第16話 向けられるその感情は
夕刻が近づき、続々と王城へ馬車が向かってくる様子が、部屋の窓から見下ろせる。
階級の低い貴族たちから大ホール――会場である離宮――に入場するが、王族の出番は最後なので、普段のリューウェイクはギリギリまで私室で時間を潰す。
兄夫妻やほかの親族が控え室に集まっていても、その場にいるのが落ち着かないためだ。
相変わらずリューウェイクの立ち位置は、前両陛下に見捨てられた子で、軽んじていい存在となっている。
暇つぶしに嫌味を言われるのはさすがに勘弁だった。
ただ今日ばかりは部屋に篭もらず、神殿へ足を伸ばすことにした。
少し前に雪兎が桜花を訊ねてそちらへ向かったと、メイドが耳打ちしてくるので、顔を出さないといけない気になる。
元より雪兎の部屋へ行くつもりだった予定を考えれば、手間が省けたとも言えるが。
「ああ! なんて美しいお姿でしょう!」
「これは国の宝よ!」
「聖女さまやユキトさまもお喜びになるに違いないわ!」
ロングブーツに足を通し、襟や袖の具合などを鏡の前で最終確認していると、出来映えに満足したメイドたちが互いに称え合っている。
かなり大げさな物言いに呆れはしても、感動に水を差すほどリューウェイクも野暮ではない。
そもそもこうして着飾った姿を褒めてくれるのは、これまで彼女たちしかいなかった。
ほかに喜んでくれる相手がいると思うだけで、嬉しいに違いない。
「支度をありがとう。では、行ってくるよ」
控えていた侍従から愛剣を受け取り、腰に佩くと背筋が伸びた。
横並びに立つメイドたちに礼を告げれば、彼女たちは一斉に頭を下げ「いってらっしゃいませ」と声を揃える。
「あれ? 珍しいな、馬車を用意したのか?」
宮殿の玄関ホールを出ると、リューウェイク専用の紋章を掲げた、小さめの馬車が駐まっている。
普段は神殿まで徒歩で行くのだが、衣装に配慮したのかもしれない。
出番までに少しの汚れも見逃せない、メイドたちの気概を感じる。
(外を歩いていると人目につくから、気にしてくれたのもあるんだろうな)
訪問客と動線は被らないが、万一ということもある。
いくら敷地内とはいえ、徒歩で歩き回る王族はリューウェイクくらいだ。
本人はいい運動程度にしか考えていないものの、品がないだとか王族らしくないだとか、陰口を言われたのは数知れず。
久しぶりに乗る馬車の揺れを感じながら、リューウェイクは小さく息をついた。
「リューウェイク殿下、ようこそいらっしゃいました」
神殿に着くと先触れを受け取っていたのか、数人の上級神官が出迎えてくれた。
相手が周りにどんな扱いを受けていても、王家の人間だからなのか、神殿のリューウェイクに対する、丁寧な接し方は昔から変わらない。
大神官は女神の神託を聞くというが、愛し子の存在は伝わっているのか不思議でもある。
「リューくん、いらっしゃーい!」
案内され一室に通されると、気づいた桜花がすぐさま片手を振り上げた。
準備はすでに整っているようで、ソファに腰かける彼女はいつも以上に着飾られている。
複雑に編み込み、結われた黒髪には、花飾りや宝石を散りばめた髪飾りが煌めいていて、神秘的な魅力が倍増して見えた。
ドレス生地はリューウェイクの衣装と同じく、シルバーブルーだが、砕いた宝石を散らしているのか、光の加減でキラキラと輝く。
細身の体が映える、ラインに沿った裾の広がりが少ないデザインは、トレーンが長めで、清楚で女性らしい雰囲気に仕上がっていた。
「とても綺麗だね」
傍まで行って、リューウェイクはそっと手袋の上から桜花へ口づけを捧げる。
すると煌めく黒い瞳が瞬き、あっという間にせっかくの美貌が、ニヤついた表情に変わってしまった。
しまいにはだらしない顔で「むふっ」と奇妙な笑い声を上げる。
「オウカさん?」
「いいわ、いいわぁ。正統派イケメンの正装、麗しい。ゆー兄と揃えて正解だったわ」
「やっぱり揃えたのは、オウカさんだったんだね」
「みんなの欲望を叶えたまでよ。美形のリンクコーデは目の保養でしかないでしょう!」
「……欲望」
勝ち誇ったような顔で笑う桜花に呆気にとられる。
彼女の向かいで、優雅にティーカップを傾けている雪兎へ視線を向ければ、軍服のデザインをベースにした衣装を身にまとっていた。
シルバーブルーを差し色にして、黒色をメインに配色した結果、引き締まった男性らしい印象に仕上がっている。
ふくらはぎまであるというロングジャケットは、間違いなく雪兎の長身を際立たせるだろう。
こうしてみると、やはり彼は体のバランスが素晴らしい。
詰め襟が包む首のライン、肩章が映える肩幅。程よく筋肉をまとった腕や、ロングブーツが似合う長い脚は言わずもがな。
いつもとは異なり、左サイドの髪を上げているので、片側だけ目元にかかる前髪がやけに色気を感じさせる。
そもそも印象的な瞳は、視線を向けるだけで女性がよろめくのだ。
最近では密やかに視線を送る令息の姿も見受けられた。
これまで以上に麗しい雪兎の仕上がりはさすがだ。
とはいえ金ボタンはまだしも、使われている宝石類が紫系しかないのは気にかかるが。
そういったものとして仕立てているのだから、小言を言っても仕方がない。
二人だけでなく桜花の衣装も同じ布を使い、完全に二人揃いにしていないだけマシだ。
リューウェイクはなんとか自分を納得させた。
(オウカさんの性格を把握してるのだろうけど、ユキさんはいまの状況が嫌じゃないのかな)
こちらの世界の風習と違いがあるはずなのに、まったく顔色を変える様子もなく堂々としている。
しかも開き直りなどではなく、微塵も気にしていないが正しいに違いない。
(もしかして向こうでも同性恋愛は忌避されないのだろうか)
貴族の恋愛は、結婚前のお遊びと言われることも多いので、今夜集まる者たちもさほど気にしないと予想できる。
多少悪意を含んだ嘲りを覚悟する必要はあっても、雪兎に直接なにかを言ってくる強者は現れないだろう。
「彼の顔を前にして、大きな口を叩く人はいないよな」
「ゆー兄は、自分の顔を鏡で確認してから出直して来い、って本気で言える顔面をしてるよね」
「自分の程度を理解していたら噛みつけないタイプだよ。もちろん顔だけじゃなくてね」
実際に周りが陰でこそこそとしか言えないのは、大人しくしているだけで、雪兎が頭の切れる人間だと気づいているからだ。
ゆえに対峙するには厄介で、桜花と切り離したくて仕方がない。
彼女が城を離れ、神殿に入り浸っているのは、周囲からの接触を断つための彼からの助言だった。
今回召喚された二人は、これまでと喚び寄せられた理由が異なり、見知らぬ世界に居場所を求めてきたわけではない。
根本的な認識の相違に気づいているのは、この場の三人と神殿側だけだろう。
神官たちは桜花の存在を喜んでいても、表立って帰還の反対をしていない。
「ねぇ、ゆー兄はリューくんのエスコートしてよ! 並んで入場するところを見たい!」
「えぇ? さすがにそれは無理だよ。オウカさんのエスコート役がいなくなるし。そもそも今夜は二人も主役なんだよ?」
「つーまーんなーい! じゃあ開会のあとは二人ずっと一緒にいてよね!」
それもさすがに無理だと言いたかったが、すべて否定すると機嫌を損ねてしまいそうで、リューウェイクは笑って誤魔化した。
開会宣言が終わり二人がホールに下りれば、間違いなく一瞬で人だかりになる。
そこにリューウェイクが入る余地はなく、離れた場所で見守るくらいしかできない。
「そろそろ会場の離宮へ移動してもいいかもしれない。二人とも行こうか」
しばらくのんびりと会話をしていたが、日の傾き具合に気づいたリューウェイクは、懐から取り出した懐中時計に視線を落とす。
しかし舞踏会の進行を思い返していた思考が、桜花の発言で一気に霧散した。
「さぁ! ゆー兄、ここで手を取るのよ!」
「え?」
なぜここで妹ではなく自分の手を取る必要があるのか、理解ができなくてリューウェイクは瞬きを忘れて固まった。
そんな様子にふっと視線を上げた雪兎は一拍置いたのち、ロングコートの裾を捌いて立ち上がり、まっすぐと黒手袋に包まれた手を差し伸ばしてくる。
レディにエスコートを申し出るような立ち姿に、リューウェイクはますます混乱を極めた。
「ユキさん? あの、オウカさんの悪ノリにいま加わらなくても」
「いや、いつこの手を取ろうか考えていたところだ。今日のリュイはいつにも増して美しいな。少し気後れしてしまった」
「は?」
困惑したリューウェイクを暗赤色の瞳で見つめ、ごく自然な流れで手を取った雪兎は、白手袋にやんわりと唇を寄せた。
手袋越しで、直に触れたわけでもないのに、やけに熱を感じる。無意識に力のこもったリューウェイクの指先がかすかに震えた。
小さな動揺を悟ったのか、指先を軽く握った雪兎が唇を寄せたまま見上げてくる。
射貫くような瞳の引力に当てられると、途端に頬が熱を帯びて、恥ずかしさのあまり、リューウェイクは大げさに身を引いてしまった。
だがそれを追うように、体を寄せてきた雪兎が耳元で囁きかける。
柔らかな唇がピアスや耳たぶに触れて、いやが上にも顔が熱くなっていく。
「とても似合ってる。見繕った甲斐があった」
「……あ、ありが、とう」
息も絶え絶えに礼を言うのが精一杯で、雪兎が離れるとリューウェイクはすぐさま、顔以上に熱を持つ耳に手をやった。
どんな意図があったのか理由がわからなくとも、いつもより艶のある声はやけに緊張を与える。
妙な桜花の後押しといい、雪兎が冗談なのか本気なのかさっぱりわからなく、余計に対応に困る。
いたたまれない場に居座れるはずもなく、リューウェイクは暇を告げて部屋を出た。
「困る。本当に困る。そうでなくとも人との距離感がわからないのに」
神殿の馬車に二人と同乗するのは避けて、自分の馬車に乗り込むと、リューウェイクはため息と共に両手で顔を覆う。
いまだに頬や耳が熱い気がするけれど、窓を開けるわけにもいかず、言葉にならない呻きを吐き出して気を紛らわせた。
「からかいも困るし、本気で来られてもどうしたらいいか」
この歳まで恋愛一つしたことがない。
相手に恋情を向けられた経験もなく、自分に見向きもしない他人に対し、恋愛感情を持つなどありえなく。
気安い友人もいないため、その手の話題に加わるなどもありはしない。
さらに言えば環境云々の前に、一番の原因として、リューウェイクは相手を愛おしいと思い、心募らせる感情を知らない。
手始めに恋とは愛とはなんだ――という壁にぶつかるのだ。
「やめてほしい。変な感情を残していかないで」
これ以上はどうしたらいいかわからない。
もしふつふつと湧き出る感情に名前がついたら、一人残ったときにどのように始末をつけたら良いのか。
感情や行動が自由であっても、雪兎という人間が不道徳、不真面目であるとは思わない。
となれば冗談のつもりはないという答えになり、行動原理がそういった感情から来るものだと結論が出る。
本当に自身に向けられているのなら、どんな風に対応するべきなのか。
まったく経験のない事柄ゆえに、リューウェイク一人では考えがまとめられそうになかった。