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街角は恋をする

一緒に暮らすきっかけ04

 九竜さんの会社に着いたのは、マンションを出て一時間近くも経った頃だ。
 それでも何十階まであるのか、と思えるほどの、エレベーターがいくつもある大きなビル。そこが駅と直結していて、連絡通路を通って五分と少しくらいだったのが幸いした。

「九竜さん!」

 駆け込んだそこで辺りを見回せば、待ちわびた様子の九竜さんがソファから立ち上がった。
 遅れた理由を話すと、ひどく苦々しい顔になる。

「ごめんなさい」

「竜也が悪いわけじゃないのは、わかっている。人の多い時間帯だったことを、考慮しなかった俺が悪い」

「そんな、九竜さんが悪いわけでもないですよ」

「そうそう、悪いのはこんな可愛い子に邪なこと考えたやつだ」

 難しい顔をする九竜さんの横で、うんうんと大きく頷く男の人がいた。
 ひょろりとした印象があるけれど、おそらく九竜さんの背が高くて、身体が大きめだからそう見えるだけだろう。

「いくらこんなに可愛くたって、思うだけに留めないなんて、男として最低だ」

「九竜さんの同僚の方ですか?」

「しまった! 自己紹介が遅れた」

 自分のことのように、痴漢に憤慨する様子を見せていた彼は、問いかけにぱっと表情を変えて笑顔を浮かべる。
 コロコロと表情が豊かに変わる、明るい雰囲気の楽しそうな人だと思えた。

「俺は野上、野上誠二って言うんだ。一応こいつの上司でな」

「僕は長塚竜也と言います。上司さんなんですか。お若く見えるから」

「若い? そう? そうかぁ。おい、聞いたか。やっぱり俺はまだ若いんだってよ」

 ニコニコ笑みを浮かべながら、野上さんは九竜さんの背中をバンバンと叩く。対照的に叩かれているほうは、呆れた顔をしていた。

「野上さん、仕事がまだ残っているんじゃないのか?」

「残ってる。残ってはいるが、お前の可愛い子ちゃんが来るって聞いたら、挨拶しないわけにはいかないだろ」

「挨拶が済んだなら、戻ったら?」

「今度飯、行こうぜ。うちのハニーも入れてさ。あいつは可愛い子が大好きなんだよ」

「そのうちな」

「お前のそのうちは、一生来ないって俺は知ってるぞ。今度の週末はどうだ? 竜也くん、おいしいもの食べに行こう」

 ぽんぽんと言葉が飛び出す様を見ていたら、急に話を振られて、思わず九竜さんを見てしまった。
 眉間にしわが寄っているが、怒っているわけではなさそうだ。どう切り返すべきか、考えているのかもしれない。

「九竜さんが嫌じゃなかったら」

「……竜也が行きたいと言うなら連れて行こう」

「はい、ぜひ!」

「まあ、確約はできないがな」

「え?」

「いまこの人の抱えている案件が山なんだ。週末に生きていられたらの話だな」

「く、九竜~! 現実を思い出させるな!」

 しれっとした顔で肩をすくめた部下に、野上さんはひどく恨めしそうな目を向けた。言葉以上に大変なのだろうことが、とても伝わってくる。

 二人は会社の上下関係にあるけれど、仲は案外良さそうだ。気兼ねない付き合いができているのだろう。
 こういう関係は少し羨ましくある。僕は一人で仕事をしているから、仲間というものがいない。

 色々相談し合えるような、そんな相手が欲しいな、と思う。

「竜也、行くぞ」

「はい。野上さん、お仕事、頑張ってください」

「おう! 竜也くんの応援があれば百人力さ」

 ガッツポーズした野上さんは、にっかりと笑って見せてくれる。
 今日はなんだか素敵な人に会う日だな。嫌なことがあったけれど、プラスマイナスゼロ、というよりはプラスな気分になった。

 先を歩きだした九竜さんのあとを追いかけると、自然な動作で腰に腕を回される。
 いつもさりげなさすぎて、抱き寄せられてから恥ずかしさが湧く。しかもこの場所は、彼が勤めるオフィスの入ったビル。知っている人だっているかもしれない。

 女の人に間違われることもあるけれど、絶対に見間違えられるわけでもない。
 前から思っていたが、九竜さんは性別に頓着しないのだな。

 男だとか女だとか、性別の違いに差を持たせない。以前連れて行ってくれたバーのマスターさんが、そんなことを言っていた。

「今日の体調は?」

「絶好調です! 飲みに付き合えますよ」

「そうか、じゃあ食事と酒がどっちも楽しめるところへ行こう」

「楽しみです」

 今日は飲んで迷惑かけないように、悪酔い予防をしてきた。お酒を飲む前に服用するといいらしいドリンク。
 少し苦くて飲みにくかったものの、効く感じもする。プラシーボ効果かもしれなくても、意識が大事、なはず。

 行き先は電車で乗ってきた方向へ、四駅ほど戻った駅。そこはお洒落な店が建ち並ぶ、どこか大人っぽい雰囲気がある。
 自分一人だったら、場違い感があって、足早に通り過ぎてしまいそう。

 九竜さんはどんな場面でも絵になるな。特に夜の街がよく似合う。
 初めて声をかけてくれた時、繁華街の明かりの下で見た彼が、すごく格好良くて見惚れた。

 いままでずっと男の人が苦手だったのに、九竜さんだけは違った。みんながみんな邪な気持ちを持って、自分を見るわけではないし、優しい人はほかにもいたけれど。
 差し伸ばされた手を、掴まずにはいられなかった。

「ここだ」

 裏道を歩いて五分くらい。足を止めたのは、カフェのような外観をした店だった。ウッドデッキがあって、外にも席がある。
 店の前の看板にはお酒の名前が並んでいるので、カフェバーというやつかもしれない。

「いらっしゃいませ」

 店に入ると九竜さんを見た店員さんが、やんわりと笑った。精悍な顔つきの男前さんと言った感じだけれど、笑った顔がすごく優しい。

 店の中はナチュラルテイストで、やはりカフェの印象が強い。カウンター席と、テーブル席が五席ほど。
 席数はそう多くないが、店内は広くゆったりと時間が過ごせそうだ。

「久しぶりですね」

「外を出歩くのも久しぶりだ」

「相変わらずお忙しいんですね」

 まっすぐに、カウンターのほうへ歩いて行った九竜さんは、奥のほうで椅子を引いた。
 促されるまま隣へ腰かければ、店員さんがこちらを見て、またにこりと笑う。

「ここはなにを食べても外れがない。好きなものを選べ」

「メニュー豊富ですね。悩ましい」

 開かれたメニューは写真付きで、どれもおいしそうに見える。
 自分が唸っている横で、九竜さんは真っ先にビールを頼んでいた。
 最近は家に帰ってきても、ご飯を食べたあとは飲む間もなく就寝、だったので、よほど飲みたかったのだろう。

「どれにしよう。んー、オムライスがいいかな。これにします。あとモスコミュールを」

「それとウィンナーの盛り合わせと、サーモンのマリネ、ローストビーフを頼む」

「かしこまりました」

 注文を済ませて、出されたお酒に口を付けると、ほっと息がついて出た。そんな自分の様子に、九竜さんは優しく目を細める。
 伸びてきた手に頬を撫でられると、胸がほんわりと温かくなった。

「少し緊張していたか?」

「あ、そうなのかも、しれません」

 もう過ぎたことと思っていたけれど、電車での出来事が胸に引っかかっていたのだろう。九竜さんが傍にいるから、心配はないのに、電車に乗っているあいだすごく緊張していた。

「でも大丈夫です」

「あまり我慢はするなよ」

「はい。あっ、そうだ。家を出る前にわんちゃんとの顔合わせの申し込みしてきたんです」

「随分悩んでいたが、決まったのか?」

「最終的に三頭に絞りました。一推しはこの子です」

 鞄から取りだした携帯電話で、ブックマークしていたページを開く。写真を見せたのは、最後に見た甲斐犬の男の子。
 相性が合わなければ、トライアルも難しいと注意書きがあったのだが、一目惚れしてしまった。

「珍しいな。天然記念物指定されている犬だ」

「そうなんですか。珍しいわんちゃんだなとは思ってましたけど」

「トライアルにこぎ着けられるといいな」

「頑張ります」

 まだ決まってもいないのに、この先の楽しみに期待を膨らんでいく。嬉々とこれからのことを語る僕に、九竜さんは黙って相づちを打ってくれた。

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