第10話 聖女からの忠告

 異世界からやって来た二人は、深い慣れ合いはしないけれど、環境には随分馴染んでいるようだった。
 元より、順応力の高さは初日から発揮されていたので、当然の結果でもある。

 聖女として神殿に敬われている桜花は、人心を操るのが上手い。
 教祖化が起きない程度に、神官たちの心をがっちりと掴んでいた。

 明るい雰囲気と元来の人懐こさの効果か、堅苦しさのあった神官たちがやたら和やかになった、と周囲に噂されている。

 元の世界へ帰る意志が固い彼女は、いまから自分がいなくなったあとの神殿に心を砕き、力の補い方を伝授しているのだという。
 本当に人間関係のなんたるかをよく理解しており、抜かりがない。

「でね、その人の話が面白くて」

「オウカさんは今日も元気そうで良かったよ」

「ん? だって毎日って有限だし、楽しいほうが充実するじゃない」

 午前の執務を終わらせたリューウェイクは、日中、神殿にいることが多い桜花を訪ねた。
 彼女は国からの依頼品に聖女の祝福を付与しながら、普段と変わらず、お喋りに勤しんでいる。

 テーブルの上には、国宝級になりそうな宝石や魔石をあしらった装飾品と並び、色とりどりのお菓子が広げられていた。
 優雅にティータイムをしながら祝福をするなど、前代未聞だろう。

 それでも相手が桜花ならばありえると、疑問や戸惑いが常識をするりと抜けていくのだから面白い。

 黒髪を綺麗に結い、聖女用にあつらえた純白に銀糸の刺繍が施された装束で、ソファに腰かける姿は非常に神聖さがある。
 ただ話し出すと途端に、庶民的な性格があらわになり、落差をとても感じた。

「それにしてもこの量は……ごめん。毎日こんな地味な作業をさせて。兄上は限度というものを知らないんだろうか」

 まだ預かったものはほかにあると神官が言っていたけれど、目の前に積まれた化粧箱の数も大概だ。
 リューウェイクは改めて依頼品の多さに気づき、痛む頭を押さえた。

「いいよ、いいよ。気にしないで。これで元の世界に帰してくれるんなら安いもんよ」

「帰還の術の研究はきちんと進めてるから」

 聖女が去る代わりに、後世に受け継いでいく聖遺物を作るよう言われたのは最近だ。
 二人が召喚された春先から季節が移り変わり、いまは初夏の日射しが降り注ぐようになった。

 帰還の術は召喚成功のあとから、リューウェイク主導でかなり力を入れて研究を進めている。
 しかし国の中枢は反対意見が多いので、協力してくれる学者や魔法使いの数は多くない。

 少数の召喚反対派が目立たぬようひっそりと、研究と実験を繰り返している。
 そんな中で再三、リューウェイクは次兄のアルフォンソに聖女の説得をするよう、口うるさく言われていた。

 雪兎のことは眼中にないが、なんとかして桜花を留まらせたいらしい。
 とはいえ本人の意志が微塵も変わらないのは、目に見えてわかる。

 結局このまま表立って無理を強いれば、聖女の力を使わない反対運動をされかねない。
 譲歩として、国のために女神の加護を遺せと言い出したのだ。

 勝手に喚び寄せておいて、自己本位に物をねだるなど、まるで幼子の暴挙だとリューウェイクは心底呆れた。

「せっかくだから、リューくんにもとびっきりの祝福を込めたのあげようか?」

「いや、そこまですごいのは逆に遠慮する。持つのが恐れ多すぎるよ」

「そう? あっ、そっかぁ。リューくんはもうめっちゃご利益ありそうな、とびきりの祝福をもらってるもんね」

「え? そういった品は持ってないけど」

 指摘された物がさっぱり思い当たらず、訝しげにリューウェイクは首を傾げる。
 だがテーブルに飛び乗りそうな勢いで、桜花が身を乗り出してきて、驚きで体がのけ反った。

「それ! 剣につけてる、ゆー兄とお揃いのやつにしっかり祝福がこもってるよ」

 身を引いたまま固まっていれば、桜花は小さく揺れた暗赤色の魔石を指さした。

「ゆー兄ってば付与は苦手とか言ってたのに。ちゃっかりしてるわぁ」

「いつの間に……ユキさんは、付与を覚えたの?」

「わたしが習い始めた時だよ。試しで一緒にやったんだけど、実はゆー兄のほうが上手だったんだよねぇ。でも後々面倒くさいからできないフリしてた。わたしが魔力の物量で殴るタイプなら、ゆー兄は技術でカバーするタイプ」

 少しばかり口を尖らせ、ソファに腰かけ直した桜花は、再びサクサクと装飾品に祝福を付与していく。
 両手で包み数秒、ほんのり輝くと聖女の付与が完了だ。

 神官たちは丸一日、祭壇で祈りを捧げてようやく数個なので、効率が桁違いである。
 まさかこの祝福を雪兎が使えるとは、リューウェイクは想像もしていなかった。

 以前、魔力が少ないからさほど――なんて国に申告したのは、わざとかもしれない。下手に自身まで囲い込みされては、厄介だと思ったのだろう。
 兄妹揃って面倒ごとを回避するのが上手だ。

(それにしても、本当にいつの間に)

 向かい側で作業を見つめながら、リューウェイクはいつ雪兎が魔石に祝福を付与したのか、バザールからの記憶を巻き戻し考えた。

 近頃の雪兎は、自分の長剣や揃いの品が嬉しいのか、とても機嫌が良さそうではあった。
 桜花から贈られた剣帯も、リューウェイクと色違いのデザインで、飾り緒も石の色が違うだけで形は揃いだ。

 毎日、リューウェイクの腰元で揺れる魔石を見て、至極満足げに微笑んでいたけれど。

「あっ、あの時か」

 ふっと思い出された光景――手渡される直前に、雪兎は魔石に唇を寄せていた。
 いくら考えてもあれ以来、彼は飾り緒に手を触れていないので、タイミングはそこしかない。

 だとしてもなんてキザな付与の仕方なのか。
 自覚のない誤解を与える行動、再びだ。

「あのさぁ、リューくん。うちのお兄ちゃんはわりと世話焼きで、懐に入れた人間には甘々でさ。勘違いされやすいんだけど、浮気な男ではないから」

「それはどういう意味だろうか」

「んー、たぶんね。これから距離感がバグってくるはず」

「バグる、とは?」

「うん、距離が近くなりすぎるって意味。きっとすぐに実感すると思う。あえて言うならば、ゆー兄はリューくんをめっちゃ気に入ってるって意味かなぁ。最近はわたしと会うたび、一言目にはリュイが、リュイは、なのに。本人がアホらしいほど無自覚」

 やれやれとわざとらしく言葉に出し、桜花は大仰に肩をすくめる。
 リューウェイクとしては、元より雪兎の距離がやけに近いと感じていたが、これからはさらに近くなるとの桜花の予言めいた忠告。

 もしや、これまで他人と私的な距離で接した経験がなかったから、近く感じていただけなのか。
 肩が触れるほどの距離が普通なのだと思うと、リューウェイクには驚きしかない。

(いまでもかなり近すぎてびっくりするんだけどな。拒否したらさすがに傷つくだろうか)

 なんとなしに思い浮かべ、しょんぼりとした雪兎の姿が思い浮かぶと、ひどく良心が痛んだ。
 目の前で本当にそんな表情を見たら、想像以上に胸が痛みそうに思えた。

「待ってリューくん。すぐ触れられるほどの距離は普通じゃないからね。いまも大概近いけどもっと注意が、心構えが必要よ。出会って話すようになったら庇護欲が湧いちゃって、元から距離感がおかしいのに――リューくんはいい迷惑ね」

 最後に聞こえた小さな独り言に対し、リューウェイクは黙って笑むに留めた。
 同時にあの距離が普通ではないのだと知って、安堵したのが正直なところだ。

「ユキさんへ対しての忠告はともかく、神殿での活動は特別問題ないようで安心した。少しでもなにか気になったらためらわず僕に連絡をしてほしい。一週間後に遠征に行くから数日不在にするけど、急ぎは伝言を頼んでくれたら早急に対応する」

「あれ、リューくんはしばらくいないの?」

「夏の討伐遠征があってね。メインは森の祠にある守護石の交換なんだけど」

「ああ、このあいだ、話は聞いた。えっと、うちの兄は?」

「これからその話をする予定。……もしかしてついてくるかな?」

「きっと行くねぇ。行きたがるねぇ。――いまは離れたくない時期だろうし」

 二人で顔を見合わせ、しばし無言が続いてからお互いに微妙な表情になった。
 思い浮かんだ悩みはそれぞれ異なるだろうけれど、根底は似たり寄ったりな気もする。

「あっ、リューくん。いつ伝えるべきか悩んでたんだけどさ」

「なに?」

 いとまを告げ立ち去ろうとしたところで、リューウェイクは桜花に呼び止められる。
 見上げてくる視線に目を合わせて先を促せば、少しばかり逡巡した彼女がきゅっと手を握り合わせた。

「わたしはいま聖女なんて言われてるけどね。本当に喚ばれたのはゆー兄なんだよ。あの時、突然ゆー兄がキラキラしだして、すごくびっくりしてとっさにしがみついたら、一緒に来ちゃっただけ」

「……そう」

 思いがけない桜花の告白に短く返事をしたあと、どんな会話をしたか。
 あまりにも予想外で、なおかつ衝撃的でもあって。

 そののち時間が経ってからも、リューウェイクはまったく思い出せなかった。