コトノハ/05
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 ものすごくなにか言いたげな目で、見つめられている。それでもようやく、追いかけてきてくれたのかと思えば、嬉しさが湧く。
 だが咎めるみたいな目で見られる、理由はさっぱりわからなかった。

「なんで広海先輩が怒ってるんですか?」

「それは、お前が」

「俺がなに? って、どうしたの!」

 ぐっと言葉を詰まらせ黙り込んだ、その様子を見下ろしていたら、俺の腕を掴んだまま彼は歩き出した。
 急な動きについていけず、足がもつれそうになる。

 なんとか体勢を保って後についていくと、公園を抜け、駅へと続く道を進んでいった。このまま家に連れ帰られるのだろうか、一言もなしに?
 ちょっと言葉が足りない、どころではない。

「待ってよ、先輩! 言いたいことがあるなら言ってよ!」

 普段ものごとをはっきり言うくせに、今日に限って本当にはっきりしない。
 掴まれた腕を引いたら、少しばかり振り向いたけれど、すぐにまた力ずくで引っ張られた。

 引き止めようかとも思ったが、ふいに辺りを見回し始めたので、様子を見る。
 先ほど携帯電話を見た時、十七時を過ぎたところだった。まだまだ花見客が駅からやって来て、ここはひと気が多い。

 人のいない場所を探している、のだろうか。

「広海先輩、こっち来て」

 普段ならあまり気が進まないけれど、目についた場所に彼を引っ張り込んだ。
 そこは駅から近いだけあって綺麗だ。広海先輩は潔癖症の気があるから、外のトイレって好まないんだよな。

 ほっと息をつくと、誰もいないことを確認してから、個室の扉を開く。

「瑛冶!」

「しー、大きな声を出すと外に聞こえちゃう」

 公園が上にあるから、駅から近いのに人の気配が少ない。それでもいつ人が来るともわからない。

「もっとほかの場所」

「文句言わないで、緊急事態です」

 わりと広くて助かった。俺たちは身体が標準より大きいから、手狭ではあるが、二人立ってもスペースに余裕がある。
 除菌液で便座や蓋、手すりなどを拭いて、広海先輩が嫌がりそうなところを減らす。最後に自分の手をウェットティッシュで拭いた。

「はい、ここ座って」

 彼は腰かけるのを絶対に嫌がるので、とりあえず自分が先に腰を下ろした。促すように膝を叩くと、眉間にしわを寄せて見つめてくる。
 嫌そうな顔――先輩には悪いけれど可愛い。

「早く」

 腕を引いて、よろめいた身体を強引に引き寄せる。

「瑛冶、ほんとに」

「広海先輩、俺はちょっと怒ってたんです」

「それは」

 過去形だから、もういまは怒っていない。それでも一言が効いたのか、腕を突っ張って肩を押してくる、力がほんの少しだけ緩んだ。
 さらに引き寄せるように、腰へ腕を回したら、渋々と言ったていで俺の膝をまたぐ。

「先輩はなんで怒ってたんですか?」

「怒って、いたわけじゃない」

「鬼気迫る感じだったけど?」

「お前が、あの二人のあとを、ついていきそう、だったから」

「……ん? え? あっ、あれはたまたま方向が一緒だっただけで。俺はただどこに行こうかなって、……いうか。先輩、見てたなら声をかけてよ!」

 お姉さんたちに声をかけられて、後ろ姿を見送ったところまで見ていたなら、もっと早く声をかけて欲しい。
 ムッとして傍にある顔を見つめたら、泳いだ目が伏せられた。

「なんて声、かけたらいいか、……わからなかったんだよ」

「後ろめたかった、の?」

「違う。……珍しくお前が、キレるから」

「それで声かけられなくなっちゃったんですか?」

 普段暢気な分、こういう時に効き目があるのか。もっとキレたほうがいいのかな?
 いやでも、素直にはなってくれるが、それでこんなに萎れてしまうのだからよくないな。

 怖がらせるのは本意ではない。以前のように泣かせることになったら、可哀想だし。
 今日の俺は、思いっきり泣かされたけどね。

「こっち見て」

 伏し目がちな広海先輩は、なかなか視線を上げない。もどかしくなって、後頭部に手を回し、また無理矢理に引き寄せた。
 驚いた様子で目を瞬かせたけれど、お構いなしに唇を塞ぐ。

 さらにはきゅっと引き結ばれた唇を撫でて、口を開かせる。いつもより素直な彼は、黙って俺の侵入を許した。

「んっ、ぁ」

 これは少し、鬱憤を晴らすようで申し訳なく思えたが、されるがままの彼が可愛くて、たっぷりと口の中を荒らした。
 唾液が溢れるほど口づけても、きつく服を鷲掴みするだけで、抵抗をまったく見せない。

 先輩が珍しく落ち込んでいる――そう思ったら、可愛さが増した。
 貪るみたいにキスをすると、涙を浮かべて見つめてくる。その目を見るだけでゾクゾクとした。

 漏れる声さえ飲み込むようにして、息を継ぐ間も与えない。次第に触れる唇が熱を持ち始め、肩を震わせる彼に気づく。
 無意識に口の端が持ち上がったのは、言うまでもない。

「可愛い」

「やめろ、こんなところで」

「やだ。だって俺はまだなにも言われてないです」

「え? あ、悪かった。あれは……ん、ぅっ」

 言い訳を紡ごうとする口をまた塞いだら、肩を叩かれた。逃げようとするけれど、いまここで逃がす気は毛頭ない。
 口先から漏れる声が甘くなり始めて、腰をさらに引き寄せたら、慌てて身を引こうとする。

「先輩って、意外と無理矢理されるシチュエーション、好き?」

「ばっ、か! そんなわけっ」

「だって公園では全然だったのに、いま」

「ここでするのは絶対に嫌だからな!」

 緩く立ち上がりかけている、彼のものを撫でたら、力一杯に顔を押しやられた。ちらりと顔をのぞき見ると、文字通り真っ赤だった。

「こんなところでしたら、絶対許さねぇ」

「そんなこと言いながら、こんなところだからいつもより、ドキドキしてるんじゃない?」

「瑛冶!」

「まあ、ほんといつ人が来るかもわかんないしね。広海先輩のえっちな声も聞けないし」

 こういう密室的なのも、いやいやしているところをするのも、かなり萌える。だがどうせなら目いっぱい、可愛い声が聞きたい。
 広海先輩って普段声が低いから、している時の声が掠れた感じで、色っぽくていいんだよな。

「この近くに男同士でも入れるラブホあるかな?」

 押し剥がされながら、座る前に棚に置いていた携帯電話を手に取る。この辺はかなり辺鄙なので、期待は薄かったのだが、ある――あった!

「タクシーで行けば家に帰るより近い」

 検索結果を彼の目前に向けたら、顔を横に振られた。

「えー」

「無理」

「ほら、ここ、少し手前のコンビニで下ろしてもらえば、五分くらいですよ」

「嫌だ」

「家でしかしたことないし、俺の社会見学。……というより、さっきのお詫びは?」

「それは……っ!」

「しー」

 ふいに人の声が聞こえて、とっさに彼の口を片手で塞いだ。
 年配男性とおぼしき二人連れは、すぐに用を済ませて出て行ったが、目の前の顔が今度は真っ青だ。

「ここよりマシでしょ?」

「家に」

「俺が我慢できない。さっきの言い訳もたっぷり聞きたいし」

「お前がさっき口を塞いだんだろ!」

「広海先輩がもっと早く言ってくれてたら、こうはなってないですよ」

 俺って意外と、この人をいじめるの好きかも。もちろん可愛がりたい意味でのことだが、困った顔をされると丸かじりしたくなる。
 しかしもう一度、キスをしたら噛みつかれた。

「嫌、だって言ってんだろ!」

「痛いです。ひどい先輩。……やっぱり愛がない」

「そ、そんな顔をしても、嫌なもんは嫌だ!」

「先輩って自分のことは押し通すのに、俺のことは蔑ろにするんですね。俺のこと愛してないんだ」

「お前、……底意地が悪い」

 眉を寄せた表情に、思わずにんまりと笑みを浮かべてしまった。
 そんな俺の顔は確かに、ひどく底意地の悪いものだったかもしれない。