レンアイモヨウ01

 幼い頃は人を好きになることに優劣はなく、誰を好きだと言っても周りは子供の戯言くらいの反応だった。そのまま成長をして思春期になった頃も、若気の至り、好奇心によるもの、程度の印象しかなかったのか、自分の性癖を自覚したのは少し遅かった。

 人を好きになるのに異性だとか同性だとか、深く考えた覚えがない。けれどそれが世間一般の普通からズレていると気づいたのは、高校の頃だっただろうか。しかしそれに気づいたところで別段なにかが変化するわけでもなく、相変わらず付き合うのは男でも女でも良かった。

 それでも現状を見ると時折このままでいいのかと考えることがある。それは道の先を変えて普通のレールに乗るべきか、と言うようなものではない。隣で笑っている男が、このままでいいのだろうかと思うのだ。

 自分に向かってくる感情が間違いだとは思わないけれど、それでもいまのこの状況は足を踏み外した、と言えるだろう。しかしそれを言ったところで気持ちを曲げる男でないのもわかっている。
 だからそれはきっと、いつか我に返ったこいつに背を向けられるのが怖いと思う裏側にある感情から来るものだ。一目惚れなんて雛の刷り込みみたいな現象ではないか。

「でね、そこのご飯すごくおいしいんです。広海先輩の口にも合うと思うんで行きませんか?」

「……え? ああ」

「先輩? どうかしたの? 上の空だったでしょ。いまの聞いてました?」

「いや、……悪い。聞いてなかった」

 ずっと隣で話す声が聞こえていたけれどまったく話の内容を聞いていなかった。のぞき込むように身を屈めた瑛治はじっと人の顔を見つめてくる。その視線を見つめ返すと、なにやら難しい顔をした。

「なんだ?」

「んー、顔色は悪くないですけど、調子悪いとか?」

「別にどこも悪かねぇよ」

「先輩が素直に謝るなんてらしくない」

「人をなんだと思ってんだ。って言うか、お前は出掛けるのになんで俺についてくるんだよ」

 真面目な顔をしながら失礼なことを言う男の頬を指先で引っ張ってやれば、ひどく情けない表情に変わる。さらにその顔を手のひらで押し退けると口を尖らせながら前を向いた。なにやらぶつくさ言っているがいつものことなので放っておく。

「おい、ここからだと駅近いだろ。行けよ」

「嫌です。せっかく休みで先輩と一緒にいられるのに、もったいない」

「俺は仕事だ。時間の無駄だから早く行け」

「い、や、です! 事務所まで送ります」

「……はあ、もう勝手にしろ」

 休みなんだからもっとゆっくりしていればいいし、こいつの今日の予定は昼前からなんだからこちらに合わせる必要もない。それなのに変に頑固だ。わりと言い出したら聞かないところがあるので、面倒くさいからこれ以上は言わない。
 こういう過干渉なところ、昔の相手なら別れる原因第一位だろうなと思う。なんでかこいつの場合、まあいいかという気にさせられる。言っても無駄、というのもあるが、なんだろう。

「今日は俺、夕方には用事が終わるはずなんで、晩ご飯は久しぶりに外で食べましょう。さっき話したお店とかどうですか? なにか食べたいものあります?」

「ああ、そうか」

「広海先輩?」

 あれだ、ほかのやつに比べて俺に遠慮がないんだ。こちらの機嫌を取ろうと反応を窺うようなところがない。自分の考えがまっすぐにあって、もちろんこちらも考慮はしてくれるが、媚びへつらうようなところを見せない。
 俺が怒っても反省しているような顔をしていながら文句を言ってくる。正直、とでも言うのだろうか。いや、馬鹿正直とも言うかもしれない。まあ言葉を換えてやれば素直でもいいのか。

「ひ、広海、先輩、……あの、そんなにまっすぐ見られると、キス、したくなる」

「は? 馬鹿だろう。もうちょっと理性の紐を締めとけよ」

「だってなんか珍しく笑ってて可愛い」

「目が腐ってんじゃねぇの」

「あ、待って待って! 置いてかないで!」

 やけに目をキラキラとさせて、いまにも飛びかからんばかりの気配を感じた。人通りの少ない道だが、こんなところで抱きつかれてたまるか。振り切るように大股で歩けば、後ろから縋るような声が聞こえる。
 それでも無視して歩みを進めると向こうも大股で近づいてきた。身長差は十五センチほどでこいつのほうが高いけれど、コンパスの差はさほどない。しかし伸ばされた手に手首を掴まれて身体の重心が後ろに下がった。

「もうちょっとゆっくり歩いて、まだ時間あるし、もっと先輩と一緒にいたい」

「散歩じゃねぇんだ」

「だけど最近は休み合わなくてあんまり一緒にいられなかったし」

「お互い忙しいんだから仕方ねぇだろ」

「あー! しまった! 出掛ける前に抱きしめておくんだった!」

「うるせぇ」

 急に頭を抱えて大声を上げる男に冷ややかな視線を向けてしまう。このオープンすぎる脳みそどうにかならないものか。裏表がないところはいいが、もう少し周りに配慮すべきだろう。
 しかし友人辺りにはペラペラ喋ってしまっているようだし、口を開けば俺のことばかりらしく家族にはなんと言っているのか気にかかる。とはいえ、この馬鹿でもそう簡単には親兄弟には言えやしないか。

「次に先輩と休みが合うの再来週ですよ! 俺、死んじゃう!」

「どうせやることしか考えてねぇんだろ」

「……そ、それは、させてもらえるなら、したい、です。えー! でも、俺かなり我慢強いほうでしょ? 月に一回とか二回とかだし、できたら週一くらいしたい、んですけど。広海先輩って淡泊すぎやしませんか?」

「やらなきゃ死ぬわけでもあるまいし」

「俺は死んじゃいます。干からびちゃいます。先輩で充電したい! 一人でするくらいなら俺にさせて欲しいです!」

「それで済むのかよ」

 拳を握りしめた男に目を細めれば、ぐっと言葉を飲み込む。犬のくせに猪みたいなこいつは絶対に触ってそれだけで済むとは考えにくい。それでなくとも普段からしつこいのに、翌日のことを考えるとやりたくない。
 しかし性欲が蓄積されてねちっこくなってるのだとしたら、少し回数を増やしたほうが負担は減るのか? いや、こいつのことだ、回数が増えてもそんなに変わらないな。

「有り余った体力どこかで発散しろよ。運動しろ運動」

「ひどい先輩! 俺がしつこいとか思ってません?」

「現にしつこいだろうが。毎回腰が痛くて仕方がねぇからやりたくないんだよ」

「それは先輩が悪い! だってしてる時の広海先輩って可愛いんですもん! すごくえっちだし色っぽいし」

「自分の理性のなさを人のせいにすんな!」

「うぐっ」

 鼻息荒く力説する男のみぞおちを殴ればうめいて背中を丸める。立ち止まったそいつを置いてまた歩き出すと、よほどいい具合に決まったのかしばらく追いかけてこなかった。けれど数分もしないうちに後ろから勢いよく駆け込んでくる。
 腕を伸ばされて抱き寄せられると背中に重みがのし掛かった。この男ヘタレなだけじゃなくてドMなんじゃないかと疑いたくなる。殴っても蹴飛ばしても尻尾を振り回して寄ってくるんだよな。

「なんか先輩、最近ちょっと優しいですよね。可愛い」

「可愛い可愛いうるせぇんだよ!」

「先輩のこの可愛さを知ってるのが俺だけって思うと、嬉しい」

 耳元で含み笑いする男は抱きしめる腕に力を込める。けれど身をよじろうとしたらぱっと後ろに飛び退いた。俺の振り上げた拳を避けやがった。ムカついて振り向いたらふやけたような顔で笑う。
 この顔を見ると怒る気が失せるのはなぜだろうか。なんだか慣らされてる感じが癪に障る。それでも文句は出てこなかったので、黙って睨み付けるだけに留めた。

「ああ、もう着いちゃった。三十分ってあっという間だ」

「ほら、さっさと行けよ」

「えー、まだ時間早いじゃないですか」

「早い分だけ早く上がれんだよ」

「……そ、それって、俺と出掛けるの楽し、み」

「その口閉じてさっさと行きやがれ」

 余計なことを言い出した口を塞いだら目が輝いた。また見えない尻尾がぶんぶんと勢いよく振られているような気がする。犬、犬はまあ、嫌いじゃない。嫌いじゃないが、こんなデカい駄犬はいらない。
 そう思うのに期待を隠さないその顔を見るとなんとなくむず痒い気持ちになる。この変な感情が胸に湧くと、なおさらこの男に自分の中にあるものは見せたくないと思ってしまう。

「広海先輩、好きです! 大好き! んふふ、今日はいい日だ。仕事終わる頃に連絡しますね。いってらっしゃい!」

 こちらが言わなくたって鬱陶しいくらいの言葉は毎日のように降ってくる。だからいまさら言わなくてもいいだろう。大きく振られた手に肩をすくめて歩き出してもまだ、背中に注ぐ視線はなくならなかった。