第14話 深い闇の底を覗いた

 翌週の日曜日。
 念のため、事前に西岡の予定を聞き、確認をとってから出かける。

 しかし聞くまでもなく、これから行く場所にいるとわかり、相変わらずだなと一真は心の中で笑った。

 行き先はそこまで遠くない。電車を一度乗り換えて、三十分程度。駅からもわりと近いので、昼をわずかに外した時刻に向かう。

 目的の場所の混雑を避ける理由もあるが、そのほうが西岡もいる確率が高いのだ。

「いらっしゃいませ。……あら、峰岸さん」

 表通りから小道を入った先にあるのは、隠れ家的なレストラン。
 店の扉を開けば、長い三つ編みを胸元に垂らした女性が出迎えてくれる。フリルエプロンが似合う綺麗なお姉さんは、この店のウエイトレス。

「あかりさん、久しぶり」

「ご無沙汰ですね。先ほど佐樹さんが名前を出されていたので、来るのかなと予想はしていましたけど」

 ふふっと小さく笑ったあかりが後ろへ視線を向けたら、オープンキッチンとカウンター席からこちらを見る人物が二人。

「ほら、来ただろう?」

「どういう風の吹き回しだ?」

 正反対の反応で一真を出迎えたのは、毎日のように顔を見ている同職の西岡と、そのパートナーである元同級生の男だ。
 彼はこのレストランの店主でもある。

「センセ、隣、いいか?」

「いいぞ。昼は?」

「ここで食うつもり。ゆう、ランチ。お前のおすすめのほう」

 厨房が覗けるカウンター席。西岡の隣で椅子を引き、一真が腰掛けると、目の前から大きなため息が聞こえてくる。

「……お前はリゾットにしておけ。あまり重くない味付けに変えてやるから。ちょっと顔色が悪いぞ」

 ため息交じりで注文を受けた橘優哉は、一真を見るなり、整った顔をしかめた。
 そんなパートナーの反応に、西岡は驚いて振り向き、一真の顔を凝視する。

「確かに、いつもより。峰岸、大丈夫か?」

「大丈夫だ。少し疲れが溜まってる程度だって。心配ない」

「疲れてるんだったら、家で寝てろよ」

「おい、店長のくせして。飯を食いに来た客へ散々な物言いだな」

 棘のある言い方だけれど、一真を心配しているのはわかっている。昔から一真に対してはぶっきらぼうな男なのだ。

 普段は優等生ぶった物腰柔らかな王子様。
 しかしどちらかと言えば、こちらのほうが優哉の素だった。

 なのでその分だけ自分は気を許されていると、優越感に浸ったのも、若かりし日の思い出。
 ただし、人の顔を見るたび、眉をひそめるのだけは不服だった。

「お前の眉間のしわ、伸ばしたくなる」

「条件反射だ」

 高校時代の優哉は、一真と並んで顔がいいと評判だった男なので、眉間にしわが寄ろうとも男前で、抜群に顔が整っている。
 文化祭などは、二人を見るために女子がよく集まったものだ。

 例えるなら一真が明るい太陽で、優哉は物静かな月。もちろん見た目だけで言うならば、だが。
 口を開くと優哉は辛辣なので、実際はまったく物静かではない。

「今日はどうしたんだ? 調子が悪いのにわざわざここへ来たってことは、優哉に用があったのか?」

「ん? いや、正しくはセンセと優哉に用だな。日曜日にここに来ると二人揃うだろ?」

「僕と優哉に?」

 あかりが出してくれた、温かなコーンクリームスープをかき混ぜながら、一真は西岡と優哉に視線を向ける。
 すると二人して同じように首を傾げた。

(一緒に暮らしてると似てくるんだな)

 疑問符を浮かべた二人の顔を見て、込み上がった笑いを誤魔化すため、一真はスープを口に運ぶ。
 けれどさして飲まないうちに、優哉が訝しげな顔で口を開く。

「用って、なんだ?」

「おい、矢継ぎ早だな。スープくらい、ゆっくり飲ませろよ」

「お前が言い渋るから気持ち悪い」

「まったく、優哉は相変わらずだな。別に大した話じゃない。そろそろあんたたちにフラれようと思って」

「は?」

「え?」

 再び揃って同じ顔。驚きで上げた声まで揃っている。
 だが何年前の話だ――と思われても仕方ない。

 現在、一真も優哉も二十七歳で、今年の誕生日を迎えると二人とも二十八だ。
 高校三年の頃だから、十年以上も前の話を蒸し返していることになる。

「よほど具合が悪いのか?」

「やっぱり、好きな人ができたんだな!」

「え? 好きな人?」

 酷い一言目のあとに、西岡の言葉で優哉は目を丸くした。
 しばらくそのまま脳内処理をしているのか、一時停止をしてからもう一度「え?」と驚きをあらわにする。

「最近の峰岸、ちょっと違うんだ」

「センセ、声が大きい」

「わ、悪い」

 興奮のあまり思わず、なのだろうが、店内にまだ残っている客が皆、こちらを振り向いた。
 顔面偏差値の高い優哉目当ての客もいるため、同じく顔がいい一真にも視線が集まりがちだ。

 一真の言葉でハッと、いまいる場所を思い出した西岡は慌てて口を押さえ、噤んだ。

「ふぅん、お前がね。こじれてるお前を拾ってくれる相手がいたのか?」

「優哉、あんたはもっと俺に言葉を選べ」

「いまさらだろう?」

「ははっ、優哉は峰岸といると年相応だよな。親友? いや、悪友か」

「やめてください、佐樹さん。こいつと友人とか」

「ほんっと、心底失礼だな!」

 しばらく軽口で話をして、この感覚が懐かしいなと思い返す。弥彦とあずみもいれば、高校時代の賑やかさが再現される。
 正直な話。一真は高校三年の夏頃まで、西岡を除く三人に、非常に面倒がられていた。

 優哉は関わりたくないと思っていただろうし、あずみは顔も見たくないと公言していた。
 お人好しの弥彦でさえ、峰岸は苦手で好ましくないと口にしていたくらいだ。

 一真を含む四人のバランスをとったのが、西岡と言ってもいい。四人とも好意の種類は様々だが彼が好きで、いつでも力になりたいと思っていた。

 要するに、西岡佐樹という男は〝人たらし〟なのだ。本人はまったくの無自覚なのだけれど。
 おかげでいまがあるため、恋愛云々を抜いても、一真は彼にとても感謝している。

 将来やりたいものが見つからなかった、一真の指針にもなった人だ。

「で? 実際どうなんだ。上手くいきそうなのか?」

「僕らにフラれたいってことは、告白でもするのか?」

「二人して、随分と前のめりだな」

 店が休憩時間に入り、テーブル席に移動して胃に優しいリゾットを食べている、一真の目の前から圧を感じる。
 興味津々な様子を隠さない二人は正直だ。

「告白してきたのは向こうが先だけど。どうかな?」

「え? 告白されていてどうかなって、どういう意味だ?」

「待たせすぎて、逃げられかけているんじゃないですか?」

「いや、優哉。さすがにそれは」

 ぽつりとこぼした一真の言葉を聞き、西岡と優哉は顔を見合わせる。
 失礼極まりない優哉の台詞に、さすがの西岡もたしなめるものの、あながち間違いではないように思えた。

「なんか間男っぽいのが、いるんだよな」

「横からかっさらわれそうなのか? 馬鹿だなお前は」

「いまは友達らしいんだけど。元々出会い系で知り合った相手らしくて」

「事実確認したいのに、相手に対して臆病になって聞けないってやつだな」

「峰岸、恋してるな」

 弥彦もあずみも、希壱に近しい相手すぎて、ぼやきも悩みもこぼせなかった。その点、この二人は顔見知りであるが接点は多くない。

 だがふと一真は思い返す。

(優哉、希壱の幼馴染みだよな?)

 弥彦とあずみ、優哉は学校へ上がる前からの幼馴染みだ。
 高校時代は常に登下校が一緒で、わりと目立っていた。
 将来、あずみと結婚するのは優哉ではないか、と噂されていたくらいだった。

(ちょっと待てよ。イケメン好きな希壱が惚れてた相手って、もしかして)

 この二人はもれなくあずみの結婚式に参列している。
 しかも優哉は長らく料理の修業で海外にいて、当時、帰国したばかり――

「闇が深い。考えるのはやめよう」

「どうした?」

「なんでもねぇ、なにもない。俺は忘れる」

「なにを言ってるんだお前は」

 いきなり脈絡のない、意味不明な言葉を呟きだした一真に、思いきり訝しげな顔をする優哉。
 とはいえ、ここはあまり掘り返したくなかった。