第11話 夏の討伐遠征

 第三騎士団の遠征は年に四度行われる。
 魔物の討伐を目的としているが、近年は狂暴化して民に被害が出るほど、彼らの動きは活発ではない。

 それでも欠かさず行うのは、いまほど国全体が平定されていない頃に、定例化された季節行事だからだ。
 昔は人と同じくらい、魔物の数も多かった。

 遙か昔は神話にしか出てこないドラゴンや火の鳥、人の身の丈を優に超える大型の魔獣が蔓延っていた。
 ゆえに共存していても、魔力が――負の要素に侵され――濁り、狂暴化してしまえば、討伐を余儀なくされる。

 通常の動植物と違い、魔物は体内に魔力を宿していて、優れた能力を持つと魔法を使う個体が現れる。
 そうなると戦闘系の第四でも対応しきれないので、すべて第三の仕事だ。

 しかし現在は魔物の森と呼ばれる場所でも、災害級の魔物に出くわすことはまずない。

 春は冬眠明けで、うっかり人の住む場所へ下りて騒動を起こす場合と、お産明けで気が立ったり数が増えすぎたり。
 周りに被害が出る前に間引くための各地方への遠征だった。

 夏は魔物の主な生息地である森に建てられた、祠の確認。
 そこには狂暴化を抑制する祝福を込めたご神体――紫水晶――が安置されている。定期的に確認して数年に一度交換をしていた。

 秋は雪で閉ざされてしまわないうちに森の奥、周辺に異常や危険がないかの確認が主となっていた。
 冬は周辺巡回のみで、四回の中では春と夏が一番に気を使う遠征だ。

「今日はここに天幕を張ろう」

 日が傾き始める前に目的の野営地に着くと、リューウェイクは部隊に向け指示を出す。

 今回の参加部隊は、春の遠征とほぼ同じ顔ぶれだった。
 ベイク・ラドインが率いる部隊から、選抜された団員が全部で二十五名。

 そこに指揮官でもある副団長のリューウェイクと、飛び入り参加の雪兎が加わる。
 夏の遠征は部隊ごとで、毎年交代して遠征の担当をしている。

 本来今年は別の部隊が担当なのだが、今夏ばかりは雪兎の参加が決まったので、一番経験が豊富なベイクが選ばれた。
 それは雪兎がお荷物、などという理由ではなくむしろ逆だ。

 彼が参加するのなら、自分も行きたいとごねまくる団員が多く、混乱が起きるのを避けた団長の一声で決まった。

「ユキさんお疲れさま。ずっと馬での移動は大変だったでしょう?」

「なかなか楽しかった。ここまで長時間は乗ったことがなかったが、夏のわりに涼しいし」

「そっか、あちらの夏は酷暑なんだったね」

 悠々と馬から下りた雪兎は空を見上げて、吹き抜けた風に目を細めた。
 この世界の住人であるリューウェイクは、夏を感じ始めていたけれど、彼にとっては少し日射しが強めの春程度の感覚らしい。

 熱風が吹く夏とは、炎天下の砂漠のような感じなのだろうか。
 時折語る、雪兎の世界にリューウェイクはとても興味を惹かれた。

 自然が少ないので、暮らしにくいかもしれないと言われたが、まだ見ぬ場所への憧憬は止まない。

 鉄鉱石で作られた乗り物が多くの人を乗せ動いたり、空を飛んだり。
 双方の動力の違いで、こちらで開発できるかはわからなくとも夢がある。

 日常で使われている魔石を動力とした器具は、似たものが多いと聞くので、やり方次第では発展の可能性がありそうだ。

「それよりも制服の機能性がすごい。魔法の万能感はすごいな」

「万能ではないけど。布に施された冷却防寒と速乾効果は遠征時にありがたいのは確かだね。魔力を込めて紡いだ糸は丈夫でほつれにくく、物理、魔法攻撃を多少防ぐから傷みも少ない」

 遠征に参加する雪兎のために、第三騎士団の騎士服を用意した。

 召喚されてきた時も彼は、黒色の衣装を着ていた。ゆえに違和感はないが、手足が長くバランスのとれた体型なので、コートを翻し歩く姿が非常に凜々しい。

 特注の長剣もまた魅力を底上げしており、団員たちからはリューウェイクと並ぶ絵面が好評だった。
 揃いの物を身につけているので、余計に話題に上がってしまうのが少々難点だが。

(ユキさんが僕を気に入っているとオウカさんは言っていたけど、身内の可愛がりって意味だよな? 子供は大事にしないといけないっていう)

「どうかしたか?」

「ううん、なにも」

 つい隣を歩く雪兎を凝視してしまい、心配げな声をかけられてしまった。
 まっすぐに向けられる彼の視線には随分と慣れたが、色々な懸念が重なって、リューウェイクは少しばかり気持ちが落ち着かない。

 雪兎の好意や行動原理はともかく、召喚されし者が彼である事実は、まだ完全に理解ができていなかった。

「話して整理できるなら聞くが?」

「そうだね、追々。……ってユキさん?」

 小さく息をつきつつ、リューウェイクが前を向くと突然、雪兎が至極自然に指先で髪を梳き撫でてきた。
 手入れを怠り、最近耳が隠れるほど伸びていた麦藁色の一房を、雪兎の指が優しく掬い耳にかける。

 構える間もなく触れられ、リューウェイクは自分の耳に熱が宿ったことに気づく。
 長いまつげにフチ取られた、形の良い紫色の瞳をまん丸くし、言葉を発せず唇がわなわなと震えた。

 対する相手は、どうしてリューウェイクがそんな反応をしているのかなど、まったく気づいていない様子だ。
 無遠慮に、感触を楽しむみたいに指先で耳たぶをもてあそんでいる。

「な、なに?」

「いや、ピアスはしていないのかと思って」

「滅多に耳飾りはしないけど、なぜいま?」

「目に留まったから? 耳たぶの形がいいから似合いそう」

「ユキさんって、本当にそういうところ」

 好奇心に対して一直線ゆえに、自分の行動で及ぼされる影響に気づいていない。

(オウカさんが浮気な男じゃない、なんてわざわざ口にする意味がわかった気がする。自分に素直すぎだ)

 なんとなく定番になってきた、複雑な心を表す頭の痛みにリューウェイクは肩を落とす。
 そして邪さを感じない、子供みたいな暗赤色の瞳から、そっと目を逸らした。

「おーい! リュークにユキト。いちゃついてないで早く来い。打ち合わせするぞ」

「なっ……いちゃついてなどいない!」

 一番に組み立てられた、副団長用の天幕の前。
 部隊長のベイクが大きな体でどっしりと構え、暢気な声を上げながら二人を見ている。

 からかうでもない、平然とした声音のせいで余計にリューウェイクは頬が熱くなった。
 言い返しながらも、少し雪兎から距離を取るかの如く足早になる。

「リュークさま、お疲れさまです」

「ああ、ありがとう。ジルバは遠征が初めてだが大丈夫そうか?」

「はい! いまのところ緊張はしていません」

 リューウェイクは天幕に入り、雪兎やベイクと共に簡易椅子に腰を落ち着けた。
 すると頃合いを見計らった新人騎士のジルバが、木の器に入れた薬湯をリューウェイクたちに配って回る。

 疲労回復の効能がある薬湯はぬるめで、ひと息に飲み干すと爽やかな香りが鼻先を通り抜けた。

「いつもより苦みがない」

「苦みやえぐみを感じないように入れるには、コツがいるんです。薬師のばあちゃんに教わりました。どんな知識でも騎士には役立つだろうって」

 空になった器を受け取ったジルバは、リューウェイクの呟きを聞き、嬉しそうに破顔する。
 成人を迎えてさほど経っていない彼は、愛嬌があって団内でも皆に可愛がられていた。

 まるで大型犬と揶揄されていて、淡いピンク色の髪を撫で回されているのをよく見かける。
 尻尾を振り追いかけてくるみたいで、リューウェイクも後輩として目をかけていた。

 春の遠征時にいち早く知らせをくれたのもジルバだ。

「あっ、オレはユキトさま推しです!」

「それは一体、なんの話をしているんだ?」

 急にハッとして、表情を改めたジルバが両手を握りしめて力説する。

 前後の脈絡がまったくない会話に、リューウェイクは眉をひそめた。
 だが向かい合って座っていたベイクが「ブッ」と音を立て、こらえきれない笑い声を漏らす。

「ベイクさん?」

「いやいやいや、いまの顔はわかりやすくて面白……んんっ、すまない。なんでもない」

「ラドイン部隊長?」

「なんでもありません。リューウェイク副団長、今回の遠征ですが」

 あからさまに誤魔化したベイクの態度に、リューウェイクが胡乱な眼差しを向けても、やけにキリリとした顔をしてはぐらかされた。
 入団した時から指導担当、先輩騎士として世話になっている彼とはかなり気心が知れている。

 公私をわきまえているが、冗談交じりにからかわれたことも、一度や二度ではない。
 口を開く様子は見せないけれど、一瞬だけ隣に座っている雪兎へ視線を向けたので、ジルバの発言の原因はそちらにあったのがわかった。

 とはいえわざわざ理由を聞き出す気にもならず、リューウェイクは諦めてベイクの話に耳を傾ける。

「先発隊の話では魔物の動きが少し怪しいようだ。暴れ出す様子はないが、森全体でなにかに警戒を見せているらしい」

「狂暴化した魔物がいるのだろうか。全体に影響が出るほど高位な魔物は、最近の報告に上がっていないはずだが。ベイクさんのところは?」

「うちもまだない。今回の原因となるものの姿は、いまのところ目撃されていない。明日、祠に向かう際は十分に注意が必要だ。救護班のやつらを数人連れて行くべきかもしれない」

「わかった。私のほうでも改めて気をつけよう」

 近年、夏の遠征は特段問題が起こっていなかった。
 安置してある紫水晶は交換時期を迎えていても、祝福の力がたっぷりと内包されていたくらいだ。

 この状況と召喚が成功したことに関係はあるのか。
 喚び出されたのが雪兎である理由は――リューウェイクは考え込みながらも、無意識に隣の男を横目で見つめてしまった。