第31話 家族としての存在

 黙っていれば厳しい眼差しで、貫禄があるように見える国王グレモントは、本来の性格は生真面目で人を言い負かす性質ではない。

 例えるなら慎重すぎる模範生徒のような人。
 堅実な下地作りをグレモントが行い、行動力のあるアルフォンソが足りない部分を補っていた。

 国の王は完璧でなくともいい。能力が足りなければ、周りが補えばいいだけなのだから。
 グレモントは王としての役目を終える日までそれなりに堅調な国政を行うだろう。

 しかし彼が無事にその未来へたどり着くには、リューウェイクの存在は障害だ。
 いくらリューウェイクが王位の簒奪はしないと思っていても、彼は弟を知らないのだ。

 きっとこれからも人となりを知ろうとしない。
 臆病から来る愚かさだと言われても。

「先ほどからなんの話をしているのです? リューウェイクの婚約の話では?」

 一人だけ事実を知らない、アルフォンソが苛立たしげに顔をしかめる。
 彼の性格からいくと家族で一人、話が通じないのはひどく自尊心を傷つけられる行為だ。

「私も最近知ったのですが、私は〝女神の愛し子〟だそうです」

「なに? 愛し子、だと」

 王族であれば一度は聞く昔語りだ。
 建国に関わる話なので女神や聖女ほどでなくとも、中枢にいる人間は知ってしかるべき話だろう。

 想像もしなかった事実に、アルフォンソの顔色が目に見えるほど悪くなる。
 これこそが本来の人として正しい反応だ。

 リューウェイクが生まれて二十一年、どれほど女神を冒涜してきたか、振り返るのも恐ろしいに違いない。
 とはいえ愛し子などでなかったとしても、幼い弟を無碍に扱うのは大人の行動として、疑問を呈するところではある。

「そ、そうよ。リュイは愛し子なのだから、この国どころか、世界からいなくなるなんて。女神さまが悲しまれるわ」

「すでに女神さまは嘆かれています。彼女の呼びかけで救済に現れたのが、聖者であるユキトさまです」

「え?」

 目の前の全員が違う方向に思考を巡らせていたが、リューウェイクの一言で驚くほど一つに集中した。

「本来喚ばれたのは彼です。聖女さまのほうがその場で召喚に巻き込まれました」

「な、なぜ、いまごろそんな話をするのです?」

「兄上、一度でも私やユキトさまの声に耳を傾けてくださいましたか? 聞きもしなかったのに、私たちに非があるような言い方はやめてください」

 一番正常な思考をしているだろうアルフォンソでさえ、なにが間違いだったかに気づかない。
 これまでのぞんざいな扱いが、正当化されているのが言葉にしなくともよくわかる。

 黙って雪兎の謁見申し入れを受諾していれば、いまの状況は避けられたかもしれない。
 女神が雪兎に采配を任せているのは、加護を与える者として王国側の態度や選択から、庇護者の資質を見極めているのだ。

 此度の件は神の権能をもってすれば一瞬で片がつくだろうが、神が介入すると人の世界のことわりが乱れる。
 ゆえに人の手による解決を望んでいるのだ。

「いまさら幼子のように愛してほしいとは言いません。ですが一度でも私が貴方たちの家族であるのだと、思い出していただきたかったです。私は国の平和の維持と引き換えに据え置かれたお守り、物ではない。一人の人間として見ていただきたかったです」

 この言葉は愛し子である事実を知りつつも、楽観していた両親と、弟を異物のように見ていた長子へ向けたものだ。
 こんな状況でなければ言えなかった。

 いない人間としてリューウェイクを素通りしていた視線が、いまになって向けられる。

「私の考えは変わりません。私がいなくとも女神さまは国の民を愛していらっしゃるので、加護を取り上げる真似はしないはずです」

 国に悪影響が出たならば、過去に行われた君主交代がある程度だろう。
 すべてを植え替えず、悪くなった芽を摘めば新たな芽が芽吹く。

 傷んだ悪い芽として摘まれるかどうかは、彼らの今後の行動次第なのだから、リューウェイクは関与する必要がない。
 長らく家族に認められるため、努力を続けてきたが、相手が変わらない限り一生――変わらないのだ。

「私の婚約も結婚もお断りください。今後のことは家族である貴方たち四人で考えていただければと思います。もうお話しする議題はないので、これで失礼します」

 いままでのリューウェイクであったなら、言われるがままに王女を娶っただろうが、すでに枝分かれした選択肢が彼らの進む道と異なった。

 雪兎が現れなければ、と思っているかもしれないけれど、彼が現れたのが自分たちのせいだと――気づいているのかは定かではない。

 沈黙が下りた場に背を向けてリューウェイクが部屋を出ると、前室で控えていた侍従長がわずかに驚いた表情を見せた。
 いつもとどこか違う、主人の弟に気づいている様子であっても、すぐに正して恭しく頭を下げるのは感心する。

「話が終わったので私は退出する。まだなにかあるようなら、私の侍従に言付けるよう伝えてほしい」

「かしこまりました」

 一刻も早く部屋を出て駆け出したい気分だったが、努めて冷静さを保ち、リューウェイクは雪兎が待つ宮殿へ向かった。

 城と宮殿。さほど時間のかからない移動でもひどく気を揉む。
 そんな自身に呆れるものの、リューウェイクが帰り着くと、玄関ホールで雪兎が待っていた。

 姿を目に留めた瞬間、考える間もなく彼に駆け寄り抱きついていた。

「リュイ、お疲れさま。よほど疲れたんだな」

 肩を抱かれ、雪兎に導かれるまま彼の部屋へ向かうと、温かなお茶を用意してくれる。
 フルーツジャムをたっぷりと混ぜたお茶は、甘さと華やかな香りが染み入り、緊張で張り詰めたリューウェイクの心をほぐしてくれた。

 ゆっくりとカップを傾ける横で、邪魔にならない程度に優しく雪兎は頭を撫でてくれる。
 ことの経緯を話さなければと思いはしても、いまのリューウェイクは彼のぬくもりだけを感じていたい。

 あの四人――特に男性陣が真っ当な結論を導き出してくれればいいが。
 目先の利益に気を取られやすいのは遺伝なのか、皆して間違った道を選びかねない。

 リューウェイクは叶うならいますぐに、雪兎や桜花と一緒に旅立ってしまいたい。しかし現実問題として、帰還の術が完成しなければ不可能な状況だ。
 昨日休みを与えたので研究の再開は翌々日になる。

「リュイ、眉間にしわが寄ってる」

「あ、ごめんなさい。無意識に考えごとをしてた。いまはユキさんとの時間を堪能するつもりだったのに」

「そうやって一人で全部乗り越えてきたんだな。頑張ったな、偉いぞリュイ」

「……うん」

 なんの含みもない褒め言葉が、心に触れてわずかに喉が熱くなった。
 潤みそうな視界に戸惑いながらも、リューウェイクが素直に頷くと、雪兎はそっとこめかみや額に唇を寄せてくれる。

 優しさでさらに胸が熱くなれば、顔を上げたリューウェイクの唇に雪兎のものが重なった。

「ユキさん、好き」

「ああ、俺もリュイが好きだ」

「ずっと貴方の隣にいたい」

「もちろんだ。これからはずっと傍にいる」

 悩みは尽きないものの、リューウェイクの周りは同じ方向を向いて歩き出している。
 信頼する彼らの力を借りて、乗り切ってみせるとリューウェイクは心で誓った。