第29話 眠り姫の目覚め
しばらくしてホールのほうへ戻ると、テーブルの上は誕生日仕様になっていた。
たくさんの料理が並んでいるが、優哉が作ったものと、弥彦の持ち込みもあるようだ。
料理と言えば、この二人だ。
あずみは料理が得意ではなく、主婦になって、いくらかするようになったらしいが、今回は食べる専門。
なんのためにここへ来ていたのか、忘れそうな出来事があったものの、希壱の表情が明るいので一真はほっとする。
とはいえ戻った途端、西岡を除く同級生三人組にニヤニヤされて、思わず舌打ちしてしまった。
「希壱はややこしくて面倒くさい男を、ほんとよく落としたよね」
「一真さんは、諦めたらそこで終了、って感じの人だし」
「ああ、そういうやつよね。去る者は追わないタイプ」
向かい側に座るあずみが希壱の言葉にうんうん、と大きく頷く。それに対し、一真はビールの入ったグラスを手にぽつんと呟く。
「追いかけるほど情があれば、話は別だな」
「えー、じゃあさ。希壱がもう別れるって言ったら?」
「……考える、かもしれない」
あずみの問いに一真の胸はツキンと痛んだが、出てきた言葉は非常に中途半端だった。
「えっ? 一真さん。俺を追いかけてくれないの?」
隣の希壱は一真の言葉を聞いて、驚愕、と言った表情で振り向く。
想像どおりの反応ではあるけれど、やはりいくら考えても「追いかける」と断言できない。
「あれじゃないか? 峰岸は希壱くんが本当に嫌で言ったのなら、無理に追いかけて引き止めたくないって思ったんじゃ」
「ああ、なるほど」
口を噤んだままの一真を代弁するみたいに、あずみの隣にいた西岡が補足をする。
萎れかけていた希壱は、彼の意見に納得して頷いた。のだが――
「でも俺から言う可能性はないかな。どっちかと言えば俺が一真さんにフラれそう」
「希壱はそいつにフラれるようなこと、やらかしてるのか?」
「えーと、色々? そのへんはあまり深く聞かれると」
優哉のからかいを含む問いかけに、希壱は急にごにょごにょしだす。
そうするとあずみと優哉がまたニヤニヤし始め、下世話な話が疎い、西岡と弥彦が頭に疑問符を浮かべる。
「希壱は体力が有り余ってるもんねぇ」
「峰岸は色々大変だな」
含みのありすぎるあずみと優哉の台詞に、あいだに挟まれる西岡はしばし首を傾げていたものの、思い当たったらしく苦笑いした。
「え? なんの話だ?」
一人だけ蚊帳の外な、弥彦がきょとんとする。しかし弟は隣の兄を振り返らない。
「希壱?」
「兄ちゃん、聞いていいことと駄目なことがあるんだ」
顔を赤くしながら言っても、まったく説得力がない。だというのに、弥彦にはピンと来ないらしく「わからないの俺だけ?」と嘆いて、笑いを誘った。
「あっ、一真さん」
「ん? どうした」
和やかに、誕生会と言う名の飲み会が進む中、希壱がスマートフォンを手に体を寄せてくる。画面を指さすので、一真は彼の手元を覗いた。
そこには誕生日おめでとうの文字と「付き合うことにしました」の文字。送信者の名前を見ると夏樹からだ。
希壱と一真が顔を見合わせていたら、今度は写真が送信されてきて、笑みを浮かべた夏樹と彬人が写っている。
「少し前に相談されてたんだけど。今日はめでたい日だから、だって」
「どうせ、俺たちも付き合うか。くらいの勢いだろ」
「え? 一真さん、なんでわかるの」
「わからないほうがおかしい」
二人が揃った場面を初めて見た一真でさえ気づいたのだから、ほかの者も気づいていそうだ。
夏樹の相手がなかなか見つからなかったのは、そのせいではないだろうか。
あとから聞いた話では、なにかと二人は一緒にいる機会が多いのだとか。
希壱と彬人が二人で会っていたのかと思ったあれも、夏樹を含めた三人だったらしい。
二人の雰囲気に気づいていなかったのは、当人たちと、希壱くらいに違いない。
「そういえば指輪の交換しないの?」
「は?」
「お揃いの指輪を買ったって、希壱に聞いたわよ~」
「希壱?」
「怒らないでよ。嬉しくてつい、いつもの調子であずみ姉に口が滑ったんだよ」
指輪は一真がここへ来る前に、確かに引き取ってきた。ただ今日、家に帰ってからゆっくり、と思っていたのだ。
「希壱はあずみに口が軽いの、気をつけろ。こいつはなんでもかんでも、話のネタにしてくるぞ」
「一真さんに迷惑をかけるなら気をつける」
大仰に一真がため息をついたら、希壱は指先で唇にバッテンを作る。しかしとっさに一真はその手を掴み、下ろさせた。
「そういう可愛いのここではやめろ」
「ええ? 一真さん理不尽だな」
「誕生会って言うより、バカップルを見守る会だな」
「こら、優哉」
「兄ちゃんは少し複雑だ」
なんとものんびりした雰囲気だ。
去年の今頃は、こんな状況になるとは想像もしなかった。希壱に対し弟みたいな感情しか抱いておらず、誕生日も把握していない。
それがいまは、誰よりも大切にしたい相手へ変わっている。
「一真さんは出来上がった指輪、見た?」
「受け渡しの時に確認した」
「どうだった?」
「仕方ねぇな。ちょっと待ってろ」
一度、存在が気になりだすと、なかなか頭から離れないものなのだろう。そわそわし始めた希壱に、一真は折れた。
荷物を置いていた椅子まで歩いて行き、紙袋からラッピングされた箱を二つ取り出す。シルバーとブルーシルバーの二色。
片方を希壱に向かって放り投げる真似をしたら、彼は跳ね上がるように驚いた。
「か、一真さん! 脅かさないで」
「いまの希壱の顔」
「そうやってすぐ、意地悪する」
ムッとした顔をする恋人の傍へ戻り、頬をつまむと、急に横を向いた希壱に手を囓られた。
わずかに一真が片眉を上げると、ふふんと笑いそうな、得意気な表情を浮かべる。
「ほら、こっちが俺の」
「え! 指輪をはめさせてくれるの?」
「ギャラリーの視線がうるせぇから、しょうがない。ぜってぇのちのちまで、文句を言うんだぜ。特にあずみ」
ブルーシルバーの箱を手渡すと、希壱の目がキラキラ輝き出す。理由はなんであれ、嬉しいものは嬉しいらしい。
「お姉ちゃんに感謝しなさい」
「あずみ姉、ありがとう!」
「得意気に感謝されてるなよ」
誇らしげなあずみの顔が、先ほどの希壱の顔とよく似ていた。
この二人は前世かなにかで、姉弟だったのではとたまに感じる。
「わあ、綺麗に出来上がったね。ひねりのところ注文どおり、光の反射でグラデーションができてる」
箱を開けると、V字のウェーブデザインの指輪。細かく指示しただけあって、非常に繊細な加工がされている。
装飾はつけなかったが、プラチナの輝きにプラスし、味わい深い色合いになった。
「一真さん早く!」
「めでたい曲でもかけてやろうか?」
「やめろ」
急かす希壱の声に、優哉が笑いながら天井のスピーカーを指さすので、一真は即座に言葉を返す。
「一真さん。俺が幸せにしてあげるからね」
「希壱、男前!」
「ギャラリーは黙っとけ」
一真の手を取った希壱は嬉しそうに、幸せそうにはにかんでいた。
これほどの表情を見ると、なぜいままで自分に自信が持てなかったのだろうと、一真は自分が情けなくなる。
希壱の気持ちは疑う部分など、欠片もなかった。最初から。
「仕方ねぇから、希壱の面倒は俺が一生見てやる。来年は引っ越しな」
「え? なにそれ、聞いてないよ! 峰岸」
「だから、外野は黙っとけ」
あずみの次に声を上げた、弥彦の焦った声に彼以外の全員がくすくすと笑う。
「はーい。二人の誓いを、時沢あずみが見届けまーす! 次は誓いのキスをどうぞ」
「はあ?」
「一真さん、しないの?」
「おーまーえーはっ、こんな時ばっかりその声、出しやがって」
希壱得意のおねだり声。
微妙なトーンの変化は、一真くらいしかわからないらしく、希壱はそれに気づいてから、ここぞという場面で駆使してくる。
「一真さん大好き」
そしてこの台詞で一真をやり込めるのだ。
「しょうがねぇな!」
ニコニコとしている、希壱のTシャツの襟首を掴むと、ぐいと引き寄せた一真は、勢いのまま彼の唇にキスをする。
周りから「おー」「やったな」とはやし立てる声と拍手が響くけれど、仕返しをしてきた希壱に捕まり、しばらくキスタイムが終わらなかった。
「今度、一真さんのお母さんにご挨拶、行こうね」
「いまさらかよ」
「だって恋人ができたら紹介してね、って言われてるんでしょ? 俺、いつ来るの、って聞かれた」
ようやくキスが終わったら、開口一番、親へのご挨拶宣言。
いつの間に母親とまで連絡先を交換していたのか。
一真は額を押さえて上を向くと、盛大なため息を吐いた。
「夏休みのうちにな」
「やった!」
喜びで万歳をする希壱に、一真の口元がほころぶ。彼が喜ぶなら、なんでもしてしまいそうな自分に、呆れつつも嬉しくなる。
長く止まっていた時間が動きだした。
恋や愛から逃げ、心の時間を止めていた一真は、ようやく自然と呼吸ができるようになった気がする。
それは長く眠りについていたお姫さまが、王子様のキスで目覚める瞬間。
end