくなりながら、振り向いた彼女に、ずっと抱きしめていたものを差し向けた。

「まあまあ」

 それを見た寧々子さんは、目をまん丸くさせて驚きをあらわにする。僕が着ていたシャツに包まれていたのは、まだ小さな子猫が四匹。
 みっみっと小さな声を上げて鳴いている。その声に母猫は、心配そうな鳴き声を上げた。

「お父さん! 猫ちゃん!」

「わかってる、猫だろう?」

「子猫ちゃんよ! ちっちゃい赤ちゃん!」

「え? 子猫?」

 珍しく大声を上げた奥さんに、なにをわかりきったことを、と振り返る吉吾さんだが、続いた言葉に大きく首を傾げる。
 そして戻ってくると、またあれまあ、と声を上げた。そして病院、いや里親か! と言いながらまた飛び出していった。

 昭太郎くんが着替えているあいだに、有希さんが帰ってきて、突然ちょっとちょっとと顔をしかめながら声を上げる。
 猫に驚いたのかと思ったのだが、もうもうと言いながら、彼女は父親と母親に怒った顔を見せた。

「お父さん、お母さん! ミハネくん、傷だらけじゃない! もう! 傷が化膿したらどうするのよ! ああ、ほらほら、血がいっぱいでてる」

 慌てた様子でレインコートを脱ぐと、母屋に駆け込み、有希さんは薬箱を抱えて戻ってくる。
 そしてごめんね、気の利かない人たちで、と言いながら僕の手のひらや頬、すり切れた膝の手当てをしてくれた。

 自分の息子の行方がわからなくて、心配していただろうに、僕の傷口を労ってくれる、その優しさに涙がこぼれた。

「痛かった? 痛かったよねぇ。よしよし、ミハネくん頑張ったね」

 子供みたいにぽつぽつと涙をこぼす僕に、優しい声で彼女もありがとうと言ってくれる。
 素性もわからないような子供に、まっすぐに気持ちを向けてくれる、この人たちは、なんて優しい人たちなのだろう。

「ミハネ」

 三毛猫と子猫が診察から戻ってくると、昭太郎くんは母屋の入り口で足をぶらぶらさせながら、母猫に寄り添う子猫たちを優しい目で見つめていた。

 それを近くで見ながら、微笑ましい気持ちになっていたら、ふいに名前を呼ばれて弾かれるように振り返ってしまう。
 いつもより少し慌てたような雰囲気と、手に握った傘を差さずにここまでやって来たのだろうその姿。

 僕は思わず苦笑してずぶ濡れだよって笑った。

「群青先生、ごめんね連絡が遅れて! ほんとに気の利かない両親でごめんなさい」

 店の前に立ち尽くす彼に、有希さんが深々と頭を下げる。どうやら猫を病院に連れて行って帰ってきて、いまだに連絡をしていないことに気づいた彼女が、電話をしてくれたみたいだ。
 娘の様子に、吉吾さんはすまんすまんと謝り、寧々子さんも頭を下げた。

「怪我したの消毒はしたけど、痛むようなら病院に連れて行ってね。治療費はうちに請求してくれていいから。ミハネくん、今日はもう先生と帰っていいよ」

「え?」

「手が痛むようなら、明日はお休みしても平気だからね」

「ありがとう、ございます。ご迷惑おかけしました。あっ! あの子」

「紹介しておく?」

「はい」

 いまもまだまっすぐとこちらを見ている彼に、歩み寄ろうとして僕はそれをやめた。そして後ろで首を傾げている有希さんに、視線を向ける。
 すると彼女は心得た、とばかりに小さく笑って、ちっちゃくてふかふかのその子を僕の手に預けた。

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