明日の空に射す光01
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 新年のはじまりはいつも決まった神社に初詣に出掛ける。優哉がいないあいだは親友の明良辺りに付き合ってもらっていた。一年の健康を願い、縁結びにも御利益のあるそこで恋人と早く一緒にいられますように、なんてお祈りをしていた。
 今年も新しい年を迎えていつもの場所へと向かう。今日は待ち望んでいた人と一緒に。

「優哉、大丈夫か? 眠くない?」

「大丈夫です。いまはなんとか」

 早朝の電車に揺られながら、隣にいる人は大きなあくびを噛みしめた。昔とは違い朝に強くなった彼にしては珍しい横顔だ。しかしのぞき込む僕の視線に少し苦笑いを浮かべるけれど、顔色は悪くないし言葉通り大丈夫なのだろう。

「心配したけど全然昨日のお酒は残ってる感じないな」

「ええ、我ながら自分の頑丈さに救われました。これで初詣に行けないことになったら自分を恨んでいたところです」

「でも昨日のあれじゃ、行けなくても仕方がなかったと思うぞ」

 困ったように眉を寄せる優哉の顔がちょっと可愛い。昨日は大晦日だったのだが、彼の古い友人であり時雨さんの秘書でもある荻野奈智さんが訪ねてきた。
 レストランのオープンで大きな借りを作っている優哉に、時雨さんの代わりに企業のカウントダウンパーティーへ参加するよう招待状を持ってきたのだ。それに対し即座に嫌だと反抗をしていたのだけれど、結局は有無を言わせない調子で頷かされていた。

 どうせなら僕も一緒にどうか、なんて誘われもしたが、優哉の猛反対を受けて留守番することになった。そして遅くならずに帰ってくるからと出掛けていった彼は、確かにさほど遅くない、日付が変わり一時間と経たないうちに帰ってきた。
 けれど珍しいほどにお酒の匂いをさせて。優哉がお酒をよく飲むことは知っている。しかし彼はかなり強いほうで、相当数の酒を飲んでも酔わないことも知っている。酒豪のお化けみたいな明良と飲んでも潰されることがないくらいだ。

「あんなによろよろになったお前は初めて見たな」

「俺もあんなに飲まされたのは初めてでした。吐き出す息が酒臭いのを自分でも感じるって相当ですよね」

 どうやらパーティーで優哉を気に入ってくれた人がいたようなのだが、その人はとにかくお酒が大好きで、優哉が飲めるのを知って大喜びであれこれと勧めてきたらしい。それに気づいた荻野さんにレスキューされたものの、その時点でだいぶ深酒だったというわけだ。

「けどかなりふらふらしてたのに帰ってきて自力でシャワー浴びてベッドで寝たのはさすがだ」

「いや、でもだいぶ記憶が曖昧でしたね。佐樹さんのベッドに潜り込んだことだけうっすらと記憶にあるくらいです」

「お前が記憶なくすとかほんとに相当だな」

「飲んでいる時は平気だったんですけど、タクシーがマンションに着いて、ああ、家に着いたと思ったら一気に酔いが回りました」

「うちに帰ってきて安心した?」

「はい」

 照れたように笑うその顔にこちらまで笑みが移る。あのマンションを自分の家だと思ってくれていることと、気が抜けてしまうくらいに彼の一部になっていることが嬉しかった。一緒に住んでいたら当たり前のことなのかもしれないが、ただいま、そう帰ってくるだけで心が跳ね上がるくらいだ。
 小さなそういう積み重ねが、二人の時間を示すようで幸せで仕方がない。

「佐樹さん? どうしたの?」

「なにが?」

「なんだか嬉しそうだよ」

「……ん、だって嬉しいし」

 顔をのぞき見るように身を屈めた優哉に頬が火照る。けれど誤魔化す気にもなれなくて正直に答えてしまった。そんな僕の返答に目を瞬かせて驚くけれど、すぐに彼はやんわりと笑みを浮かべる。

「俺はいつだって佐樹さんのところに、あの場所に帰ってきますからね」

「うん」

 隣り合った肩が少し近くなって温度を感じる。なにも言わなくても寄り添ってくれるそういうところがまたいいな、なんて顔が緩む。こんなことを言うとまた惚気てると周りに言われるのだが、惚気たっていいだろう。
 彼といると時折不安になっても優しく心を抱きしめられて、すくい上げられることが多い。それはいままであまり経験のないことだ。いつだってしっかりしなければと思うことが多かったから、寄りかかってもいいのかなって思えたのはたぶん初めてかもしれない。
 優哉といると初めての感情をたくさん知る。いままで気づかなかった自分の一部分を知る。

「これって参拝に向かう人ですよね」

「うん、間違いなく」

「なんだか以前に増して人が増えた印象ですね」

 電車を降りて神社に向かうまでの道のり、人の数がかなり多く感じられる。毎年僕が訪れている神社は、こちらにいた頃の優哉も毎年訪れていた場所だ。数年前と比べるとその数は圧倒的で、道の先を見れば階段の下のほうまで人の列がある。
 ここの神様はかなり有能で、行けば必ずと言われる御利益は噂で広まりテレビや雑誌でも有名だ。こういった行事ごとでなくとも参拝する人は多い。

「参拝が終わったらお守り返して新しいの買いたい」

「いいですよ。それが終わったら甘酒もらいに行きましょう」

「あ、賛成。人混みだけど結構冷えるよな」

「佐樹さん、指先が冷たい。手袋をしてきたら良かったのに」

「……っ! ちょ、手」

 ふいにじんわりとしたぬくもりが指先に触れて肩が跳ね上がる。けれど隣にいる恋人はなにごともない顔をして笑っている。ちょっと指先に手が触れたくらいで周りは気にしたりしないとわかっていても、不意打ちは胸の音が早くなってしまう。
 視線を落として手を引いたら温かい手はあっさりと離れていった。逃げたのは自分なのに寂しくなるのはちょっと我がまますぎだ。

「今日は早く出てきて良かったですね」

「ああ、うん。そうだな。思った以上に時間がかかりそうだ」

 時刻は七時半を回ったところ。けれどこの列はあと三十分くらいは優に続きそうに思える。混雑していない日は五分とかからない距離なのに、正月と言う行事をいまさら実感した。時折吹き付ける風は身体の芯を冷やしていく。

「お昼過ぎくらいには向こうに着くかな。参拝が済んだら連絡しておく。最寄りの駅まで迎えに来てくれるって」

「そうなんですか?」

「うん、いま詩織姉と保さんも来てるんだけど、車を出すって言ってくれたんだ。バスだと遅れたりもするから助かるな」

 今日は参拝を済ませたらそのまま実家に帰る予定だ。いつもだったら家族全員揃うのは夏くらいしかないのだが、僕たちが正月に実家に行くと聞いて長女夫婦も帰ってくることになった。
 冬は寒くて嫌だと言っていた姉だから、かなり優哉の帰国と今回の帰省を喜んでくれているのがわかる。

「いまの時期は向こう寒いから、もしかしたら雪が降ってるかもな」

「冬らしくていいですよ」

「あっちって暖かいのか?」

「んー、こっちとさほど変わらないですよ。この時期は時々雪が降るくらいですね。北に行くともうちょっと寒いですけど、俺がいたところはそこまでじゃなかったです」

「そういや気候が似てるって言ってたな」

「ええ、そうなんです。雪が降るとよく犬たちが庭を駆け回ってました」

 時々聞かせてくれる向こうでの話は色んな思い出が溢れていて楽しい。それを語る彼の顔がなによりもその時間の尊さを物語っていて、幸せだったんだなと思うほどに嬉しくなる。
 今朝も時雨さんからおめでとうメールは届いていたみたいだ。新年から忙しいあの人はいまは出張中らしい。荻野さんはそのあとを追いかけて朝一番の便で飛び立ったとか。彼もなかなか忙しい人だと思う。

「そろそろですね。なにをお願いしますか?」

「え? お願いごとする前にそれ聞くの?」

「駄目ですかね? なんだか気になって」

「んー、やっぱりいまの縁が末永く続くように、だ。それと無事にお前を帰してくれたことにお礼もしなくちゃな」

 一年の礼を尽くし、これからの一年に願いを込める。毎年毎年こうして両手を合わせて祈ってきた。二人の縁が途切れませんように、繋ぎ直すことができますようにと。いまこうして再び繋がった縁は二人で繋いだものだけれど、きっと願いが届いたからだ。

「俺もお礼をしなくちゃ駄目ですね」

「え?」

「こっちを立つ前にもお参りしたでしょう? その時に離れても繋がっていられるように目いっぱいお願いしました。心が離れないように一生分くらいの想いを込めて」

 ふっと優しく微笑んだその顔に胸がドキリとする。柔らかなその瞳に想いがこもっているように見えた。自分と同じくらい二人の縁を大切にしようと思ってくれていたのを感じる。
 それが伝わるとたまらない気持ちになった。あとで思いきり抱きしめよう、そう思いながら真剣な横顔を見つめて口の端が持ち上がるのをこらえた。

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