本音
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 駅前でタクシーを降り、馴染みのバーに瀬名を引きずり込んだ。そして気が付けば飲まないと言った酒は充分過ぎるほど喉を通り抜けて行き、うとうとし始めた肩を揺すられる。

「飲みすぎじゃないっすか」

「いーや、んなことない」

 肩の手を払い、渋々俯きがちになっていた顔を上げれば、眉をハの字にした瀬名が俺をじっと見ていた。

「可愛い。日本犬って感じ」

 瀬名の眉間に寄った皺を指先でぐりぐりと押しながら笑えば、呆れたようなため息と共にその手を取られる。不満をあらわにして口を尖らせると、ますます困惑したように目の前の顔が歪んだ。

「最近、渉さん絶対飲み過ぎですよ」

「は?」

 急に真剣な顔をしてこちらを見る瀬名に思わず首を傾げ、俺はその視線に瞬きを繰り返す。すると次第に頭が冴え、酔いが覚めていった。

「やっぱり、今の仕事合わないんじゃないすか」

「……なにそのやっぱりって」

 瀬名の視線に小さく息をついて、もたれていたカウンターからのろのろと身体を持ち上げると、俺はグラスの向こうで転がる煙草の箱を掴んだ。

「急に黙んないでよ」

 難しい顔をして口をつぐんだ瀬名を横目に見ながら、俺は押し潰れた箱から皺くちゃになった煙草を抜き取る。そしてそれをくわえたまま視線を動かせば、タイミングよく目の前に火が点った。

「瀬名くんって煙草吸うんだ」

「まあ、たまには」

「ふぅん、意外。喫煙所じゃ全然見かけないよね」

「そうでもないっす、けど……っ」

 なんとなく歯切れの悪い瀬名にふっと煙を噴きかけると、目を丸くしてほんの僅か身体が後ろに反れる。

「そういえば、なにがやっぱりなの」

 やけに狼狽する瀬名に目を細めながらも、長くなった灰を落とし俺は再び首を傾げた。

「あ、いや。最近は雑誌とかモデルの写真集とか、グラビアの仕事多いじゃないっすか。元々そういう写真撮ってなかったのに、ストレスになってんのかなって」

「んー、まあそうかな」

 実際のところ、仕事のストレスだけが原因ではない気がしている。あの子に振られたのは、今の仕事の一環として撮影旅行に出る直前だった。
 とはいえ慣れない仕事も大きな要因だ。そればかりが原因ではない。心が乱れているのをあの子のせいにするのやめよう。

「結構、毎日イライラしてるでしょ最近」

「そうだねぇ」

 実際そう思っている人間は多くいるだろうが、こうもはっきり本人に言ってくる人間も珍しい。確かに自分で言うのもなんだが、今の現場での粗暴な振る舞いは目に余るものがある。

「現場の人間から見たら、俺ってホントいい迷惑だよね」

 乾いた笑いが、吐き出される紫煙と一緒に漏れた。
 照明が気に入らない、セットが気に入らない、衣装が気に入らない、メイクが気に入らない――挙げ句にモデルが気に入らないといった時には、さすがにそれだけは勘弁してくれと泣かれた。

「た、確かに、かなり厳しいっすけど。渉さんが言ったことはただの我が侭じゃないって、少なくとも現場の人間はわかってます。それだけいいものが出来上がるし、一緒に仕事できることを俺は誇りに思ってます」

「ふぅん」

 真剣な顔で語る瀬名に、俺は適当な相槌を打って目を細めた。彼は見た目を裏切らない生真面目な男だと思う。でももう少し柔らかい雰囲気だったらよかったのに。

「んー、癒やし要素が足りないんだよね」

「は?」

「なんでもない。まあ、そのうち干されるから大丈夫だよ。俺の看板だって今にサビが出るし」

 現場の人間がいいと言ってもそれを動かしているのは組織なわけで。今そいつ等は皆、俺の名前の横にあるいくつもの肩書きに群がっているだけだ。

「別に賞取る為に撮ってるわけじゃないんだけどねぇ」

 ぽつりと呟きながら、グラスの中でからんと音を立てて崩れた氷を指先でかき回す。強いアルコールの中でじわりと溶けていくそれが、なんとなく自分に見えた。

「やめないでください」

「ん?」

「写真撮るの、やめないでください」

「……」

 静かな店内に響いた瀬名の声に呆気に取られていると、突然手を掴み握り締められた。ぽかんとした間抜けな顔、多分それが今の自分を表現する言葉だろう。
 瞬きを忘れて瀬名を見ていると、耳元でジジっと煙草が焦げる微かな音がした。慌ててその先を見れば、長く伸びた灰が今まさに落ちるところだった。

「あ、あのさ、瀬名くん落ち着こうよ。とりあえずその手離してくれるかな」

 さすがにここはミサキの店とは違ってごく普通のバーだ。熱い眼差しで見つめられ、手を握られている俺にどうしても人の視線は集まる。

「す、すいません。でも俺は今の仕事に嫌気をさして、渉さんに写真をやめて欲しくはない」

「んー、まあね。ちょっとは本気でやめようかと思ったりもしたけど」

 落ち着きなくグラスをあおる瀬名に、俺は気づかれないよう小さく息を吐き出した。

「俺、人間が嫌いなんだよね」

「は?」

 独り言のような俺の声に瀬名は大きく目を見開いたまま固まった。

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