小さなおねだり、だったんだけど
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 いつものように伊上の運転で、連れてこられたのは、ごくありふれた焼き肉屋。桁が違うような高級焼き肉店、ではなく、ごく普通の繁華街にある店。
 意外なチョイスに驚きもするが、敷居の高いところに連れて行かれては、腹に収まるものも収まらない。

 これは彼なりに、天希の性格を把握しての選択だろう。しかしいいコートやいいスーツを着ているのに、よくこんな煙くさい場所にためらいもなく。そんな考えも浮かぶ。

 通されたのは、少し奥まった席でカウンターの二人掛け。隣に座るのが少しそわそわするけれど、いまは腹の要求がうるさい。

「好きなもの好きなだけ頼んでいいよ」

「……俺すげぇ食うけど」

 席に着くなりメニューを手渡されるが、天希にも遠慮というものがある。いくら桁違いに稼いでいそうな男の財布でも、自分の胃袋と相談が必要だ。

「そうなの? じゃあメニューの端から全部頼む?」

「ば、ばっかじゃねぇの! 食べ物を無駄にすんな」

「そういうところ、あまちゃんらしいね。じゃあなにがいいの?」

「うーん、カルビ三人前とタン塩を二人前と、ご飯大盛り。サンチュ、野菜焼きと、……豚トロ、レバー、ハラミ。あとビールの大ジョッキ」

「若いっていいねぇ」

 次々と頼んでは焼いて、どんどんと皿を空にしていく様子に、ほのぼのとした顔で伊上は笑う。口いっぱいに肉を頬ばる天希は、あまり話を聞いていない。
 けれどふと彼の手元を見て、首を傾げた。

 ずっとウーロン茶しか飲んでいない。肉は天希のおこぼれをほんのわずか、食べるくらい。普段いいものを食べているから、平凡な焼き肉屋では舌に合わないのか。
 そう思いもしたが、それにしても――

「あんた酒は飲まないの?」

「ん? 飲むよ。人並みには」

「……偉いなら、車くらい誰かに任せたりしねぇの?」

「んー、人の運転する車は落ち着かなくてね」

「ああ、自分の車も、他人に預けるの嫌なタイプだろ」

「そう、よくわかったね」

 小さく笑った伊上に曖昧な相槌を打ちながら、天希は黙って肉を口に突っ込む。
 知る限り、彼は通勤のほとんどが車だ。バイト帰りの天希をほぼ毎日送ってくれていた。そんな生活でいつ、酒を飲む機会があるのだろう、と余計なことを考える。

 家で一人酒? それも似合うけれど。
 一人寂しい感じはあまりしない。
 もしかしたら家に、待っている人がいたりするのかも、しれない。

 人の私生活を覗き見ようとする詮索は、胸をモヤモヤとさせる。ガツガツと肉と白米を掻き込んで、飲み下そうとするのにするりと落ちない。
 悔しい――このなにを考えているのかよくわからない、そんな男に天希は惚れている。

 だからこそ悔しいと思う。
 いつかぽいと、飽きたおもちゃのように手を離されそうで、自分がちっぽけで、悔しい。
 だが思えば自分からなにかを問いかけることがない、それにも気づく。

「あまちゃん、もうお腹いっぱいになった?」

「ビール」

「よく飲むねぇ。まあ僕も若い頃はそんなだったよ」

「……あんた、いまいくつ?」

「僕? 今年、三十九になったとこ」

「え! もっと若いと思ってた」

「うちの界隈じゃまだまだ若いよ」

 見た目だけならば、まだ三十前半くらい見える。酔っ払ってきた頭で、天希は指折り数える。自分との年の差は十八個。
 伊上が高校三年生の時に生まれたのか、そう思うと言葉が出ない。けれど伸びてきた手に頬を撫でられて、少しだけなだめられた。

「あまちゃん、プレゼントはなにがほしい?」

「プレゼント?」

「ほら、明後日、クリスマスイブだろう?」

「別に、いらねぇ」

「なんでもいいよ」

「……ほんとになんでも? じゃあ、あんたの家に行ってみたい」

 ぽつりと呟いた天希の言葉に、珍しく伊上は目を見開いて、驚いた顔をする。そしてなぜかまじまじと凝視してきた。その視線に不満をこめて、天希が睨み返すと、また頬に手を当てられる。

「飲み過ぎた?」

「人を酔っ払い扱いすんな、馬鹿」

「あまちゃんって、天然の小悪魔だったんだなぁ。おじさんびっくりだよ」

「こんな時ばっかり、じじいぶるんじゃねぇよ!」

 なだめすかすみたいに頭を撫でられて、その手を勢いよく払う。そんな天希の反応に、伊上は目を瞬かせた。

「今日はこの辺にしておこうか」

「え?」

「クリスマスと言わずに、いますぐおいでよ」

「ええ?」

 頬を撫でていた手がするりと顎先を掴んで、くいっと持ち上げられる。その仕草に疑問符を浮かべていた天希だが、伊上の瞳に熱が灯ったの感じて、一気に顔を紅潮させた。

「ち、ちげぇよ! 変な意味で言ったんじゃ」

「天然ちゃんには、ちゃんと教えてあげないとね」

 ここが店内だと言うことも忘れて、叫び出しそうになったけれど、それは伊上の指先に押し止められる。きゅっと唇を摘ままれ、不敵に微笑んだ男の色香にあてられ、天希は頭がくらりとした。

 ただ少し、伊上の私生活を覗いてみたい、と言う小さな気持ちだったはずなのに。なぜだか嬉々とした彼に店を連れ出された。

 酔っ払いの戯れ言だ。本気にするほうがどうかしている。
 そう異議申し立てをしたのだが、まったく聞き入れてもらえなかった。それどころか、後部座席に押し込められた途端に襲われる。

「んっ、ん」

 初めての日ぶりの深いキス。あの時はまだ気遣いがあったけれど、いまは飲み込まれてしまいそうな口づけに、翻弄されていた。
 息を継ごうと口を開くたびに、口内をまさぐられて、まともに呼吸ができない。

「はあっ、ん」

「あまちゃんが気持ちいいこと好きな子で、良かった」

「ちがっ」

 思いのほか酔いが回っているのか、抵抗しきれない。ビールは何杯飲んだ? そんなことが頭の片隅をよぎる。しかしすぐにそんな考えは消し飛ばされた。
 デニムの下で張り詰めてきた熱を撫でられ、ビクリと天希の腰が跳ね上がる。

「ぁっ」

 カチャカチャとベルトを外される音が、車内にやけに響いた。自分の上擦る声と、何度も自分を呼ぶ伊上の声で、頭がごちゃごちゃになる。
 滑り込んできた手に、直に熱を扱かれただけで、とろとろと先走りがこぼれた。

 大きな手の平、ぬめる感触が気持ち良くて、天希は自然と腰を揺らす。

「あまちゃん、可愛いね」

「……ふっぁ、うるせぇ、よ!」

「はあ、ほんと可愛い。可愛くて頭から丸呑みしたいな」

「んっ、出る、出るからっ、離せ馬鹿!」

 身体を押さえ込まれて、まったく身動きできなかった。ジタバタともがく天希を見下ろす伊上は、獲物を前にした肉食獣のように、舌先で唇を濡らす。
 ぞくりとするような雄の気配。それだけで快感が広がる。

「んっ、んんっ……っ」

 過ぎる快感をこらえるように、伊上の腕を力一杯掴んだ。すると声を飲み込んだ天希を咎めるみたいに、舌で唇をこじ開けられた。

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