第24話 これから二人の時間が始まる

 会計を済ませ、外に出てから一真は希壱の頭を撫でてやった。

「希壱、機嫌が良さそうだな」

「良くならないはずがないよね? だってこれで一真さんと正式にお付き合い、だよね? 夢とか、冗談とか。まさかその場しのぎじゃないよね?」

「そんなわけないだろ。シチュエーションがいまいちだったのは申し訳ないが」

「そっか、良かった」

 あまりにも無防備な笑顔。頭を撫でていたら本物の猫みたいに、ゴロゴロと喉が鳴りだすのではないかと思えた。
 それほど機嫌良さげな希壱を見ていると、一真にまで笑みが移ってくる。

「嬉しい。すっごい嬉しい。これからもよろしくね」

「ああ、末永く頼む。うちの女性陣に、希壱以外にいい男は現れないって言われてな」

「家族公認で嬉しい」

「さて、指輪。どこへ買いにいくかな」

 さりげなく希壱の手を取ると、一瞬ビクッとしたのち、驚きの表情で繋がれた手と、一真の顔を見比べていた。
 それでも落ち着くと、表情を崩してニマニマとし始める。

「高いやつじゃなくていいよ」

「それなりの物が長持ちする。来月は希壱の誕生日だし、いまから注文すれば間に合うだろう」

 頭の中で覚えのある宝飾店を並べ、精査する一真の横で、のんびりと歩きつつも希壱は頬を染めていた。

「長持ち。ほんとに長く付き合ってくれるつもりなんだ」

「……希壱はほんとに可愛いな」

 顔がゆるゆるすぎて、幸せがダダ漏れになっている。ここまで喜ばれると、やはりお試しなどいらなかったのでは、と思えた。

「よし、決めた。あまり仰々しい店は希壱、気後れするだろ? カジュアルだけど、質のいい物を扱ってるところがある」

「はあ、俺、こんなに幸せでいいのかな? 明日、地球が滅亡するとか起こらないかな? 大丈夫かな?」

「物騒な話だな」

 突拍子もないことまで言い始めて、思わず一真は苦笑する。

(そういえば俺と付き合うと決まっても、ここまで喜ぶような相手はいなかったな)

 いつも告白されて付き合うパターン――というよりもそれしかないのだけれど。

 告白を受け入れても、ここまではしゃがれた覚えがない。希壱は少しオーバーだが、心底喜んでくれたのは、彼だけではないだろうか。
 彼女たちは、賭けに勝ったような。

「ステータス、か」

「ん? なに?」

「いや、いままで付き合った相手は、ブランド品をゲットした気分だったのかなって」

 ぽつんと呟いた一真に対し、希壱はみるみる哀しげな顔になった。

「……そんなはずないよ。って言いたいけど。ありえそうで胸が痛い。一真さんはなにも悪くないのに、他人がレッテル貼って善し悪しを判断されてる感じがある」

「まあ、いまさらだけどな。悲愴な顔をするなよ。電車に乗って移動するぞ」

「うん。大丈夫! 俺が一真さんを幸せにするから」

「期待してる」

 拳を握りしめる希壱に笑みを返し、遅くなった歩みを早めると、一真は前を向いた。
 いつまでも、過去があーだこーだと考えていても仕方がない。いま考えるべきは希壱と一緒に歩いて行く未来だ。

 幸せの塊みたいな男にこの先、愛想を尽かされないようにする。
 それが一番の重要課題。

 分岐点に立ったいま、一歩を踏み出さなければ、なにも変われない。

「希壱はデザイン、どんなのがいいんだ?」

「シンプルなのがいいな。でも俺、指が太いから、幅の広いほうがいいかな?」

 電車に乗り二人並んで座りながら、これから向かう店のホームページを覗く。サンプルとして、取り扱いのある指輪の形やデザインが掲載されている。

 二人でスマートフォンを覗き込み、あれこれと眺めていると、ちらちらと視線が集まる。けれど一真は気にせず、希壱の声に耳を傾ける。

 そもそも希壱は、画面に集中して気づいていない。ならばそのまま、指輪選びに集中させてやりたくなる。

「希壱は指が太いって言うか。わりとゴツめなんだよな。指が長いから指輪が似合いそうだな」

 画面を指さす希壱の手を取ると、ぽっと頬が赤く染まった。誤魔化すためか、口元をニヤニヤとさせつつも、彼は画面をスワイプしてあれこれと指さす。

「このフラットのタイプもいいけどさ。ウェーブになってるやつもいい。S字とかV字」

「これとか良さそうだな」

「あ、それ、いい!」

 結局、電車の中で好みのデザインをお互いに出し合い、店に着く頃にはサイズを測ってサクサクと注文し終えてしまった。

 二人ともあまりぐだぐだと悩まず、物事の決断がきっぱりさっぱり、なところがある。今回はそういった部分が顕著だった。

 指輪はデザインや材質などを細かくオーダーしたので、通常より少し時間がかかるようだ。
 それでも八月初旬には仕上がるため、半ばの希壱の誕生日には間に合う。

「一真さん。ケーキ買って、一真さんの家に帰りたい、って言ったら怒る?」

「ケーキ? ああ、付き合った記念?」

 店を出て、用事を済ませれば夕刻だった。あとは夕食をどうするか、くらいしか考えが及ばなかった一真と希壱の違い。

 照れくさそうにしつつも、おねだり声になっている彼の頭を撫でると、一真は「行くぞ」と足を踏み出した。

「ねぇ! 明日、休みだよね? 今日は泊まっていい?」

「なんだよ。うちに泊まっていかないつもりだったのか?」

「……っ! 一真さん、大好き!」

 後ろからバタバタと駆けてくる希壱に、突然抱きつかれ、思いきり前のめる。それでもぎゅうっと抱きしめられたおかげで、倒れるのは防がれた。

「危ねぇな」

「ふふっ、俺いま、すごい幸せ」

 背中に額をぐりぐりと押しつけ、ぴったりとくっつく希壱の声が、かすかに涙声になった。
 けれど一真は気づかぬふりをして、黙って彼のぬくもりを背中に留める。

「希壱はなんのケーキがいいんだ?」

「チョコケーキかなぁ。できたらビターな感じがいい。もしなかったらシンプルに苺ショートがいいな」

「なるほど、なら寄り道して帰るぞ」

 最寄り駅にもケーキ屋はあるのだが、チョコレートケーキがおいしい店は、少し手前の駅にある。目的を定めた一真は、希壱の手を取って歩き始めた。

「一真さんって、臆面なく手を繋ぐんだね」

「気にするようなことか? 他人に迷惑かけるわけでもあるまいし」

「ふふっ、確かにそうだけどさ。でも嬉しいな。一真さんと手を繋ぎながら歩けるなんてさ。いまの俺、世界一の幸せ者」

「大げさだな」

 握った手をきゅっと握り返してくる希壱の手は、一真のものより大きい。一真も決して手が小さいわけではないのだが、体格差なのだろうか。

 手を握られると、包み込まれるような感覚がある。それとともに安心感も覚えた。

(これは初めての感情だ)

 気の置けない仲である弥彦やあずみ、優哉などでも、傍にいてほっと心が落ち着く、温かな感覚にはならなかった。

 片想いではなく、両想い。

 希壱と気持ちが通じ合ったからこそ、心に芽生えた安心なのだろうかと、一真は不思議な気持ちになった。

「なんだか変な感じだ」

「ん? なにが?」

 そっと左手を胸に当てる一真の仕草に、希壱が不思議そうに首を傾げる。

「初めてお付き合いを始めた気分?」

「……じゃあ、俺を最初の恋人だと思って。過去の人たちは全部忘れていいよ。俺、欲張りだから、欠片も他人に一真さんを渡したくないんだよなぁ」

「希壱、独占欲強いほうなのか?」

「んー、そうみたい? でも一真さんだから、っていうのもあるかも?」

 自分で気づいていなかったのか、希壱はしばし考え込む仕草をした。それでもすぐに一真へ向けて満面の笑みを浮かべる。

「一真さんだけは誰にも譲れないな」

「ふぅん。なら俺は、その気持ちがよそへ向かないよう、繋ぎ止めないとだな」

「またそんなこと言って。逆に、ぐるっぐるに独占欲で巻き込んで、俺が逃がさないから安心して?」

「それは物騒って言うんじゃねぇか?」

「俺に捕まったんだから覚悟してよ」

 二人で冗談とも本気ともつかない話で笑いながら、のんびりと街中を歩く。
 道行く人たちは、繋がれた手にちらりと視線を寄こす者もいれば、素通りしていく者もいる。

 いまだに男同士が手を繋いでいると、違和感を覚える人が多いけれど、一真は二人の時間を少しも無駄にしたくなかった。