第16話 タイミングの悪い自分を恨む

 駅まで二人、のんびり笑いながら歩いていたら、ふと学生時代を思い出す。
 昔は微妙な三角関係で、一真が先に優哉を好きだったのに、自分のせいで辛い思いをしているのでは――と、西岡になにかと気を使われた。

 それはまったくもって、彼の杞憂だったのだが。
 第一に、一真は二人が好きだった。そして一真が出会うより前から、優哉は西岡が好きだった。

(俺があいだでバタバタするほどに、二人の距離がなくなっていく感じだったよな。矢印の方向が完全に俺の一方通行だったし)

 当時から一真は、この二人は絶対に別れないと思っていたからこそ、安心して横恋慕していた、とも言える。

 あずみの言うように、一真は常に誰かに傍にいてほしい。そして愛していたい人間だった。ある意味二人はそんな欲を満たすにはうってつけ、とも言える。

 なのに――どうしていまはこんなにも、誰かを想うのが怖いのだろう。

(報われない恋に安心、か)

 臆病という言葉だけでは済まない感覚が、一真の心の隅にあった。新しい関係を築くのが、億劫なのではない。

 本当は怖いと感じている。

「峰岸、また来てやってくれな」

「そうだな。あいつ、俺よりも友達がいないしなぁ」

「それは言わないであげてくれ。結構気にしてるから。少しはすっきりしたか?」

「そうだな。なんとなくずっと、二人を言い訳に逃げてたんだろうな」

 二つの恋になぜか、一真は区切りをつけられていなかった。希壱が現れなければ、一歩前へ、進むことすらできなかっただろう。
 なぜなら区切りをつけて先へ進むのが、ただただ怖かったのだ。

「きっといままでは、峰岸のタイミングじゃなかったんだ」

「タイミングか……最近、悪いんだよな」

 こうばったりと嫌な場面に行き当たったりなど。そう思いつつ、苦笑いを浮かべた一真は、西岡と一緒に駅のホームに立った瞬間――胃が引き絞られたみたいに痛んだ。

(マジかよ)

 向かいのホームに、見覚えのある高身長の二人組。
 二回目とはいえ、偶然でここまで遭遇率が高いと、なにかの呪いではと思えた。

「あれ、あそこにいるの希壱くんと……何回か顔を合わせた覚えがあるお友達」

「センセ、連れの男と会ったことあんの?」

「え? ああ、何度か三島の家に寄った時、挨拶した。一時期よく来てたみたいだぞ」

「――家にも呼んでたのか」

(弥彦はまさか、相手が恋人候補だったとは思わないだろうしな)

 希壱よりいくらか低いのだろうが、さほど変わらない身長で、容易く希壱の頭を撫でられる高さ。
 見た目は無造作に結んだ髪型でも様になり、体格も大きく見栄えがいい。イケメン好きな希壱が好みそうな男前だ。

 相変わらず、楽しそうに笑っている希壱。自分といる時、彼はあんな風に笑っていただろうか。
 ふいに一真は、いままで過ごした希壱との時間が、よくわからなくなる。

 急行電車がホームを通りすぎ、雑音のためだろう。顔を寄せて話している様子に、一真は胃がチクチクとしてきた。

 希壱は違う――急に浮かんできた言葉。こんなにも胸がざわつくのはなぜなのか。

「峰岸、どうした? お前、顔が真っ青」

「悪い、センセ……ちょっと」

「えっ? 吐きそうか? やっぱり具合が悪かったんじゃないか!」

 西岡に背をさすられ、一真はベンチにたどり着くと、崩れ落ちるように座り込む。
 さらに胃がひっくり返るような感覚に襲われ、ぎゅっと両腕で体を抱き込みうずくまった。

「相当酷いんだろ。脂汗が滲んでる」

「悪い。先に帰っても」

「馬鹿か! こんな状態のお前を残して帰れるわけないだろ」

「マジで、ごめん」

「はあ、ほんと峰岸は。なんでもそうやってすぐ、自分で飲み込むの昔から悪い癖だ」

 体を二つに折り、下を向いた一真の汗をハンカチで拭いながら、西岡は呆れた様子でため息を吐く。

 背中を優しくさすられ、なぜあの程度の出来事で参っているのだろうと、一真は自分が情けなくなった。

 ぐるぐるとめまいがする中で、昔のことが思い返される。それはまだ西岡と接点がなく、一真が優哉を追いかけ回していた頃。

 周りのほとんどはじゃれているくらいの感覚だったけれど、中には少々過激な女子もいた。思春期ならではだろう。

 自身に見向きもしない一真に対して文句を言うのではなく、優哉に対し攻撃をしだして、何度か注意をした覚えがある。
 おかげで優哉にはますます面倒がられて散々だった。

 ――峰岸くんって、いつも彼女と長続きしないんだってね。ゲイだから? みんな想像と違って一緒にいてもつまらなかったって言ってた。

 業を煮やして突撃されて、そんな文句まで言われたが、正直一真は、みんなとは誰だと思った。
 一つの噂が、乗算されて増えるのはわりとよくある。だが――

(ああ、そうだ。毎度、別れるときの決まり文句は)

 ――わたし、飽きちゃった。

(飽きたってなんだよ。ったく、これで人間不信にならないとか、ねぇだろ)

 誰かを好きになるのが怖い。

 始まりから終わりを考えてしまう。

 西岡と優哉の関係が、絆が強すぎて自分には到底無理だと怖じ気づく。
 ある種のトラウマだ。道理で考えても、別れの場面を思い出せなかったはずだ。

 付き合っているあいだは一真の顔色を窺っていたのに、自分の思い通りにならないと気づくと、すぐに目移りをする。

 そして先ほどの台詞に繋がるわけだ。
 当初は一真もそういうものなのだろうと思って、諦めていた。

 けれど繰り返され、西岡たちの関係を知り、違うとわかってしまった。そうしたらまともに誰かと付き合おうなんて、思えなくなる。

 自分は人を上手く愛せないのだなと、自分が悪かったに違いない。欠陥があるのだと納得して、いつの間にか一真自身も原因がわからなくなっていた。

「一真さん!」

(……幻聴? なんか希壱の声が聞こえたような?)

「大丈夫? 一真さん? 意識ある?」

「き、いち?」

「良かった。意識が落ちてるのかと思った」

 トントンと肩を優しく叩かれ、名前を呼ばれて一真は顔を上げる。視線の先では、自分より真っ青なのでは、と思える顔で希壱が膝をついていた。

「驚きすぎて、心臓が止まるかと思った」

 周りの目を気にすることなく、一真を抱きしめた希壱の鼓動はひどく速く、背中へ回された手はかすかに震えている。

「胃を壊したくらいでどうにかならねぇよ」

「そんなのわかんないでしょ! 病院で診てもらってって、言ったのに! 行ってないんでしょう?」

「……お前が悪い」

「え?」

「お前が全部、悪い」

 酷い責任転嫁だ。自分で言っていても理不尽だと一真も思う。それでもいまはこうして心をかき乱してくる、希壱が悪いのだと思わずにいられなかった。

 手を伸ばして、自分よりも広い背中を抱きしめ返した――瞬間、一真はそのままブラックアウトした。