第28話 大きなすれ違い

 八月に入り、うだる暑さが続く毎日。
 学校は夏休みなので、一真は休みをとって希壱の誕生日に二人でのんびり過ごす――つもりだったのだが。

 なぜかお誕生会に様変わりしていた理不尽を、なんと表現しようか。

「峰岸の相手が、まさか希壱くんとは思わなかったよな。駅のホームで飛んでくる勢いで駆けてきた時、びっくりした」

「希壱は趣味がいいんだか、悪いんだか」

 本日の集合場所は定休日の優哉の店。
 タイミング良くレストランの定休日にぶち当たるとは、腹立たしい、と思いながら一真はテーブルで頬杖をついている。

 そんな様子を、向かいの席で笑い話のタネにしているのが、優哉の恋人である西岡と、希壱の姉であるあずみ。

 主役と、その兄である弥彦はまだ到着していない。いっそ来られないなにかがあれば、などと思ってしまうのは悪あがきか。

 なぜこんなにも一真がヤキモキしているかと言えば、希壱が優哉に会うのは久しぶりだ、と話していたからだ。

 しかも少し瞳を輝かせて。

 希壱の以前の想い人が優哉かもしれない。というのは一真の予想であったのだけれど、予想が的中していそうで落ち着かない。

「さっきからなにカリカリしてんの?」

「うっせぇな」

「やっぱり二人きりで過ごしたかったんじゃないのか?」

「……別に、希壱がいいって言ってんだから、いいんだよ」

 あずみに投げやりに言葉を返し、西岡には素っ気なくしつつも言葉を選ぶ。

(自分のこういう部分、希壱は嫌がるだろうか。優哉とは普通に話せるんだけどな)

 自分のもやもやする部分が、希壱も同じく感じたらと気づいて、胸で渦巻くものが、さらにモクモクとした暗雲になりそうだった。
 唸りながら一真がテーブルに突っ伏すと、目の前の二人は顔を見合わせた様子だ。

「えー、なに? 峰岸なにか悩みごと?」

「希壱くんについてなら、来る前に、僕たちに話してくれてもいいぞ」

「……遠慮しておく」

(あんたのことだよ、あんたの)

 とさすがに一真でも西岡本人に言えない。
 あずみのほうはなんとなしに気づいて、どこかしたり顔に見える。

 高校時代、一真が優哉や西岡にべったりだったのは有名で、あずみや弥彦は二人を本気で好きだったのを知っている。
 はたから見れば二股だが、好きのベクトルがそれぞれ違ったのだ。

 あずみは特にそのへんをよく理解していたように思う。

(そういえば希壱ってどこまで知ってんのかな。あー、早いうちに腹を割って話し合いすべきか。俺が落ち着かねぇ)

 遠慮すると言っておきながらも、いまだぐぬぬっと唸っている一真に、西岡は心配顔。あずみは呆れた顔だ。

「おい、佐樹さんを除く二人。手が空いてるなら手伝え」

「うわ、あからさまな贔屓、すごい」

 うだうだしていると、厨房で作業をしていた優哉の声が飛んできた。オープンキッチンなのでよく声が通る。

 あずみはまったく腰を上げようとしないが、一真はのろのろと立ち上がった。ここで唸っているよりマシに思えたのだ。

「なにすればいい」

「……自分で言っておいてなんだが、本当に手伝うとは思わなかった」

「おまっ、失礼なやつだな」

「まあ、手伝ってくれるなら、これハンドミキサーで混ぜてくれ」

 ホール側から厨房へ入れば、優哉に驚きの表情で迎えられた。それでも遠慮なくものを頼んでくるのは彼らしい。

「ケーキ付きか。豪勢だな。会費を取らなくていいのか?」

「三人からもらってる」

「ふぅん、俺はなにも言われなかったけど」

「お前も主役みたいなもんだろ」

「なんだそれ」

 渡されたボウルの生クリームを混ぜながら、一真は少し前の出来事を思い返す。
 案の定、付き合って数日後。弥彦とあずみに呼び出しを受けた。

 出会い頭に文句を言われるかと思ったが、弥彦はなんとも複雑な顔で黙っていた。
 あずみはニコニコとしており、第一声が「聞いたわよ」だったのは、予想どおりだ。

 しばらくしてようやく口を開いた弥彦は、微妙な顔のまま「希壱を頼む」と言ったので非常に驚かされた。

 最初は文句言う気満々だったらしいのだけれど、希壱に気づかれ「一真さんに酷いことを言ったら、もう兄ちゃんとは口を利かない!」と言われたらしい。

 さらにたたみ掛けるように「やっと一真さんを落としたのに! 別れる原因になったら絶縁してやる」とまで言われ、絶賛微妙な心中だったのだ。

 しかし希壱にロックオンされて、ついに捕獲された一真の気持ちもおもんばかり、円満解決になった。

 ただ希壱の気が長いのは知っていたけれど、あそこまで執着心が強いとは思わなかった、とあずみは笑っていた。

「なに唸ってたんだ」

「あんたが悪い」

「なんで俺のせいなんだよ」

「希壱の初恋が――」

「ああ、そういうことか」

 調理の片手間で問いかけてきた優哉にむっつりとしたら、彼は思いっきり苦笑した。

「希壱のあれは、思春期特有の憧れみたいなもんだ」

「気づいてたのかよ」

「気づくだろ。家が近いから毎日のように会ってたし、ひよこみたいに俺について回ってたしな」

「希壱って昔から執着心が強いのか」

 幼馴染みで、物心つく頃から顔を合わせていた相手。いつ恋心に変わったのかは知らないが、あずみの結婚式の日まで希壱の心の片隅にあった。
 そう思うと、また心の中で暗雲がモクモクとしてくる。

「お前がヤキモチとか珍しい。希壱もだけど、峰岸も本命なんだな」

「…………」

「希壱は子供の時分から執着心が強いと思うが。今回ほどじゃない。一度失ったから二度目はなくさない、って意志が強いんだろう」

(三年のあいだで、完全に接点がなくなったと思ってたみたいだしな。再開した時、俺に声をかけられて、謙遜なしに嬉しかったんだろうな、たぶん)

 とはいえ兄と友達をやめたのかと思った、なんて言われた時には、一真はぽかんとしてしまった。

 友達はやめるやめないとか、そういうものなのかと笑いそうになったのは、希壱にも内緒だ。本人は真剣に悩んでいたのだから。

「終わった過去に囚われるのは、お前の悪い癖なのか?」

「……そうかもしれねぇな」

 恋をしようとしなくなった原因はすべて過去の出来事。いつまでも、何年も何年も引きずっていた。
 自分ではもう気にしていない、なんて無意識に言い聞かせて。

「希壱は大丈夫だ。よそ見するタイプじゃないから心配するな」

「ん、そうだな」

 手を止め、励ますようにぽんぽんと頭を撫でられる。昔から一真の気持ちを断固受け取る気がなかった優哉だが、こうして友人としては付き合ってくれた。

「か、一真さん?」

「あ、希壱」

「タイミングが悪かったか」

 急に大きな声が店内に響き、視線をホールの入り口に向けたら、希壱と弥彦が立っていた。一真はなにごともない顔でいたけれど、優哉の言葉でハッとする。

(もしかしたらいま、優哉に頭を撫でられてるところを見られたか?)

 希壱の嫉妬を甘く見てはいけない。
 ここ最近は付き合いたてなのもあり、周りへの牽制が半端ではないのだ。一真から見ると可愛いなぁとしか思わなかったのだが――これはあまり良くない。

「希壱、あのな」

「一真さん! まだゆうにいが好きなのっ?」

「は?」

 言い訳はきちんとしておこうと思った一真は、希壱の一言で目が点になりそうだった。なぜそうなるのだ、と頭の上に疑問符が飛び交う気分にもなる。

 少し視線を動かして弥彦を見ると、両手で顔を覆っているので、ここが原因だと気づいた。おそらく学生時代の話をしたのだ。

「一真さん!」

「希壱、一旦落ち着け!」

「うっ――はい」

 つかつかと歩み寄り、カウンター席から、オープンキッチンに身を乗り出してきた希壱を止めた一真は、自身の頭を押さえつつため息を吐き出した。

「なにを聞いたか知らねぇが、お前の言ったことは事実無根だ。それは過去の話だ」

(なんかややこしい。自分に言い聞かせてるみたいだな)

「ほんとに? なんだかさっきすごく安心した表情をしてたけど。俺には向けてくれたことがない顔だった」

「まあ、実際、安堵した気分だったのは嘘じゃねぇなぁ」

「やっぱり!」

「だから違うって言ってるだろ。なんでそんなに気にするんだよ」

 昔好きだった相手が、西岡だと知った時はそこまで強い反応ではなかった。一緒の職場が辛くないのかと、どちらかと言えば心配そうな。
 だと言うのにこの差はなんなのか。

「だって! 優兄は駄目だよ。俺の勝ち目ないじゃないか。スペックが違いすぎる!」

「うん? どういうことだ」

「優兄は俺と比べてなにもかも秀でてるから、だから駄目なんだ! 俺が頼りなくて不安になるのはわかるけど」

 なにやら二人のあいだに、大きな齟齬が生じている気がした。

「うわぁ、優哉ったらモテモテじゃない。って言うか昔からだけど。ほら、そこのバカップルにちゃんと説明してあげなさいよ」

 希壱と二人で顔を見合わせて固まっていると、あずみのヤジが飛んできた。
 その声に、隣にいた優哉がひどく面倒くさげにため息をつく。

「お前たちは人をあいだに挟んで、同じヤキモチを妬いてるだけだろう」

「同じ」

「ヤキモチ?」

 優哉の言葉に、一真と希壱は二人で揃って首を傾げた。そんな反応に優哉は再び、今度は盛大なため息を吐く。

「峰岸は希壱の初恋とやらが気になっているんだろ。希壱は峰岸が過去に惚れた相手が気になってるんだろう? 俺をあいだに挟まず向き合え。面倒くさい。お前らはあっちへ行け、邪魔だ!」

 二人してきょとんとしていたら、優哉はホールの向こう。玄関のほうを指さした。さらには一真の背中を押して厨房から追い出す。

「話し合いが済むまで戻ってくるな!」

「お、おう」

 ものすごい剣幕でバシッと背中を叩かれ、一真はわずかに上擦った返事をする。まだ状況が完全に飲み込めていないものの、この場所にいても解決にならない。

 仕方なく希壱に目配せをして、玄関スペースへ移動する。
 そこには席が空くまで待てる椅子があるため、二人でとりあえず並んで腰掛けた。

「希壱?」

「……あっ、うん」

 俯いて、なにか考えている様子だった希壱に声をかけたら、一瞬ビクッとした。

「どうした?」

「えっと、ごめんなさい」

「なにがだ?」

 顔を上げた希壱に突然謝られて、一真は思わず訝しげな表情を浮かべる。

「自分のこと棚に上げて責めちゃった」

「ん? 希壱はまだ、優哉のことが好きなのか?」

「まさか! そうじゃなくて。俺、一真さんになにも話してないなぁと思って」

「というか。普通は過去に惚れた相手とか、言わないよな。あずみや弥彦がペラペラ喋るから、希壱が混乱するんだ」

(いくら弟の恋路が心配だからって、これはプライベート侵害ってやつじゃねぇの?)

 知られても、なんてことないので一真は気にしていなかったけれど、希壱にとっては感情を乱される情報だったのだろう。

「自分が惚れてた相手を、はちょっとなぁ、気になるよな」

「ち、違う。そうじゃなくて。好きだったからわかるんだよ。こういう人が一真さんの理想だったら、俺……一生叶わないって」

「なるほど、確かに同じことで悩んでたな」

(まったく同じすぎて逆に笑える)

 急に一真が腹を抱え笑いだせば、希壱は目を瞬かせてあ然とした。

「同じって、もしかして」

「あー、マジで笑えるわ」

「一真さんは、自分じゃ俺にふさわしくないとか、まさか思ってたの?」

「そのまさか、だな」

 なんて馬鹿げた悩みだったのだろうか。
 一言、二言、話し合うだけで解決した。単純な悩み――いや、悩みにもならないものだったのだ。

「えぇ? 一真さんが? そんなはずないじゃないか! 俺、何回も言ってるよね? 一真さんはスペックが高いのに、自己評価が低すぎるんだよ!」

「俺はなんでもできるわけじゃねぇし」

「なに拗ねてるの。めちゃくちゃ可愛い――じゃなくて。どうしてこんな性格になっちゃったのかな?」

「さあ?」

(周りはやけに評価を高くするけど。俺はそこまで器用じゃねぇのになぁ)

 なぜか一真はどんなものでもこなせると思われがちだ。確かに先回りでフォローはしているけれど、完璧なわけではない。

 なのだが――春頃に仕事が山になったのも、そういった印象が原因。

 一真も一真で、頼まれると断れない性格だった。誰もそんな部分に気づいておらず、引き受けてくれるからできると思われる。

「俺にも原因があるんだろうな」

「一真さん、それは違う。実際に一真さんはスペックが高い人だよ。だけどそれは超人って意味じゃない。周りが一真さんを知ろうとしないのが原因!」

「まあ、入院したおかげでだいぶ仕事が楽になったけどな。怪我の功名?」

「それは倒れて二週間も入院した人が笑って言うことじゃない!」

 ああーっと頭を抱えてうな垂れた希壱は、いまだ入院の件は自分も原因であると思っている。何度言っても納得していない。

「喉元過ぎればってやつだ。気にすんな」

 自分とは違う髪質、色合いの、希壱の髪をわしゃわしゃと撫でながら、一真はやんわりと目を細めた。

 自分に対し、ここまで心配をあらわにしてくれるのは、家族か希壱くらいだ。

「その優しい笑い方、好き」

「……たぶん、希壱にしか見せていない顔だ。ついでに言うと、さっきのあれは、お前はよそ見しないから大丈夫だ、って言われた瞬間だ」

「嬉しいな。一真さんが思ったより、俺を好きでいてくれた」

「俺をなんだと思ってんだ。まったく」

 希壱が泣きそうに笑うものだから、呆れた物言いをしながらも、一真は彼の頭を引き寄せ、抱きしめた。

「俺はなんとも思ってない相手に体を任せない。そもそも嘘で好きだとか言わねぇよ」

「うん。そうだったね」

 過去にほかの誰かと体の関係はあっても、一真が自分を委ねたのは希壱だけ。そのことは彼もよくわかっている。

 伸びてきた希壱の腕がぎゅっと一真の背を抱く。すり寄るみたいに肩口に頬を寄せられ、一真はぽんぽんと背中を叩き、言葉がなくとも伝わる〝好き〟に返事をした。