第29話 第一王子ルーベント

 応答石へ現在地を知らせたので、湯浴みをして部屋を出る頃には、店の前まで馬車が迎えに来ていた。

「なんだろう。これは騎士団じゃなくて城でなにかあったかな」

 普段より少し速度を上げた馬車に揺られ、正門を抜けた辺りでリューウェイクは首をひねる。
 目に見えるほどではないが、全体的に慌ただしい雰囲気が感じられた。

 とはいえ他国との諍いがない国なので、騒がしさの原因がさっぱり見えてこない。

「一刻ほど経ちましたら、陛下の騎士が迎えにまいります」

「わかった。ありがとう」

 宮殿に着くと御者から伝言を受け取り、そこでリューウェイクは呼び出した相手を初めて知る。
 驚きはしたものの顔には出さず了承した――が、隣の雪兎は不満があらわだ。

「なんの話かわからないけど、終わったら部屋に行くから」

「ろくでもない話に違いない」

「ふふっ、すごい決めつけ」

 リューウェイクと一緒に仕事をするようになり、内情を知るにつれて、雪兎の国に対する信用は地に落ちていた。
 書類を捌きながら、外では口にさせられない文句を吐くのも、最近の見慣れた光景だ。

 しかし誰もが言いたくても言えない内容なので、その場の全員、心で頷きながら聞き流している。

「まあ、いい話を聞かされたことはないけど。……っ」

 笑いながら廊下を歩いていたら、リューウェイクは横から飛び出してきた人とぶつかった。
 驚いて視線を向ければ、煌めく金髪と深い紫色の瞳を持った少年が顔を上げる。

 リューウェイクと視線が合うと、彼は途端に気まずげに視線をさ迷わせた。

「ルーベント、どうしたんだ?」

 久しぶりに顔を見た少年――ルーベントは兄王グレモントの長子、リューウェイクの甥だ。
 駆けてきた彼の後方から、護衛騎士と侍女が追いかけてきており、顔見知りの彼らはリューウェイクと目が合い、いくらか離れた場所で立ち止まる。

「問いかけられているのになぜ答えない? 親に口を利くなとでも言われてるのか?」

「ユキさん」

 黙ったきりのルーベントに、冷ややかさを感じる雪兎の言葉が投げかけられる。
 王族に対して嫌悪感を持っているとはいえ、ルーベントはまだ十四歳の子供だ。

 いくらなんでもキツすぎると、たしなめる意味も込めてリューウェイクが雪兎の腕に手を添えるけれど、見下ろす目まで冷ややかだった。

「大方なにか約束があったのに、今朝になって急に反故にされたとか、そのせいで授業を詰め込まれて癇癪を起こしたとかだろう」

「え? そうなのか?」

「以前、廊下でそんな話を耳にした。親子仲良くお出掛けとは、ほんと平和だな」

 子供相手に大人げない嫌味がすごい。
 腕組みをして鼻先で笑う雪兎に、リューウェイクもさすがに苦笑いしか浮かばなかった。

 だが平和なのは決して悪いことではないものの、仲睦まじい家族の姿が思い浮かび、わずかばかり胸が切なくなったのは確かだ。

「聖者さまだとしても、どうして私が貴方にそこまで言われなくてはならないのですか。平和のなにが悪いのですか! 女神さまのご加護のなにが悪いと」

「この先、未来永劫、女神の加護が途絶えないと思ってるのか」

「え?」

 ムッとした感情を繕わず声を上げたルーベントに、至極冷静な雪兎の言葉が返る。
 告げられた言葉の意味を悟ると、さすがに息巻いていたルーベントも口を閉ざさずにはいられないだろう。

 幼さ残る瞳を丸くし、雪兎の顔を呆気にとられたように見つめた。

「し、しかし建国から五百年以上」

「見守っていたとして、女神が見切りをつけないと本当に言い切れるか? 君、もしくは君の弟の代は乗り切れたとしよう。で、子の世代は、孫は、子孫は? 自分の生きているあいだ平和であれば満足か?」

「な、なぜ、私に、そんな話を」

「君の父親が聞く耳を持たないからだ。俺が何度会わせろと要求しても、一向に受け入れようとしない。だとしたら次の世代、後を継ぐのは君か、君の弟。弟は十一歳だと言うからまだ話は通じそうにない。消去法で行けば君しかいない、そうだろう?」

 思いがけない雪兎の言葉、にリューウェイクは彼を見上げる。
 まさか雪兎が謁見申請をしているとは思っていなかった。随分と文句が多いと思っていたが、原因がここにあったのだ。

 聖女であれば即申請が通っただろうけれど、相手が雪兎ではおそらく通る確率はゼロに近い。
 直接言葉を交わしていなくとも、兄たちは聖者が自分たちよりも頭が良い人間だとわかっているからだ。

 特に最近では雪兎の仕事処理の速度、的確さ、柔軟な発想と采配は目を見張るものがあった。
 事務官たちの仕事ぶりも助かっているが、それ以上に雪兎の存在の大きさをリューウェイクは感じている。

 噂は間違いなく彼らの耳にも届いている。

「来春からは学園に入学するらしいな。こちらで言えば小さな社交場だ。君はこれからも親たちが囁く、耳障りのいい言葉だけを聞いていくのか? もう少し現実を見るべきだ。別に俺は八つ当たりだけで言ってるわけじゃない。ありもしないもしもの話をしているつもりはない」

「可能性が、高い、と……いうことですね」

 ふいにルーベントの気配が変わる。瞳に真剣な色が浮かび、口元に拳を当て考え込む様子にわずかな希望が見えた気がした。

 加護の消失――これを訴えたのがほかの者であれば、馬鹿げた話と聞き流すところだ。
 女神の力を与えられた、聖者である雪兎の言葉だからこそ重みを感じさせる。

 愛し子の存在が公になっていないため、原因にたどり着くのは難しいだろうが、危機感は持ったほうがいい。

「君、いや、ルーベント王子殿下、貴方の叔父がどんな人間なのかを自分の目と耳でもっとよく知るといい。なぜこの人がここまで冷遇されるか、その理由を知るはずだ」

「わかりました。目を伏せていたものに、目を向けてみようと思います」

「あっ、ユキさん、待って! ルーベント――君は賢く、人の言葉に耳を傾けられる度量がある。揺るがない信念を持った君主に成長するのを願うよ」

「はい」

 これまでろくに会話した覚えもない人から、出会い頭に説教をされて散々だろうに、初めてまっすぐと見つめてきた甥にリューウェイクは目を細める。

 兄たちが嫌な顔をするので、これまでルーベントに接する機会があまりなかった。
 それでも伝え聞く話やたまに見かける様子から見ても、彼は幼いながら王族としての誇りを持ち合わせており、思慮深い聡明さがある。

「今日は残念だったろうが、彼らを困らせてはいけないぞ」

「すみません。ありがとうございました」

 ねぎらい優しくルーベントの肩を叩くと、彼はぺこりと頭を下げて後ろで待っている、自分の従者たちの元へ駆けていった。
 そんな後ろ姿を見送ってから、リューウェイクは歩き去った雪兎を急いで追いかける。

「ユキさん、さっきの理由ってなに?」

 眉間にしわを寄せた横顔は不機嫌さが隠れていない。
 足早に進む雪兎の腕を、部屋の手前で捕まえて引き止めると、ようやく立ち止まった。

「ユキさん?」

「君の兄は、国王陛下はリュイ、君が愛し子だと知っている」

「え? まさか」

「本当にまさかと思うか? 君が生まれた時、彼はいくつだった? 成人していてすでに王太子の位についていたんじゃないのか? そのような人間が当時の国王に秘密を共有されていないと、本当に思うか?」

「じゃあ、知っていて」

 いまの境遇を見て見ぬ振りしている。リューウェイクも自分が愛し子だと知ってから一度も考えなかった、とは言わない。
 だがそうなると国を担う王族として、あまりに愚かな行動としか思えなく、ありえないとリューウェイクは結論づけていた。

「愚かだと思っただろう? そうだ、君の兄は愚かなんだ。愛し子、尊い存在。知られれば誰しもが崇める。幼い君の成長を傍で見ながら、誰の手も借りずに頭角を現していく姿が恐ろしくなったんだ。いつか自分の場所を奪われるんじゃないかってね」

「そんな、バカな! 僕が陛下を蹴落とすような真似をするはずない」

「君の兄は愚かで、臆病なんだ。君という若木が伸びないよう余計な忠告をしただろう? 彼の罪はそれだけじゃない。再三の神殿の警告も握りつぶしている」

「……女神の声を、無視した? なんてことを」

「いいかリュイ、周りが君の意思を無視しようとしたら逃げろ。神殿でもいい、可能ならば魔物の森まで逃げろ。俺がちゃんと助けにいく」

 雪兎は森で見せた真剣さよりも鬼気迫る表情で、リューウェイクの両腕を強く掴む。
 これが事実であれば彼の心配はもっともだ。

 兄王グレモントは騎士団でこれから人脈を広げそうな年若い弟に、周りと一切関わるなと遠回しに言い含めるくらい、警戒していた。
 彼は自分の地位を守るためならば、どんな真似をしでかすかわからない。

 ただの懐柔であれば良いけれど、時空転移魔法が完成し、帰還の術が成功する確率が目に見えてきた段階。
 リューウェイクの功績がまた一つ増えるいま、注意してしかるべきだ。