園内は長く乗り物に揺られただけのことはある。郊外ということもあって周りは見渡す限り緑の山。木々が新緑を芽吹いて清々しいほどだ。
三分の一が公園のようなスペースと遊歩道。動物たちも多目的スペースと同様、広々として悠々自適な様子が見ていてわかる。ガラスや柵の向こうでのんびりしているその姿を見れば、不思議とこちらまでゆっくりとした時間が流れた。
忙しない日常から隔離された空間。あちこちで上がる子供のはしゃぐ声に目を細めながら、俺は前を歩く背中を見つめる。
園内に入ったあとの彼はまるで童心に返ったかのような機嫌のよさだった。その姿を見ていると、いささか遠くはあったが来てよかったと本当に思う。
「まだ眠いか?」
俺の視線に気がついたのか、彼がふいにこちらを向いた。あまりにも心配そうな表情を浮かべるので、思わず笑ってしまう。
「なんで笑うんだよ。心配してるのに」
「すみません。大丈夫です」
不服そうに口を曲げたその顔がまた可愛くて、言ってるそばから笑ってしまった。こんな時まで可愛いなんて反則だと思う。俺にとってはこの清々しい緑よりも、ここにいる動物たちなんかよりも、ずっと目の前の彼のほうが一緒にいるだけで癒やされる。
「寝てる藤堂はあんな感じだったぞ」
笑っている俺に小さく息を吐き、彼はふいに立ち止まったガラスの向こうを指差した。
「俺、あんなに寝相は悪くないと思いますけど」
ピンと伸びた指の先にはすっかり仰向けになり、無防備に腹を曝しているホワイトタイガーがいた。
「無防備ってこと。寝顔が可愛かった」
柵にもたれながら振り向いた彼は、にやりと口の端を持ち上げ、からかいを含んだ少し意地の悪い目をする。
「でも藤堂って猫科っぽいからあながち嘘じゃない」
「猫……ですか?」
「ああ、でも犬とか、かな。ハスキーとかシュッとした顔立ちだし」
でも黒豹とか狼とかもいいなぁ、そう一人呟く姿を俺はいささか戸惑いがちに見つめた。本当に動物好きなんだなとしみじみ実感してしまったが、自分の世界に入ってしまう普段の癖が加わると、さらにその空気に近づけない感がある。
「そうだ、このあいだ思い出したんだけどさ。昔、実家にいた犬が三島にそっくりですごい可愛かったんだ」
満面の笑みで振り返った顔は可愛いと思ったが、そんなことを無邪気に言われると正直ちょっと面白くない。
「へぇ」
「藤堂……顔、怖いぞ」
「そうですか?」
相手は幼馴染みでまったくと言っていいほど心配ない相手だと言うのに、こんな嫉妬をしてしまう自分が情けない。いちいち細かいことを気にしていても仕方ないけど、やっぱりどんな小さなことでも不安は尽きない。
「佐樹さん、子供好き?」
ふいに彼の視線が流れたその先を見留めて、思わず呟いてしまう。先ほどから何度も子供連れの家族を振り返る、その姿を見ると気にせずにいられない。
「え、まあ、それなりに」
突然の質問に不思議そうな顔する彼は少し驚いているように見える。あの視線は無意識なのか、そう思い胸がざわついた。
俺といなければ、この人なら普通の家族を持てるのにと、そう思ってひどく胸が痛んだ。
「……そう、ですか」
「藤堂?」
「なんでもないです」
戸惑いがちに俺の顔を覗くその姿に、出来る限りなにごともないよう笑う。少しまだ訝しげな表情だけれど、それは見ない振りをした。
この人と、一体いつまで一緒にいられるんだろう。いまが幸せだと思うほど、その先が怖くなる。
「なあ、藤堂」
「……なんですか?」
ぼんやりとしていた俺の袖を引き、彼は視線を動かす。
「あれって」
じっと一点を見つめたままその先を指差す彼に首を傾げると、急にそちらへ向かい歩き始めた。
「迷子じゃないか」
「え?」
その言葉に慌てて指先の向こうを見れば、人波を縫って歩く彼の姿が波の向こうへ消える。そしてそれを急いで追いかければ、柵の前に出来た人垣の端でしゃがみ込む彼の姿を見つけた。
その傍には三、四歳程度の小さな子供の姿もあった。
「やっぱり迷子っぽい」
背後に立った俺を振り仰いだ彼の顔が困ったように歪む。
「園内放送も流れてないですから、はぐれて間もないんじゃないですか? 案外まだ気づいてないだけで近くにいるかも」
「そうか……ボク、お父さんかお母さんは?」
きょとんとした表情のまま彼を見つめる子供。あまり自分の置かれている状況を理解していないところを見ると、さほど時間が経っていない。
「あ、佐樹さんその子、女の子ですよ」
「えっ、嘘」
目を丸くして振り向いた彼に苦笑いを浮かべると、慌てて向き直ってじっと子供を見つめた。言いたいことはわかる。でも着ている物は男の子の物だが、かろうじて親の苦肉の策かピンクのリボンが頭に二つ結ばれていた。
「多分、家族が多くて気づいてないだけだと思います」
「え、ちょっ」
彼の隣に並びしゃがんだ俺に、子供は突然彼の手を払って突進して来る。慌ててそれを受け止めればなぜか思いきり抱きつかれた。
「このまま少し歩きます?」
腕にぶら下がった小さな重みに軽く息を吐いて立ち上がると、ふいに彼が不機嫌そうな顔をした。
「子供に懐かれないのがそんなにショック?」
あからさまなその表情に笑いながら、子供を持ち上げ抱え直せば、ますます口を曲げられた。
「別に」
ふて腐れたような顔をして立ち上がった彼に首を傾げたら、急に子供の頬をつついて目を細めた。
「藤堂はやらないぞ」
「やぁ! なっちゃんのぉ」
「じゃない!」
いやいやと腕にしがみつく子供と彼とのやり取りに、思わず顔が熱くなる。まさか子供に懐かれないと言うことではなく、俺に子供が懐いていることでやきもちを妬いているとは思いもよらなかった。
「佐樹さん、子供相手に大人げないですよ」
「うるさい! 子供の思い込みは怖いんだからな」
やきもちを妬かれた嬉しさを隠しながら、からかうように話しかければ、彼はムッと口を引き結んで不機嫌な表情を浮かべる。けれどその顔がたまらなく可愛くて仕方がない。彼はすぐに俺の心をかき乱してくれる。
「俺は佐樹さんが一番好きだよ」
意地の悪さをたっぷりと含めて耳元に唇を寄せ、小さな声でそう囁けば火がついたように彼の顔が赤くなる。
「しっ、知ってる。……そうじゃなかったら」
「じゃなかったら?」
この戸惑ったような焦りを感じたような彼の反応が、俺に優越感を与えてくれるからたまらない。普段は押し込めている加虐心に火をつけられるような感じだ。かといって彼に対しては、そんなにひどい仕打ちをしたいわけではなく、少し、ほんの少しの意地悪がしたくなるのだ。
「……泣く」
しかしそう言って、いままさに泣きそうな顔をされたら、抱きしめてキスをしたくて仕方がなくなる。けれどそれは理性でグッと堪えて、俺はその気持ちを吐き出すように大きなため息をついた。仕掛けたつもりが完全にしてやられてしまった。
無自覚の無意識は恐ろしい。
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