第22話 ささやかなお祝い

 五月の終わり頃――本人はまたうっかり忘れてスルーしそうになったが、希壱はどうやら妹から一真の誕生日を聞いたようだ。

 数日前に連絡があり、当日の予定を聞かれた。一瞬よくわからなくて間が空いたら、一緒に過ごしたいと言われ、ようやく自分の誕生日を思い出す有様。

 本当に忘れていた、と驚かれたものだ。

「大事なことなんだから、ちゃんと教えてくれないと」

 そして当日、待ち合わせ場所で、顔を合わせた一言目がこれである。

「誕生日とかそんなに祝うもんか?」

「ほかはどうか知らないけど、俺はカッコ仮でも恋人の誕生日は祝いたいタイプ」

「なるほど」

 やはり希壱はイベントごと重視派だ。一真自身はそれほど気にかけない。
 家族や友人の誕生日、記念日は覚えているのに、一真は毎年自分の誕生日を忘れがちだった。

 それでも家族が忘れずにいてくれるため、完全にスルーすることはない。
 今回も妹が希壱に知らせてくれたおかげで、誕生日という認識を持って過ごせた。

「一真さんが忘れちゃうなら、俺がずっと覚えておくね」

「そうだな。希壱だったら忘れなさそうだ」

「うん。じゃあ、行こう」

 本日は平日なので、お互いに仕事上がり。翌日はもれなく仕事なため、せめて食事くらい一緒にしようと決めていた。

 こういうときは、お互いの家がさほど離れていないのがいい。
 一真の最寄り駅で待ち合わせて、駅前の海産物メインの居酒屋へ向かう。

「一真さんは今日で二十八歳? 大人だな」

「年齢で大人か子供かなんて決まらない。歳がいってても子供みたいな人もいるし、若くても大人なやつもいる」

「まあ、そうなんだけど」

「希壱は俺から見れば、十分大人だよ」

 歳の差は一生縮まらないので、気にするだけ無駄だろう。第一に一真から見て、希壱はしっかりしているし大人びている。

 時折自分のほうがいつまでも立ち止まっていて、幼いなと感じる。

「一真さんは海鮮ものが好きなんだね」

 居酒屋に着いてメニューを眺めていると、希壱が小さく笑った。そんなにわかりやすい顔をしていただろうか、と思いつつ一真は珍しく自分から注文をしていく。

「調理が面倒で自分では買わないけど、肉より断然こっち」

「そっか、いいこと聞いた」

「希壱は料理するの好きみたいだけど、あんまり無理なくな」

「うん。もちろん。一真さんに遠慮させたら意味がないし」

 最近、色々とレパートリーを増やしてくる希壱には、頭が下がる思いだ。一真の家にやって来る最近の希壱は、必ず手土産付きだった。

 まだ退院して二週間程度だからと、胃に負担のない優しい料理ばかり。
 わざわざ覚えてくれ、作ってくれる優しさをしみじみと感じる。

「今日は酒を解禁していいんだろ?」

「んー、まあ、今日は主役だし。でも飲みすぎないでね」

 あらかた注文を済ませ、最後に一真は日本酒をチョイスした。退院してから一滴も飲んでいない状況を考えるなら、希壱の忠告は素直に受け入れるべきだ。

「とりあえず二合を冷やで。希壱はビールでいいのか?」

「うん。それでいいよ」

「明日が休みだったら、もう少し飲むんだけどな」

「調子が悪くなっても困るしね。生ものをあまり頼まなかったのはそのため?」

「いつもは大丈夫でも、いまはわからないしなぁ。仕事始めたての頃はしばらく油物は食えなかった」

 飄々としているおかげか、なにも問題ないと周りに言われていた一真が、胃薬を常備していたとは誰も思わないだろう。
 無意識に胃の辺りをさすると、希壱は心配そうな顔をする。

「一真さんってほんと神経が細やかすぎるんだよね、周りに対して。なのに自分に無頓着だから余計に心配になる」

「そうか? 昔はお前ほど図々しくて、失礼なやつはいないとか言われたけどな」

「一真さんがわざと、そういう風に見せてたんでしょ」

(相変わらず、すぐ見透かしてくるな)

 付き合いが長くなると次第に気づかれるのだが、ほかの誰よりも付き合いが短いはずの希壱は、一真をよく理解する。

 当初は警戒していたものの、いまではくすぐったさを覚えた。
 希壱はほかの誰とも違う。

 これまでのトラウマが甦るなんて、起こりそうにない。信じても大丈夫な人間だ。
 他人に心を預ける怖さの理由がわかり、少しずつだけれど、彼への警戒は薄れていた。

 しかし自身にこんなトラウマが潜んでいたとは、一真は思いも寄らなかった。
 これまでなんとなくでしか、違和感を捉えていなかったのは、自己防衛に近かったのかとも思える。あとは単純に時間が経ちすぎて、記憶があやふやだった。

 手元に届いたおちょこへ、希壱の手で酒を注がれるのを見ながら、一真はいまのための過去だったと思うことにする。

 すべてを飲み下す勢いで酒をあおったら、希壱に「おめでとうを言う暇がなかった」と叱られたけれど。

「そういや希壱は、友達がいないのか?」

「へ?」

 料理がテーブルに並び始め、ちまちまと魚の骨を取っていた一真は、ふっと思い浮かんだ疑問をこぼしてしまった。

 案の定、希壱は飲みかけた生ビールを吹き出しかける。あまりにも主語が足りなさすぎたようだ。

「悪い。一人もいない、とは思ってない」

「びっくりした。俺、そんなに寂しい人間だと思われていたのかと」

 手拭きで口元を拭いながら、希壱は眉尻を下げる。本当にそんな台詞だったら、失礼極まりないだろう。

「単に、ずっと見舞いに来てたし、最近も週末に来てたから、ほかの付き合いはいいのかと思っただけだ」

「あー、みんな新しい仕事で忙しいってのもあるし、いまはなるべく一真さんに時間を割きたい」

「そうか」

「そういう一真さんは?」

「俺はマジで友達がいないからな」

 これは冗談ではなく、一真には気軽にプライベートを楽しむような友達がいない。せいぜい希壱の兄姉、弥彦とあずみくらいだ。

 学生時代につるんでいた仲間は、仲間であって友人と呼べるものではなかった。そもそも親しくなろうとされても、深く踏み込ませなかったせいもある。
 ゆえに気が許せる相手は、両手で数え余るほどしかいない。

「んー、主に家族席に座ってたメンバーってことかな?」

「ああ、そうだな」

 あずみの結婚式で一真、西岡、優哉ともう一人は家族席だった。自分を含め、顔面と肩書きが無駄にキラキラとした席だった、と記憶している。

 だからこそ一般客と分けたのだが。

「なんだか懐かしいね」

「…………」

(そういや希壱の初恋? ってやっぱりあいつなのか?)

 いまだに西岡の恋人、優哉と自分を比べてみて、いいところが見つからない。
 急に一真が黙れば、串焼きを手にしたまま、希壱は不思議そうに目を瞬かせる。

「一真さん、どうしたの?」

「いや、自分の良さがよくわからなくてな」

「えぇ? それ本気で言ってるの? というか一真さんって自己評価が低すぎない? 普通ここまでスペックが高かったら、自意識過剰になってもおかしくないのに」

「過剰になりようがないだろ。俺だぞ」

「えー、待って。そんな風に自分で思っちゃうほど、周りは一真さんの性格をわかってないの?」

 あんぐり口を開けたかと思えば、額を押さえてうな垂れる希壱に、今度は一真が目を瞬かせる。

 希壱は常々、一真は性格が良いと言うけれど、本人はまったく意味がわからない。

「希壱のほうが過大評価なんじゃないか?」

「どこが? そんなに心底不思議そうな顔をしないで。さっきより驚くから」

(確かに仕事はできるとか、なにをさせても問題ないとか言われるけど。公的な部分であって、私的な部分は――)

「ああ、そうか」

「一真さん?」

 しばし考え込んでいた、一真がハッとした表情で顔を上げたので、希壱はビールを飲みつつ訝しそうに首を傾げる。

「基本的に俺は、決まった相手にしかプライベートな部分を見せないから、相手は俺のことを知りようがないんだ」

「そんな気はしてたけど。思っていた以上に、他人に対して鉄壁のガードだったんだね。一真さんって野良猫みたい」

「野良かよ」

「そう、警戒心が強くて、なれ合いはしなくて。でも本当は誰よりも寂しさを感じてる」

「俺はそんなに寂しそうか?」

 孤高の存在、などと言葉にすれば格好良く聞こえるが、孤独は嫌いなのに孤独な人。
 おそらく大半が前者を想像しているけれど、希壱が言っているのは後者だ。

「一真さんは自分で寂しくなっているのに気づかないというか、麻痺してるのかなぁ」

 困った人だ、と顔に書いてある希壱は頬杖をつき、小さく息をつく。
 実際、一真は自分が愛情に飢えていると、最近まであまりわかっていなかった。

「どこか一真さんは、自分は嫌われても仕方ない人間だって、思ってる節があるよね」

 一瞬、一真はドキリとした。
 確かにその感覚は心の片隅にいつもある。

 一真は場をまとめるため、意識的にヒール役を買って出る場合が多い。見た目の効果なのか、少しばかり尊大な態度をしても、一真なら――という雰囲気になるのだ。

 便利ではあるのだけれど、そうした分だけ周りが一歩引いて距離を取る。だからこそ高校時代、少々恥ずかしい〝キング〟なんてあだ名がつくのだ。

(まあ、優哉の〝王子〟もなかなか恥ずかしいけどな)

 当時、二大トップと言わしめた二人は、いまだに職員室の話のタネになる。
 どこへ行っても目を引く人間が二人もいたら、目立って当然だと、高校時代を知る者たちは口を揃えた。

「んー、もう少し周りが一真さんを理解していたわってほしい気持ちと、俺だけが一番近 くで一真さんを知れるんだっていう優越感の狭間で、もどかしい」

「……っ、希壱は素直で可愛いな」

 難しい顔をしてなにを言うかと思えば、あまりに可愛い発言で、一真は吹き出すように笑ってしまった。

「俺には結構大事な悩みなのに。……でも一真さんが笑ってくれるなら、なんでもいいかな。俺、一真さんの笑った顔が好き」

「奇特なやつだな」

「俺は一真さんへの愛が深いんだよ。今回のあれこれがあって、ますますそう思う。いまの俺、一真さん一色なんだ」

 まっすぐに臆面なく、告げてくる希壱には本当に敵わない。恥ずかしさで一真のほうがうろたえる。そわそわして「ふぅん」と相づちしか返せない。

「改めて一真さん、お誕生日おめでとう。一真さんのお母さんとお父さんに感謝しなきゃだね。一真さんがいまここにいてくれる、それ以上の喜びはないかも」

「希壱はほんと、まっすぐだな」

「自分ではわからないけど。一真さんにとって好ましければ、なんでもいい」

 ニコッと笑った希壱は、本当に眩しい存在だ。彼を好ましくないと思う人間が、この世にいるのか甚だ疑問だ。

 お試しだなんて言わずに、すぐに自分のものにしてしまえば良かった。そんな邪な感情が湧く。

 とはいえ自分は良くとも、希壱が一真に幻滅をする場合だってありえる。一定期間、お試しはすべきだろう。

 なにせ、いままでのフラれ文句が〝飽きた〟なのだから。想像と違った、思ったよりもつまらない――。

 彼女らは一体、どんな自分を求めていたのか。振り返ってみても、いまだに一真はよくわからなかった。

「そうだ、一真さん。俺、誕生日プレゼントを用意したんだ」

「わざわざ?」

「急だったから、大したものではないんだけど。一真さんに似合うかなって」

 希壱が鞄から取り出したのは、細長い箱だった。その時点で中身の想像はついたけれど、包みを開いてみれば、非常に趣味のいいデザインだ。

「ネクタイか。これは何本あっても助かる」

「でしょ? 俺も最近、それがわかった」

 社会人になって毎日スーツを着ると、ネクタイ選びに気を使う。つい普段は無難なデザインになりがちだ。

「ありがとうな。遠慮なく使わせてもらう」

「うん。あ、そうだ。これも渡さないと怒られる」

 希壱からのプレゼントを鞄へしまっていると、彼は思い出したようにもう一つ、包みを取り出した。

 差し出された中身は、おそらく万年筆あたりだろう。覚えのあるブランドロゴが印刷されている。

「ああ、弥彦とあずみか」

 わりと律儀な二人は、毎年なにかしら贈ってくれる。過分なものは要らない、気を使うな、と一真が言ってからは二人で一つのものに変わった。

「二人とも知ってるなら、早めに俺に教えてくれても良かったのに」

 兄姉から預かったプレゼントを一真に渡しつつ、希壱はわずかに不服そうな顔をする。

「俺に聞いていると思ったんじゃないか?」

「ありえるけど、一真さんをわかってないなぁ。自分に無頓着な一真さんが、俺に言ってくれるわけないのに」

「微妙にけなされている気がする」

「もしかして兄さんの嫌がらせとか? 一真さんと付き合う予定だって報告したら、やめておけ、とか言われたし」

 ふて腐れた希壱はブツブツと言いながら、ジョッキのビールをあおる。

「好きになる相手が、同性なのは仕方ないけど。一真さんよりもっといい男はたくさんいるぞ、とかほんとムカつく。そんな人、いるわけない!」

(最近の希壱が冷たい。お前のせいだって言う、弥彦の意味不明なメッセージ。これが原因か。自業自得だ)

 おそらく弥彦の拙い想像では、一真が希壱を毒牙にかけるイメージなのだろう。
 実際のところ、丸呑みの如く食われそうなのは、一真なのだが。そんな話をしても弥彦は余計に混乱するだろう。

「気にするな。なにかあればあずみが口を挟むだろ?」

「姉さんは手放しで喜んでくれた」

「だろうな」

 そのあとものんびりと二人で会話をして過ごし、翌朝に支障がない時間で解散をした。残り数日、頑張れば休みということもあり、珍しく希壱はごねずに改札を抜けた。

 土曜日、泊まりにいくからと、約束をしっかりしていくところが希壱らしい。彼の行動を図々しいと感じないのは、惚れた弱みなのだろうか。

 希壱を見送って、一真はわずかに寂しさを覚えながら家路に就いた。