思い出の中の彼03
昔は学校へ着けばすぐに教科準備室にこもったものだが、それも懐かしい思い出だ。
いまではすっかり職員室に馴染み、準備室を利用する機会も少ない。
だからこそ、あそこには優哉との思い出がたくさん詰まっているとも言える。
時折、準備室へ行くと当時を思い出して、なんとも言えない気分になった。
登校してくる生徒と廊下で挨拶を交わし、職員室の自席に着いたら、向かいの机から手が伸びてくる。
コンコンとディスクケースで机を叩かれ、僕は視線を上げた。
「なんだ? これ」
DVDディスクと、ケースにマスキングテープでくっついた封筒。
差し出してくる手の持ち主には不釣り合いな、可愛らしい模様なのでなんとなく誰からなのか、予測はつくが。
「あずみから。整理してたら昔のデータを発掘したって」
「へぇ、ってことはまた時沢や三島と飲みに行ったのか?」
「昨日いきなり呼び出された」
机に頬杖をついてため息をつくのは、元教え子の峰岸。
彼の手からディスクを受け取り、猫のようにあくびをした峰岸に僕は苦笑いを返した。
学生時代から変わらずのイケメンぶりで、元モデルは無防備にあくびをしていても様になる。
この調子だと時沢――旧姓片平――に、遅くまで付き合わされたのだろう。
見た目が華やかで軽い印象を受けがちな峰岸は、わりと律儀だ。
時沢と同じく、優哉の幼馴染みである三島によると、ブツブツ文句を言いながらも、ほぼ時沢に最後まで付き合っていると聞く。
大体が思いつきの行動である時沢。
新婚である彼女の場合、夫婦げんかのときもあるけれど、昨日はデータを見つけて思い立ったが吉日、というやつに違いない。
そこに付き合う峰岸は見かけによらず、友人を大事にするタイプだ。
「あっ、これは懐かしい」
ディスクケースは鞄にしまい、僕は封筒のほうを開いた。
プリントアウトされた写真は二枚。
僕と優哉、そして峰岸たち三人の集合写真と、優哉のみのもの。
集合写真は僕が卒業式に列席できなかったから、わざわざみんなが卒業式後に家に来てくれた、学生時代最後の写真。
たぶんこれはすでに持っている写真を撮り直す前の一コマだ。
制服姿の彼らがひどく懐かしく、なんとなく胸がきゅっとする。
残る一枚は――
「こうやってみるとちょっと幼いよな」
「うん」
じっと写真に視線を落とす僕へ、峰岸がぽつりと呟く。
高校生の優哉は確かに、ほかの子たちに比べたら大人っぽいけれど、実際は少年らしい幼さも持ち合わせていたらしい。
むしろ中学生の時が色々な面で尖りすぎていて、子供らしさが皆無だったように思える。
高校生の彼が少年っぽく見えるのは僕だけでなく、峰岸や三島、時沢が傍にいたからだろう。
「記憶にあるより、なんだか可愛いな」
こんな言葉を本人の前で言ったら拗ねて怒って、またふて腐れてしまう。
あの頃はあんなに大人に見えて、大人びすぎたゆえに見ていると不安だった。
「僕も歳を取ったんだろうな」
「センセはいまでも可愛いぜ」
「はいはい、ありがとう」
「スルースキルが磨かれて、あたふたしてた昔が懐かしいな」
「うるさいぞ」
峰岸の茶化す言葉をおざなりに躱せば、彼はニヤリと笑ってから、手元のノートパソコンに視線を移した。
こうしてからかわれる場面は多いものの、彼の細やかな配慮には昔から助けられている。
「峰岸、わざわざありがとうな」
「どういたしまして」
視線を上げることなく返事をされたが、僕も気にせず写真を封筒へ戻し、本来の業務と向かい合った。
三年生の秋は、就活に受験勉強でかなり忙しい。
受け持つ僕自身も放課後まで、生徒たちが訪ねてきたり、廊下で呼び止められたり。
いまは勤めている教師たちの中でも、古参の立ち位置になったため、相談を持ちかけられる場合も多い。
昔の僕では考えられない状況だ。
「西岡先生、そろそろ帰宅時間ではないですか? 今日は水曜日ですよ」
「え? あー、もうこんな時間なんですね」
書類作りに精を出していたら、いつの間にか十八時を過ぎていた。
声をかけてくれた、恩師である新崎先生を振り返ると、にっこり笑われる。
「橘がお休みの日でしたよね」
「あっ、はい」
新任当初からお世話になっている新崎先生。
僕と優哉の関係をよく知っている人だけれど、実は来年、定年を迎えてしまうのだ。
誰よりも尊敬していた先生が、ここからいなくなるのはひどく寂しい。
「春までずっと忙しいですからね。適度に力を抜いて、根を詰めすぎないよう、気をつけてくださいね」
「はい、ありがとうございます」
帰り際にわざわざ声をかけてくれたらしく、新崎先生はそのまま退勤していった。
いまの僕はクラスを一つ任されているだけで、ほかに用事がない。切りのいいところまで作業をして、あとに続くことにした。
基本、毎週水曜日。隔週で木曜日も。
どうしても終わらせなければいけない仕事でない限り、遅くまで居残りせずに帰る。
新崎先生だけでなく、周りの先生もなんとなく把握しているため、帰りの挨拶をすればにこやかに返された。
駅まで向かうバスの中、優哉へこれから帰る旨をメッセージで送ると、数分してから少し遅くなると返信が来る。
いまちょうど、最後の用事を済ませている最中のようだ。
帰ったら晩ご飯の準備をしておこうかな。たぶん優哉が下準備をしてくれているだろうし、用意しているあいだに帰ってくるかも。
駅までは二十分ほどかかるけれど、マンションは電車で一駅。
優哉が大体の帰宅時刻を教えてくれたので、頭で色々と計算する。
しかし帰宅後の段取りは、優哉が帰ってきた途端、ものの見事に吹っ飛ぶことになった。
彼が帰ってきたのは僕が家について、三十分後くらいだったと思う。
着替えていざ、と思っていたところに玄関先から「ただいま」の声がした。
予想よりも早かったけれど、優哉を出迎えたくて急いで玄関へと向かった僕は、彼を見た瞬間ぽかんと口を開く。
「佐樹さん、ただいま」
僕の反応はお見通しだったのだろうか。
一時停止したみたいな僕に苦笑しながら、優哉は声をかけてくる。
「おか、えり」
数秒おいて出た僕の声はたどたどしく、状況を飲み込みきれていない。
だというのに、目の前の優哉を見る僕の目は、瞬きすら惜しいと言わんばかりだ。
「ここまで凝視されるとは思いませんでした。変ですか?」
「……! いや、変じゃない! すごく似合っている。というかあまりに懐かしい雰囲気になっていて」
そう、ひどく懐かしい。
帰国後の優哉は最初に出会った、ユウ時代のビジュアルに近かった。
少し髪の毛が長めで、それもまた色気があって良かったのだが。
いまは随分とさっぱり髪を切って、高校時代の優哉を思い出す。
襟足の長さだけでも、人は印象が変わるのだなとしみじみする。
優哉に恋をした高校時代の面影と、いまの大人になった優哉の魅力が合わさって、なんとも言えない破壊力だ。
顔の熱さに気づき、僕は思わず手うちわで扇いでしまった。
「ふぅん、佐樹さんはあの頃の俺が一番好きなんですね」
「いつの優哉だって好きだぞ」
「反応が素直すぎるくらい顕著ですよ」
「し、仕方ないだろ! 恋人として意識したのがその頃なんだから!」
靴を脱ぎ、近づいてきた優哉の顔面が目前まで来て、とっさにのけ反ってしまう。
さらに上昇していく顔の熱で、湯気が立ちそうな気分だ。
「ふふっ、佐樹さん、可愛い」
「うっ」
やんわりと目を細めて、ぐんと近づいた優哉に額へキスをされ、くぐもったうめき声が漏れた。
それがまた恥ずかしくて、顔の火照りは収まりそうにない。
僕の心境を見透かしている優哉は、ニコニコと笑みを浮かべたまま、腕を伸ばして緊張する僕の体を抱きしめる。
「可愛くて食べてしまいたい」
「……っ! 晩ご飯、食べよう! お腹、空いたし!」
艶を帯びた声にぎくりとした僕はとっさに話をそらす。
そんな僕に優哉は喉の奥で笑いをかみ殺していた。