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街角は恋をする

一緒に暮らすきっかけ07

 引っ越しの後片付けが終わる頃に合わせて、トライアルが始まった。やって来たのは甲斐犬の男の子。
 一推しと思い、期待していた子だ。

 以前の飼い主さんにしか懐いておらず、なかなか引き取り手がなかったらしいのだけれど、いざ来てみたら杞憂だった。
 最初こそキャリーバッグからなかなか出てこなかった。しかし部屋を歩き回り始めると、用意したベッドが自分の場所とばかりに横になる。

「九竜さんのお家は落ち着くのかな?」

「静かだからじゃないのか?」

「神経質な子は物音に敏感って言いますしね」

 九竜さんの部屋は高層マンションの中層くらい。
 地震が来てもそれほど揺れない位置で、外の喧騒なども届かない。ちょうどいいところ。
 僕も、彼も騒がしいのは好みではないため、部屋の中は音量を絞ってかすかに音楽が流れる程度だ。

「前の飼い主さんはお年寄りだったって聞きましたし、のんびり過ごせるところがいいのかな」

「しばらく好きにさせておけ、寄ってきたらかまってやればいい」

「はい、そうします。九竜さん、コーヒーを淹れますか?」

「頼む」

 すやすやとベッドで眠り始めた様子にほっとした。物音を立てないように側から離れ、今度は持ち帰りの仕事をしている九竜さんのためにキッチンへと向かう。
 オープンキッチンでリビングにいる彼の姿が良く見える。

 仕事中は眼鏡を掛けているらしく、まだあまり見慣れない横顔がいつもにも増して格好いい。

 穏やかな時間が流れる中で、いつものコーヒー豆を挽きながら、鼻歌を歌っている自分に気づく。
 九竜さんは毎日といかないまでも、家にいてくれる日が増えた。広い家が寂しいと思うことはほとんどない。

 新しい生活が予想以上に快適だった。
 わんちゃんもこのままいてくれたら、楽しい日々を過ごしていきそうだ。

「そういえば、蓮花の講習会、行くんだったか?」

「はい、行きます。やっぱりなにもしないよりいいかと思って」

「そうか、まあ、見ず知らずのやつがやっているところへ行くよりいいだろう」

「九竜さんのお姉さんだから、僕も安心できます」

 マグカップを二つ持って傍まで行くと、ノートパソコンに視線を向けていた九竜さんが顔を上げた。
 テーブルにカップを置き、彼の向かい側へ腰を落ち着ければ、パソコンを閉じて向き合ってくれる。さりげないけれど、九竜さんのこういった行動が素敵だなと思う。

「でも蓮花さんが、九竜さんのお姉さんだったのはびっくりしました」

「俺もさすがに驚いた」

「縁ってどこで繋がるかわからないものですね」

 名字が違うのでまったく想像もしなかった。
 後日、彼女の言うとおりにホームページで会社の概要などを確認していたら、九竜さんが気づいて教えてくれたのだ。
 格好いい女性だと思っていたが、九竜さんのお姉さんと知り、なんだか納得してしまった。

 顔が似ていると言うより、性格が似ている。
 九竜さんも初めて会ったとき、自分をとても気にかけてくれた。他人の窮地を、素知らぬふりせず助けてくれるところがそっくりだ。

「そういえば、九竜さん」

「なんだ?」

 コーヒーを飲む手を止めて、視線を向けてくれる九竜さんに少しまごまごとしたら、彼は不思議そうに首を傾げる。
 
「あの、蓮花さんが」

「どうかしたのか?」

「……名前で、呼んでるのを聞いていいなぁと。あっ、お姉さんだから名前で呼ぶのは当然なんですけど」

 もじもじとして、マグカップを手のひらで撫でていれば、九竜さんは言いたいことに気づいてくれたのだろう。くすっと小さく笑った。
 そして少しだけテーブルに身を乗り出し、頬杖をつくとじっとこちらを見つめてくる。

「同じ竜のつく名前が良かったんじゃなかったか?」

「そう、なんですけど」

 意地悪い瞳で見つめられて、僕はたまらず俯いてしまった。
 からかわれているとわかっていても、九竜さんにまっすぐ見つめられるとそわそわしてしまう。

「自由に呼べばいい」

「いいんですか?」

「ほら、試しに呼んでみろ」

「……えっと、し……、し」

「ん? その続きは? 忘れたか?」

 ずっと読んでみたいと思っていた名前。だというのにいざとなると自分の口からなかなか言葉が出てこない。
 恥ずかしくて顔が熱くなってきた頃、九竜さんは静かに立ち上がり傍まで来てくれた。

「名前を呼ぶのが恥ずかしいなんて、可愛いな、竜也は」

「呆れてませんか?」

「いや、まったく」

 言葉どおり、九竜さんの瞳に呆れの色は見られない。ただひたすらに楽しそうな色を見せている。
 ムッと僕が口を尖らせたら、彼は屈んで僕の唇へキスをした。

「口を塞がれたら呼べません」

「塞いでいるあいだに頭でシミュレーションでもしておくといい」

「……んっ」

 九竜さんは冗談で言っているのだろうけれど、彼にキスをされてほかのことを考えろというのが無理だ。
 最初は優しく触れるキス。甘くて、気持ち良くていつの間にか自分から両手を伸ばしてしまった。

 抱き寄せてくれた九竜さんはそのまま僕の体を持ち上げ、軽い足取りでソファへと向かう。
 彼の膝の上に下ろされたあとは、たっぷりと舌が口の中を愛撫してくれる。ぎゅうっと首元へ抱きつく僕に、九竜さんの口元が笑みを浮かべた。
 
「竜也、そろそろ言えそうか?」

「……し、獅王しおう、さん」

「あんたの口からその名前を聞くと感慨深いな。仰々しい名前だと思っていたが悪くない」

「自分の名前、あまり好きではないんですか? 格好いいのに」

「九竜に獅王なんて、どっちも厳つすぎるだろう。入社した時、名前がうるさいって野上さんに笑われたな」

 僕の髪を撫でながら苦笑する獅王さんを見つめ、確かに普通の人だったら名前負けをしそうだなと思った。その点、彼は見た目も貫禄があるからとても似合っている。

「獅子の王様、ライオンですね。ライオンって愛妻家らしいですよ」

「ライオンの雌は気が強いから尻に敷かれるんだろう」

「僕では無理ですね」

「そうでもない。俺は竜也が言うことならなんでも聞く。いっそ跪いてもいいぞ」

 こめかみや頬へ口づけてくれる獅王さんの言葉に胸がドキドキとする。
 誰よりも格好良くて強そうな彼が、僕にだけはこうべを垂れてくれるというのだ。想像するとゾクゾクとするけれど、やはり彼とは同じ目線がいいなとも思う。

「なんでも聞いてくれるなら、一緒に並んでほしいです」

「――竜也は本当に欲がない」

「あっ、あります! 獅王さんは独り占めしたいです!」

「だからないと言ってるんだよ」

 思いきって言葉にしたのに、獅王さんはどこか呆れた様子だ。それとともに嬉しそうにも見えた。

「ぐぅ」

「……ごめん、うるさかったかな?」

 小さい鳴き声が聞こえて振り向くと、ベッドで寝ていたわんちゃんが少し不満顔だ。それでもおいで、と声をかけるとトコトコ歩いてくる。
 傍に来た彼は、僕と獅王さんを見上げてから、ソファに手をかけた。

「仲間に入れて欲しいんじゃないか?」

「載れるかな?」

 ぽんぽんとソファを叩いてみせたら、わんちゃんは尻尾を揺らして軽々とソファの上へ飛び乗った。
 お利口だねと頭を撫でれば、今度は僕の膝に顎を乗せる。

「可愛い」

「この様子なら大丈夫そうだな」

「もし引き取れるとしたら、名前どうしましょう」

「好きにつけるといい」

 後ろからお腹へ腕を回してきた獅王さんは、肩越しにわんちゃんと見つめ合っている。
 じっと黒い瞳で、獅王さんを見ているわんちゃんの姿を見ていると、この家のボスは彼である。というのを感じ取っていそうだ。

「そうだ! リュウにします」

「竜也はそんなにその響きが好きなのか?」

「これから獅王さんって呼ぶので、竜が被らないので」

「三人揃いというわけか。まあ、いいだろう」

「ありがとうございます! リュウ、ここに早く慣れてうちの子になってね」

「くぅ」

 返事をするみたいにひと鳴きしたリュウ(仮)は、尻尾をゆらゆらさせて黒い瞳をキラキラとさせた。

「獅王さん、家族が増えると嬉しいですね」

 この部屋で獅王さんと一緒に暮らすと決まったときもわくわくした。その時と同じくらい、リュウも加わった生活が楽しみで仕方がない。
 嬉しくて獅王さんの頬へお礼のキスを贈ったら、お返しとばかりに愛情のこもったキスが降ってきた。

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