消えない記憶
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 大きな音を立てて椅子から転げ落ちた城川に、思わず肩をすくめため息をついてしまう。散々なことをしてきた割に肝が小さすぎる。こちらの方がよほど恐ろしい目にあっているというのに、仕返してやる気も失せると言うものだ。

「まだ確認したいことあったのになぁ」

「……そのくらいにしておきなさい。あとはこっちで聴取しておくから」

 完全に伸びきってしまっている城川に俺が息をつくと、突然盛大なため息を吐いた湯田がなんとも言い難い顔で頭を掻いた。

「んー、まあ。とりあえずあるなら写真は消去してもらいたいんだけど。勝手におかずにされても気分良くないし」

「ああ、わかった、わかった。言っておくから。もう帰って良いよ。ほら、そこの怖い顔した番犬連れて帰ってくれ。うちの若いのまで怯えて仕方ない」

 再び湯田に追い払うように手を振られ不満げに目を細めるが、俺は呆れた彼の視線の先へ目を向けて同じようにその顔を見て肩をすくめた。口を引き結んで城川を睨み付けている瀬名は、もう人の好さそうな好青年とは言えない顔をしている。人相が悪過ぎだ。

「じゃあ、よろしくね。ほら、行くよ」

 ひらひらと湯田に手を振って瀬名の首根っこを掴むと、俺はのんびりとした足取りで戸口を跨いだ。

「月島さん。次はもうないように、ちゃんと番犬連れておいてくださいよ」

「……気をつけまーす」

 ふいにかけられた湯田の声に振り向かず笑いながら応えれば、また大きなため息を吐かれた。

「あー、なんか、今日は疲れた」

 今夜の数時間は数日分の疲れが押し寄せたような気分だ。苦手な人の集まりに借り出されて、訳もわからず追い回されて、精神的疲労がひどい。
 何気なく時計を確認すると、もうとっくに終電が終わっている時間だった。道理で人もいなければ、電車も通り過ぎないわけだ。

「渉さん」

 再び駅に背を向けて同じ道を歩いていると、しばらく黙って後ろを歩いていた瀬名が急に俺の手を掴み立ち止まった。

「なに? あ、もう電車ないから車で送ってあげる。ああ、でも飲酒になるから駄目だな。タクシー拾ってあげるよ」

「渉さん」

「だからなに?」

 首を傾げる俺を無視して再び人の名前を呼ぶ瀬名に眉をひそめるが、じっとこちらを見たまま彼はそれ以上何も喋らない。

「それとも朝までお酒でも付き合ってくれるの?」

 口を閉ざした瀬名を待つのが面倒くさくなり、掴まれた手をそのままにして無理やり歩き出せば、突っ張った腕に身体を引き戻された。

「何回目? 今まで何回こんなことあった?」

 背後から伸ばされた腕に抱きすくめられた。きつく抱きついてきた瀬名にほんの少しだけ肩が跳ね上がる。けれどその肩さえも抱き締められているのに、なぜか身動き出来ずに固まってしまった。

「渉さん」

「……そんなのいちいち数えてないよ、面倒くさい」

 そんなことをいつまでも覚えているわけがない。でも――。

「ああ、そうだ。走馬灯って知ってる?」

 急に大きな声を出した俺に驚いたのか、一瞬だけ瀬名の手が緩みかけた。

「……走馬灯?」

 けれどそれはすぐに訝しげな彼の声と共に、再び俺の肩を強く掴む。

「そ、よくドラマとかで生前の懐かしい思い出が駆け巡って、とかあるでしょ。でも実際は、今までの人生であった色んなピンチな場面が、めちゃくちゃ頭ん中過ぎってさ。どうやったら生き残れるか脳みそがフル回転するんだよ、知ってた?」

「……」

「俺が浮かぶのってさぁ。一緒に死んでくれって包丁持って追いかけられたこととか。好きになってくれないなら死んでやるって踏切に引きずり込まれたり、いきなり手首切られて刃物持って迫られたりとかぁ。あとはねぇ、毎日毎日付きまとわれた挙げ句に、なんかいきなり殺されかけたり、犯られそうになったり。そんなんばっかりでさぁ。笑っちゃうよね」

 本当に残念なくらい、思い返せば俺の脳みそはフル回転しまくっている。記憶しておくのも嫌になるくらい面倒なことばかりだ。そんな自分の人生に思わず失笑してしまう。

「……笑えない」

 けれどさもおかしそうに笑った俺に対し、瀬名は歯噛みしながら腕に力をこめる。

「笑いなよ」

「駄目だ」

「なにが?」

 この男は本当に自分本位で、理解力が足りない気がする。そうだなって笑い飛ばしてくれないと、ただキツいだけなのに。瀬名は抱き締める手で俺の肩を何度も優しくさすり、俯いた顔に頬を寄せて来る。

「渉さん、笑わないでちゃんと言った? 悔しいって、悲しいって言った? 今まで言ったことないだろう? あんたはどうせまた、一人で泣いてんだろ」

「耳元で煩い」

 煩わしい。どうして瀬名はそうやって何度も人の内側を踏み荒らすのだろう。

「放っておいてくれる」

 どうして見ない振りをしてくれないのだろう。

「好きになってなんかくれなくていい。俺を傍に置いてよ。俺は絶対あんたを傷つけたりしないから」

「それが面倒……っ」

 緩んだ腕の力を感じ、咄嗟に逃げ出そうとした俺の身体を瀬名が再び抱き寄せる。そして突然塞がれた唇に、言いかけた言葉がすべて飲み込まれた。

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