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街角は恋をする

一緒に暮らすきっかけ03

 暮らす拠点が、九竜さんの家がメインになった頃。九竜さんから提案があった。広い部屋に一人きりは寂しいだろうから、動物を飼ってもいいと。
 あまり小さすぎない生き物、という彼のリクエストを聞いて、一緒に散歩できる犬がいいだろうと思った。

 マンションのエレベーターやロビーを行き来するので、キャリーで移動できる小型犬か中型犬。
 自分の仕事もあるので、子犬の面倒を見るのは大変だろうから、成犬を里親から探すことになった。

「どの子も可愛くて悩んじゃうな。なるべく大人しい子がいいよね。九竜さんは騒がしいの好まないだろうし」

 子犬がやはり人気なのか、大きな子は結構たくさんいる。会ってみないと相性はわからないし、入れ違いで交渉中になる可能性もあるだろう。
 多めに目星を付けようと思っているのだが、多すぎてもよくない。しかしみんな可愛くて、全然決まらないのだ。

 サイトの写真を眺めているだけで、気持ちが癒やされる。みんな新しい家族を待っているに違いない、そう思うと余計に考えてしまう。

「あれ、この子。昨日までいなかったな」

 黒い虎柄みたいな模様のわんちゃん。あまり見たことのない毛色だ。ミックス犬なのかと思ったけれど、違った。

「甲斐犬? なんとなく聞いたことがあるような。この子も可愛い。あんまり人慣れしてないんだ。飼い主にしか懐かないタイプかな」

 少し寂しそうな目をした男の子。ひどく気にかかったので、顔合わせの候補に追加した。
 メールで予約の申し込みを済ませると、ちょうどスマートフォンが着信音を響かせる。この音は九竜さんだ。

「あ、今日は早く上がるんだ。久しぶりかも」

 メッセージにはもう少しで終わるので、ご飯はどうだ――とある。数日前に、最近忙しくて飲みにも行けていないから、そろそろ行きたいと言ってた。
 九竜さんって、元は毎日飲んでしまうくらいにお酒好きな人だから、ストレスが溜まっていそう。

「急いで準備しよう」

 すぐに迎えに行くことを返信して、開いていたノートパソコンを閉じた。デートするのも久しぶりだ。


 
 マンションから九竜さんが勤める会社までは、バスと電車を乗り継いで四十分くらい。
 迎えに来るなら会社まで来いと言われた。駅の人混みで待たせるのは心配だから、という理由らしい。

 心配しすぎ、と言いたいところだけれど、身に覚えがありすぎて反論できない。どうしてか僕は変な人に遭遇する確率が高い。
 我ながら驚くのだが、朝の散歩中に襲われかけたのは、一度や二度ではない。しかも全部違う人。

 おかげで九竜さんに、散歩禁止令を出されたくらい。前はここまで酷くなかった気がする。
 なにが原因なのかわからないものの、気をつけるに越したことはない。朝晩のひと気の少ない時間は、出掛けないようになった。

 なので今日のお出かけはすごく嬉しかった、はず――なのだけれど。電車に乗って十五分ほど立った頃に、背後に立つ人がどんどんと近づいてくるのがわかった。

 家を出る前に見た時刻は十九時だった。タイミング的に帰宅する人たちで溢れていて、大きく身動きがとれない。
 避けようと思うと、周りの人たちに不満げな目を向けられる。

 背中にぴったりとくっつくほどの近さに、鳥肌が立つ。そうこうしているうちに、手が尻に触れて撫でるようにしてくる。
 痴漢はその人に隙があるからだ、という人もいるけれど、だったら一度経験してみて欲しいと思う。

 声を上げた途端に素知らぬ顔をされたり、逃げ出されたりして、ひどくやるせない気持ちになったことが何度もある。
 しかし好き勝手にされるのも癪だ。狭い中で身をよじって、後ろの手を掴もうと試みた。

「あれ?」

 もう少しで触れそうになったところで、手が離れた。また逃げられるか、と思ったのだが、背後の気配は相変わらず。
 電車の揺れを利用して、後ろ振り返って確かめたら、背後の男性が焦りを滲ませた顔をしている。

 その人の視線の先を追うと、すぐ傍で女の人が、彼を睨み付けるようにして見ていた。
 無言の中で緊迫したような空気。目線を落とせば、彼女が男性の手首を掴んでいる。

「下りなさい」

 電車が減速して停車した、それと同時に女性の落ちついた声が聞こえた。その言葉を向けられた人は、どんどんと顔を青くする。
 ウロウロと逃げ場を探すような目の動き。しかし男性は逃げ出すこともできないまま、電車から連れ出されていった。

 思わず呆気にとられ、見送ってしまったが、発車の音楽が流れてとっさに僕も電車から飛び出した。

「あ、あの! ありがとうございました」

 慌ててあとを追えば、意気消沈した男性が駅員に引き渡されるところだった。
 女性に声をかけると、彼女は少し驚いた顔をしたあと、やんわりと微笑んでくれる。

 まっすぐと見るとよくわかる、その人の目を惹く美しさ。
 目鼻立ちのはっきりした、エキゾチックな顔立ちと、長い赤茶色の髪がまた印象的だ。ヒールと相まって、際立つ長身が迫力を持たせる。

 真っ赤なルージュも全然媚びた感じがなくて、格好いい人といった感じ。女の人でこんなに勇ましい雰囲気がある人、初めてだ。

「気づくの遅くなってごめんね」

「いえ、気づいてもらえただけでも嬉しいです」

 駅員室で状況説明をしたあと、再び電車に乗るため、彼女と一緒にホームへ向かう。
 行きしな、これまでのことにも耳を傾けてくれて、すごく心配もしてくれた。

「あれは曜日や時間を見計らった常習犯ね。でも気が弱い男で助かったわ」

「でも手を掴んだだけで動きを止められるの、すごい気がします」

「ひねる方向があるのよ。人の身体の構造上、それをされると痛くて動けないわけ」

「なるほど。そういう護身術とか撃退法とか、詳しいんですか?」

「防犯や護身のグッズを取り扱った会社に勤めているの。たまに講習会を開いていてね、そういう関係で」

「新堂、蓮花さん。会社の社長さんなんですね」

 彼女――蓮花さんは、鞄から取りだした名刺を手渡してくれる。裏を見ると地図が印刷されていて、都内の中心部にある有名なオフィスビルだった。
 まだ若い印象があるのに、あんな好立地な場所に会社を構えられるなんて、優秀なのだろうな。

「あ、自分は」

「それはまた会う機会があった時でいいわよ」

 我に返って鞄を開こうとしたら、優しい手で制された。その反応をじっと見つめ返すと、蓮花さんはにっこりと笑って、チャーミングに片目を閉じる。

「私が怪しい人じゃないとは限らないでしょう? ウェブサイトとか口コミを見て、安心できたら連絡をちょうだい。防犯対策の護身術を習える講習会、紹介するわ」

「こういうこと言う人が怪しいとは思えないです」

「駄目よ。いい人を装った悪い人かもしれないでしょう? 君はとても素直そうだから、人を少し疑う、警戒することを覚えたほうがいいわ」

「……よく宗教勧誘とか、押し売り販売を断れなくて、恋人に心配されてます」

「それは私でも心配するわ」

 九竜さんがもう一人暮らしをやめて、引っ越してこいと言ったのは、そういうことの積み重ねだ。
 断り切れず話を聞かされて、仕事の締め切りを破りそうになったり、必要のないものに契約させられたり。

 住んでいたマンションはオートロックがないから、玄関先までやってくるので、断れないと捕まってしまうのだ。
 その点、九竜さんのマンションはオートロックだけでなく、コンシェルジュもいる。よほどでない限りそんなことは起きない。

「でもせめて名前だけでも」

「じゃあ下の名前を教えて」

「竜也です」

「タツヤくんね。オーケー! 電話でも、メールでもすぐわかるわ」

「今日は、本当にありがとうございました」

 きっかけは、あまりいいものではなかったけれど、蓮花さんとの出逢いは、なんとなくいいことのように思えた。
 頼り甲斐があり、安心感が持たせるところ、少しだけ九竜さんと似ている。

 一つ先の駅で降りた蓮花さんとは、電車の中で別れることとなった。

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