好きでよかった
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 会社内外でウロウロされるだけならまだしも、人の私生活にまで踏み込んでくるようなら、本気で考えるしかない。手元の写真を眺めながら、俺はため息交じりに軽く髪をかきあげた。瀬名はやたらと気にしていたが、正直自分としてはよくあることだと高を括っていた。
 自分の容姿が相手にどういう目で見られるか、長くもない人生で俺は嫌という程思い知らされている。刃傷沙汰とストーカー被害は案外少なくない。ただ自分の撒いた種も含むことなので、自業自得と思っている。

「どうせなら親父に似たら良かったのに」

 下手に母親そっくりなのがいけない。父親は背が高く肩幅も広い。顔立ちも自分とは正反対な誰が見ても漢らしい男。だからこそそんな父親は自分のコンプレックスの元でもある。本当に父親の遺伝子が自分に含まれているのか甚だ疑問だ。

「あー、わかった。だから嫌いなんだ」

 それと似たタイプである瀬名が。なんだかようやく理由がストンと胸の中に落ちた。

「そもそも好みじゃないんだよね」

「……さん、渉さん」

 ぶつぶつと独り言を呟きながら歩いていると、ふいに名を呼ばれた。その声に驚いて顔を上げれば、いつの間にか駅前まで歩いていたことに気がつく。

「しまった。通り過ぎた」

 もう少し手前のタクシー乗り場へ行くつもりだったのにと、背後を振り返るが再び名前を呼ばれる。

「渉さん!」

「……え?」

 その人は先程よりもはっきりとした声で俺を呼んだ。

「あ、えっ……佐樹ちゃん?」

「良かった。無視されてるのかと思って、焦った」

 ほんの少し離れた場所から、足早に駆け寄ってくるその姿に目を疑った。驚いている俺を見上げ、ふわりと微笑んだその表情に眩暈がしたのは嘘じゃない。彼に会うのはどのくらいぶりにだろうか。海外撮影から帰ってきて一ヶ月くらいは経つから、三ヶ月程だろうか。けれどもっと長く、随分会っていなかったような気がする。
 人好きするような柔らかい雰囲気と温かい微笑み。決して見目が派手な子ではないけれど、やはり彼がいるだけでそこがひどく優しいものに変わる。そして久しぶりに会った彼は以前のまま――相変わらずで、全く変わらない笑顔を俺に見せてくれる。それが愛しくて可愛くて胸が高鳴った。

「ひ、久しぶりだね」

「ああ、うん。久しぶり」

 さり気なさを装うつもりでかけた声は、情けないくらいに上擦った。でも彼はそんなことは気にもとめず、優しい笑みで俺を見つめている。
 仕事帰りだろうか。彼はスーツ姿だった。いつも彼の休日に会うことばかりなので、少し違和感がある。――いや本当は、違和感があるのはそのせいだけじゃない。前にも増して彼の雰囲気は優しくなった。それが誰のためか、なんて考えるのも嫌になる。

「仕事の帰り?」

「うん、それとちょっと飲み会があって」

「え? 佐樹ちゃん全然飲めないんじゃなかった」

 苦笑いを浮かべた彼に首を傾げてみせると、小さく笑って肩をすくめられた。

「そうなんだけど、職場の付き合いだから断れなくて」

「偉いねぇ、さすが佐樹ちゃんだ。俺とは大違い」

 職場の付き合いを、最初からすっぽかしてしまおうと考えていた俺とは雲泥の差だ。

「あのさ」

「ん?」

 急に声のトーンが変わった彼にドキリとした。このまま何食わぬ顔で素通りするつもりでいたが、彼はそうはさせてくれなかった。

「あの後、ちゃんと話をしようと思って連絡したんだけど、携帯繋がらなくて」

「あ、ああ、プライベート用の携帯は置いていってたから」

「うん、仕事の撮影で海外にいたんだな。ホントに、避けられたのかと思ってかなり不安だった」

 困ったように笑う彼は、邪魔な自分を放って置くようなことはしなかった。彼が共通の知人経由で、俺の居場所を確認していたのは知っていた。でも会うのが怖くて、自分からは連絡が出来ずにいた。

「渉さんに言うだけ言って、逃げたから。それがどうしても気になって」

「なに言ってんの。そんなこと佐樹ちゃんが気にすることじゃないでしょ。俺が勝手に」

 真剣な様子で話す彼に笑いながら肩をすくめたら、俺の言葉はそっと彼の手に制された。口元近くに寄せられたその手に目を丸くすると、彼は一度息を吐き大きく深呼吸をした。
 胸に手を当ててゆっくりと息を吐き出き出すと、少しだけ伏せられていた目がまっすぐに俺を見つめる。曇りなんかまったくないんじゃないかと、そんな風に思えるくらい綺麗な焦げ茶色い瞳。その瞳に見つめられると、誤魔化す言葉が告げられなくなった。

「本当は、最初に考えてくれって渉さんに言われた時、またいつもの冗談だと思ってたんだ。けどあの時、渉さんの顔を見て、そんな風に思った自分が情けなくて、恥ずかしくて」

 確かに俺はいつも冗談みたいに好きだとか愛してるだとか口にしていたから、そう思われていても当然だ。でもあの日の俺はそれを彼の中で覆してしまう程、情けない哀れな顔をしていたんだろうか。あの日の俺は一体、彼にどんな風に映ったのだろう。
 今にも泣き出しそうな表情で俺を見つめる彼を見ていると、あの日がまた繰り返されているような気になった。
 俺はもう一度、この人に振られるのだろうか。

「あれからずっと考えた。何度も考えてみたんだ。でも僕が渉さんに対して思っている好きは、やっぱり渉さんと同じ好きじゃなかった」

「うん」

 彼が俺を好きになることはないとわかっていた。俺は愛を語り合うには難しいほど長く、彼の良い友人であり過ぎた。だからもしも俺が彼が想い人より先に告白をしていても、結果は同じだっただろう。それに彼が今選んだ人は、多分きっと彼の人生の中で特別な人なんだと思う。そうでなければ、同性同士の恋愛に全く縁遠いところにいた彼が、そう簡単に男と付き合うなんてことはありえない。

「でも」

「ん? なに?」

 なにか思い悩むように俯いた顔を覗きこめば、ふいに顔を上げた彼としっかりと視線が合ってしまった。ここで思いきりそらしては挙動不審過ぎる。

「えっと、どうしたの?」

 さり気なさを装い動揺を誤魔化して笑うと、彼は小さく首を傾げて俺を見上げた。

「確かにそうは思ったけれど、これでさよならっていうのは、あんまりにも悲しくないか」

「え?」

「あ、今すごく都合の良いこと言っているのはわかっているんだけど。このまますべてなかったことになって、渉さんと疎遠になるのは嫌だって思ったんだ」

「……」

 今、彼はなんて言った? この先、俺と会えなくなることが嫌だと言ってくれた?
 都合の良いこと、それはこちらの台詞だ。これだけ悩ませて困らせて、まだ一緒にいるなんて望んで良いのだろうか。

「ねぇ、佐樹ちゃん。俺、まだ傍にいて良いの? また前みたいに遊んでくれるの?」

 わかっている。付き合うとか付き合わないとか、そんな話をしているのではないと。見込みはないのだと、そう言われていることもわかっている。けど彼は怖くて近づくことさえ躊躇っていた俺の手を、掴んでくれたのだ。
 彼がこうして目の前に現れなかったら、俺は自分から彼に近づくことも出来ず、これから先も未練だけを引き摺って毎日を過ごしていた。きっと一生忘れられなくて、ずっと彼のことを諦めるきっかけなど掴めないままだっただろう。

「もちろん渉さんが嫌じゃなかったら。……ああけど、またあいつが煩いかもしれないけど」

 笑顔で答えた彼がふいに眉をひそめるが、俺はその表情に小さく笑った。

「いいよあんなの、どうでも良い。嫌なんかじゃないよ」

 共通の知人である彼の親友は、俺が彼を好きなことを知っていて、二人きりで会うことを許さない。でもしばらくは、あいだにいてくれたら気が紛れて楽かもしれない。
 今はまだ胸が痛む。

「渉さん」

「ん、なに?」

「好きだって言ってくれて、ありがとう」

「うん」

 さよならでもなく、ごめんなさいでもなく。真っ直ぐにそう言ってくれた優しい笑顔が、彼のことがやっぱりまだ好きだ。

「佐樹ちゃん、ありがとう。すごく、好きだったよ」

 まだ今は諦めきれないかもしれない。でも前みたいに少しでも傍にいられるならそれでいい。少しずつちゃんと現在を受け入れるから――もうしばらく優しさに甘えさせて欲しい。

「ホントに、好きだったよ」

 喉の奥が少し痛くて、鼻がツンとした。泣きそうになるのを堪えて彼を抱き締めたら、優しく何度も背中を撫でてくれた。
 彼を好きで、彼を好きになれて、本当に良かったと思う。

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