レンアイモヨウ04

 残りの時間はなんとか仕事をこなして、一日のタスクは完了させた。文句ばかり言う女子たちは積み上がったファイルを半分ほど片付け、逃げるように帰っていった。少しだけ仕事が減った穂村と言えば、ほぼほぼ書類が片付いている。
 足元にあったファイルもなくなり一息ついた頃に顔を上げた。視線が合うとこちらの様子を窺うような目をする。

「終わったのか?」

「はい!」

「よし、じゃあ、行くぞ」

 そそくさと帰り支度した穂村を連れて事務所を出ると時計を確認する。十八時半――用事を早く済ませてあいつと合流するのがいいだろう。今日は予定が増えたことを伝えたのであと一時間か二時間は暇を潰してくれるはずだ。
 目的の場所も最寄り駅を三つ行った先だから、あとは指輪を選ぶのにどれほど時間がかかるかだ。こういうのは本当に経験がないからさっぱり見当がつかない。

「春日野さん」

「なんだ?」

「もしかして今日なにか予定がありました?」

「なんで?」

「いや、その、さっきから時間を気にしているみたいなんで、もしそうだったら」

「……いや、大丈夫だ。問題ない」

 思いがけない言葉に一瞬焦ったが、なるべくなにもない態で返事をする。普段から気の利くタイプだから人の行動にも敏感なんだな。しかしそうだとしても言われるほど時間を気にしていた自分に調子が狂う。
 あいつといる時は余計なことは考えたりしないのに、なぜだろう。自分の隙間に染み込んでくる感情に振り回されている気がした。いままでの自分はどんなだったろうと少し考えてしまう。
 もっと執着が少なくて、いい加減で、簡単に相手を手放せるような。そう考えると人としても男としても最低ではないかと思える。振られたことはないけれど、長続きしない点ではあまり九条のことを言えない。

「あ、ここみたいです」

「わりと奥まったところにあるんだな」

 電車で移動して駅から歩いて徒歩十分と少しくらい。たどり着いたのは看板が出ているだけのこぢんまりとした印象の店だ。白い外壁に四角い小さなショーケースが三つはめ込みになっていて、木目の扉がある程度のシンプルな外観。
 派手さもなくあまり人目につかないこの場所は男二人という来店にはありがたい。おそらくそういったことも想定しての選出なのだろう。

 扉を開くと中は床や什器がウッド調で雑貨屋のような印象も受ける。リーズナブルなシルバーアクセサリーが入り口から近いところに陳列されていて、店の奥に進むとショーケースに入ったジュエリーが並ぶ。
 明るすぎない照明に照らされるアクセサリーは光を受けてキラキラと輝いて見える。それに視線を向けていると店の奥から女性が出てきた。年若い印象で自分とさして変わらないように見える。

「いらっしゃいませ」

 やんわりと笑った顔はさほど整った、と言う顔立ちではないが穏やかで愛嬌があった。穂村が九条に渡された名刺を差し出すと、またにこやかに笑う。話はすでに通っているようだ。

「どういったものがご希望ですか?」

「できるだけシンプルであまり派手さのないものがいいんですけど」

「そうですね、でしたらこの辺りなどはいかがですか?」

「うーん、悩ましいですね」

 ショーケースの上に並べられた指輪を見つめる穂村の横顔は真剣そのもの。穴が空きそうなくらいの眼差しをしている。曲線のある細目のものやラインの入ったもの、つるりとした飾り気のないものなどが並んでいる。
 けれどいまはこちらがすることはないだろうとその背中から離れて店内をふらつく。さほど広い店ではないが、客の視線を意識した陳列と適度な空間を持たせた店内の雰囲気はかなりいい。紹介してくるくらいだから九条が手がけた店だろうか。
 あまりこういった小さな店は自分では受けたことがないが、いつもあの男はどこから仕事を持ってくるのかと思うほどだ。顧客の数は営業顔負けで、持ってくる案件が本職を上回ることがある。性格はいい加減なのに仕事はできる男だ。

「これみたいな感じでもう少し太めなのってないですか」

「でしたらこれとか」

「それいいですね」

「もしよろしければこの裏側に誕生石とかどうですか? 九条さんからの紹介ですしサービスさせてもらいますよ。予算の範囲でやらせてもらいます」

「んー、じゃあ」

 指輪――左手の薬指はお互いに色々と周りへの説明が面倒だから、するなら右だろうか。なにげなく持ち上げた右手を見つめて、しばらくぼんやりとしてしまう。けれどふと我に返ってその考えは隅へと追いやった。
 それはやはりいまじゃない気がする。もう少しお互いのことが見えてからだろう。いまのこの状況で指輪なんて固執するものが形になったら、余計に自分が駄目になりそうだ。それともこんな考えが浮かぶのはこの関係も潮時って意味なんだろうか。

「春日野さん」

「ん? ああ、指な」

「すみません」

 立ち尽くしていたら視線を感じた。振り返ると申し訳なさそうな顔をする穂村と笑みを浮かべる店員がこちらを見ている。自分の役目を思い出して二人の元へ行くと指の採寸をされた。

「意外と細いですよね」

「なにが?」

「えっと指が、見た目より細いんだなと思って。あの人は見た感じから細いなって思ってたんですけど、春日野さんの手って男性らしく節くれ立っているし、このサイズが入るって結構細いんだなと」

「指輪の大きさはともかく、指の印象が違ったら参考にならなくないか?」

「大丈夫です。こっそり写真を撮ってきました」

「指先が綺麗な方ですよね」

 にんまりと笑みを浮かべた穂村はショーケースの上に置いていた携帯電話を掴み、画面をこちらに向けた。そこには本当に隠し撮りしたのであろう手が写っている。少し暗いけれどほっそりとした白い手が見て取れた。
 これまでの穂村の発言とその手に引っかかるものを感じたが、本人も店員もなんてことないような顔をしているので言葉にするのはやめた。

「サイズと裏石の加工で十日くらいお時間いただきますが大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です。よろしくお願いします」

 思ったよりも穂村は優柔不断ではないようで、指輪を選ぶのも早かった。いまは何時だろうと携帯電話を取り出すとちょうどメッセージを受信する。送信者の心当たりは一人しかいないのでそれを開いた。

 ――いまってまだ事務所? 迎えに行く。

 ――出先だ。

 ――どこ?

 友人たちと別れた様子で行き先をどこにするべきかの問いだった。けれどこのまま駅で待ち合わせると穂村もいる。先約をしていてもほかの人間を優先したところで怒る男ではないと思うが、こちらが悩みはする。
 しかしあらかた用事は済んだので、このまま駅に行ってそこで別れてから待ってもいいか。そう思って返事をしたらすぐさま返信が来た。

 ――そこ二駅だから待ってるね。

 思ったよりも近くにいたようだ。機嫌を表すようなスタンプが送られてくる。やはりとここで言葉を覆す確固たる理由も見当たらない。先に向こうが着きそうなので謝るくらいはしようか。
 謝るより喜ぶことは想像がつくが明日も仕事だしだいぶ面倒くさい。昔はこんなに面倒なんて感じなかったが、受け手に回った負担か。するのが好きじゃないとは言わないけれど、あいつの底なしさに付き合うと気も身体も重くなる。

「春日野さん?」

「ん? 終わったか」

「はい、ありがとうございます」

「じゃあ、帰るぞ」

 ここへ来る時よりも晴れやかになった笑顔はプレゼントを待つ子供のようにも見える。それでも満足げな顔は一つのことをやり遂げた自信が満ちているようでもあった。こういう表情はやはり少しだけあいつに似ていた。
 感情が素直でまっすぐで機嫌が目に見てわかる。小さなことも大きな感動に変えられるような豊かさとでも言うのか。

「すごくイメージ通りのものが選べました。あれなら学校で付けても」

「学校? 年上だよな。もしかして相手って学校の」

「……あ、えーと、はい。通っていた高校の先生です。でも担任とかじゃなくて保健の先生です」

「ああ、なるほど」

 年上の学校の先生。その中でも保健の先生ということは、穂村の学生時代のすべてに近いだろう。確か高校は一年留年していて、最初の二年くらいは保健室と病院通いだったと入る前に所長から聞いた。
 思春期の頃にずっと傍にいた人間ならば、感情がそこに根付くのは仕方ないことかもしれない。相手が穂村を心配するのは吊り橋効果がいつか冷めることが怖いのか。

「子供の憧れから生まれた感情かもしれないけど、いま俺はちゃんとあの人が好きですよ。すごく不器用で優しすぎて自分が傷ついちゃう人なんです。だから守ってあげたい、って思うんですけど。俺にばかり頼るのも気にしちゃうような人だから」

「それは大人としてちゃんと自分の足で立てる人なんだろう」

「そうですね。そうなんだと思います。それに七つも違うから、きっとまだ俺が子供に見えているのかも。早く大人になりたいです」

「大人になるのに歳は関係ない。年を食ってたって子供みたいなやつはいる。それにそんなことを先急いだって相手が心配するだけだ」

「なんだか春日野さんって、考えがすごくまっすぐですね。そっか、って納得できてほっとします」

 人の目に映る自分なんて気にしたことはなかったが、まっすぐだなんて言われたのは初めてだ。長く一緒にいすぎてやはり感化されているなと思ってしまう。そう俺はどちらかと言えばひねくれているほうだ。