別離17

 初めて藤堂に会ったのはいまから五年ほど前の梅雨の時期――藤堂がまだ中学一年の頃だ。そして再会したのが中学三年の二月。そこには二年半以上の空白がある。そのあいだに誰と出会ったのか、どんなことがあったのか、それを僕は知らない。
 この頃に明良が通っていたバーに顔を出していたのは知っている。付き合った人がたくさんいるのも聞いた。

 それでも気持ちは僕にあったと言われて、藤堂を疑うことはしなかった。いまもそれを疑うつもりはないけれど、信頼し心を預けた人がいるのだとそう思うとひどく不安になる。
 だけど藤堂だって一人でずっと辛かったのだから、頼りたいと思える人が現れてもおかしくない。それに何度繰り返し過去を振り返っても、共有できなかった時間は手に入らないんだ。藤堂との空白の時間は埋められない。

「なんか、西岡さん結構ワケアリな感じだね」

 藤堂の最初の恋人――その話を聞いた途端に落ち込んだ僕を見て、ミナトは貴也と顔を見合わせ困ったように眉を寄せる。前置きをされたのだからもっと強く構えていられたらよかったのだけれど、思った以上にダメージがあった。
 もしも藤堂がその人を頼って連絡を取っていたら、さらに痛いダメージを負いそうだ。それは僕よりもその人のほうが信頼できると言われたようなものだ。

「……いま、藤堂の行方がわからなくて」

 俯きがちな僕をカウンターに両腕を乗せて覗き込んでくるミナトはかなり心配げだ。その視線に思わず本音を呟いてしまった。黙ったままでいるのが辛くなってきたのだろうか。誰かに聞いて欲しい、助けて欲しいと弱さが出てきてしまった。

「えっ? ユウ、いま行方不明なの?」

 身の回りにいる知人が行方不明になるなどそうそうあることではない。よほど驚いたのか、ミナトはしばらく口を開けたまま固まってしまった。

「僕の知る限りでは居場所がわからないんだ」

 以前のように連絡がつかなくなったというだけならまだよかった。話せなくてもそこにいるとわかれば、まだ安心ができただろう。けれど存在を感じられないほど一方的に途切れてしまった。

「え、でも西岡さん付き合って長いんでしょ。それでわからないって」

「いや、僕と藤堂はまだ半年くらいだから」

「は? え? 半年?」

 どうやらミナトは僕と藤堂があのあとから付き合っていると勘違いしているようだ。あれからずっと接触がなく、ようやく春に付き合い始めたのだと言ったらミナトは心底驚いた表情を浮かべた。

「そっか順風満帆ってわけじゃなかったんだ」

「悪いことばかりじゃないけど」

 辛いばかりじゃない。でも一緒にいられることは幸せだったけれど、春からずっとなにかしらのトラブルに見舞われている気がする。一つが片付けばまた一つと色んなことが起こって、そのたびにあともう少し頑張ればと思ってきた。
 けど藤堂はどう思っていたんだろう。もう疲れてしまっただろうか。一緒にいるのが疲れてしまったから、だからいなくなってしまったのか。

「西岡さん、あんまり自分のこと追い詰めないほうがいいよ」

「ああ、うん。悪い」

 考え込むと思考が後ろ向きになる。藤堂の話を聞くまでは結論を出してはいけない。憶測だけでものを考えては悪いほうにばかり気持ちが傾く。

「まあ、恋人がいなくなったって時に落ち着いてはいられないだろうけど」

「いや、こんな時だから落ち着かなきゃいけないのかもしれない」

 焦ったところで答えが出るわけじゃない。それに焦れば焦るほど周りが見えなくなる可能性だってある。藤堂の昔の話を聞いてうろたえていてもなんの解決にもならない。それがなにかの手がかりになるのなら、ちゃんと話を聞かなくてはいけないだろう。

「ミナト、小林さん捕まえて奈智さんの連絡先聞けば? 名刺交換したって言ってた」

「ああ、そっかそうだね。ちょっと電話してみる。西岡さん待ってて」

 貴也の言葉に頷いたミナトは、携帯電話を手に取り足早にカウンターの奥にあるスイングドアの向こうへ消えた。ミナトがいなくなり貴也と二人きりになると、急に店内はしんと静まり返る。

 微かに扉の向こうから声が聞こえてくるほどの沈黙に、少しばかり居心地が悪くなってしまう。しかしなにか話しかけるべきか悩んでいたら、ふいに音楽が耳に届いた。
 俯きがちだった顔を持ち上げて貴也を見ると、棚にある小さな機械を操作していた。店内に流れたジャズはどうやら有線のようだ。沈黙に気を使って流してくれたのだろうか。

「珈琲でも飲む?」

「え? あ、ありがとう」

 カウンターに置かれたグラスを下げると、貴也は小さなポットを一口コンロにかけた。そしてお湯が沸くまでのあいだ、手馴れた様子で珈琲豆を挽いてドリッパーに準備していく。その様子をじっと追いかけて見ていても、貴也は嫌な顔一つせずに黙々と作業を進めている。

 口数は多くないけれど、彼は人に穏やかさを与える落ち着きを持った子だなと思った。お喋り上手なミナトと聞き上手そうな貴也はいい具合にバランスが取れているのかもしれない。

「貴也くんいまいくつ?」

「十九」

「え? そうなんだ、若いね」

 一見した見た目や雰囲気が落ち着いているからもう少し年上かと思っていた。藤堂と一つしか違わないのか。ミナトも若く見えるけどいくつなのだろう。自分のお店を持つくらいだから貴也ほど若くはないと思うのだが、今時の子は年齢不詳な子が多いな。

「ミナトは今年二十五になったところ」

「そっか二十五か。若いのに店を持ってるなんてすごいな」

 聞く前に察した貴也はミナトの歳を教えてくれた。見た目はもうちょっと若く見えるけれど、こうして店を持っているのを考えれば実年齢でも若いくらいだろう。

「高校の頃からずっとバイトして貯金してたらしい。まあ、三割はスポンサーがいるけど」

「へぇ、スポンサーか」

 名刺の数もかなり多いし、固定客が多いのだろうと思っていたが、スポンサーまでいるとは思いもよらなかった。けれどミナトの持つ人を惹きつける雰囲気ならば、手助けしてやろうという気になる人が一人や二人いてもおかしくない。

 まっすぐとした性格は人を裏切るタイプでもないだろうし、僕でも困っていたらなにかしてあげたくなる。しかしそれは貴也にとっては不満の一つなのかもしれない。
 ずっと表情を崩さなかった貴也だったが、一瞬だけ眉間にしわを寄せて不服そうな顔をした。

「恋人に向けられる好意って、どんなものでもちょっと気になるよな」

 それが恋愛に関係するものではないとしても、あまりにも熱心に好意をあらわにされると不安になるし、嫉妬もしたくなる。相手が魅力的な人間であればあるほど、その気持ちは強くなってしまう。

「人に好かれるっていいことだし、もっと構えていられたらいいんだろうけど」

「ユウみたいなモテる男は面倒だろう」

「面倒って言うか、厄介だよな」

 本人の意思とは関係なく人の目を惹きつけるところがあるから、どこにいても誰かの視線が藤堂を振り返る。そんな視線に対し、彼は自分のものなんだと公言できないもどかしさがある。

「貴也は藤堂に会ったことは」

「ない、けど話は飽きるほど何回も聞かされた」

 また少し貴也の顔が不満げに歪められた。こんなに嫌そうな顔をするくらいだから、本当に何度も藤堂の話題が上がるのだろう。ミナトは見ただけでわかるくらい貴也のことを好きでいるけれど、何度も繰り返し聞かされるのは相当きついはずだ。

 最初の恋人、なんて言われただけで僕はとどめを刺された気分になるくらいの衝撃だった。だけど仕事柄ミナトは昔話を避けては通れない。貴也はそれをわかっているから、表立って不満を言わないのだ。僕も少しくらいその度量が欲しいと思ってしまった。

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