なんであんたが泣きそうになってるんだよって文句を言ってやりたいのに、声を出したら自分の涙声がバレそうで息を大きく吸い込むしか出来なかった。そのまま口をつぐんでいるとしばらく沈黙が続く。
けれど黙っているとまた扉が叩かれる。小さく数度ノックするように叩かれ、意識が背後に引き戻された。
「笠原さん、言い訳をさせてください。連絡できなくてすみません。忘れていたわけでも、蔑ろにするつもりでもありませんでした」
「嘘だ」
「……嘘じゃないです。今日は行けなくなったこと伝えるつもりでいました。ただあの人が、席を立つのを許してくれなくて」
「そんなにあの人が、あの女の人が大事かよ!」
我がままを律儀に聞くくらいあの人が大事なのかよ。その人が嫌だって言ったらなんでも言うこと聞くのかよ。
「違います! そういうことじゃないです。それにあの人は結婚しています」
「じゃあ、不倫?」
「えっ? 違います! そういう関係じゃないです。ただの相談相手です」
「ただの相談相手とキスして腕を組むのか。なんの相談だよ。やっぱり不倫だろう」
「キスって言うほどのものじゃないです。頬に挨拶程度で、腕を組むのはあの人の癖みたいなもので。……ちょっと待ってください! 誤解しないでください」
焦ったように珍しく早口でまくし立てる。どんどん声が大きくなって、もどかしさを表すように両拳で扉を叩く。背中から伝わる振動に身体が跳ねそうになった。
「勘違いさせてるみたいですが、あの人は自分の姉です。母のあいだに入って取り成してもらってるんです」
「姉? 取り成す?」
「はい、自分は今年三十二になったんですけど。最近母に結婚を急かされていて」
「結婚すんの?」
「結婚なんてしません! 自分は笠原さんと一緒にいたいですから。好きなのはあなただけです」
いきなり告白めいたことを言われて、心臓が跳ねて耳まで熱くなる。ドキドキと早まってきた心音に慌てて感情を振り払うように首を振った。だけど俺の意志とは反して胸は高鳴っていく。
「……俺は、好きじゃない」
「それでも好きです」
天の邪鬼な俺に甘い言葉は優しく囁かれた。
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