終章~ずっと貴方と共に~

 穏やかな光が射し込む空間には流行の洋楽が流れ、フィルターから落ちるコーヒーが香しい匂いを漂わせていた。
 騒がしい喧騒から、一歩外れた場所にあるカフェは、疲れた現代人が集う憩いの場だ。

 最近になり新しく店主になった青年は、芸能人やモデルばりの美形で、いたく目の保養になると噂になっている。
 それでも店にミーハーな客が訪れないのは、青年にはこの上ない番犬がついているからだ。

「ルイさん、ごちそうさまです」

「いつもありがとうございます」

 馴染み客がレジで会計を済ますと、青年――ルイがやんわりと微笑んだ。
 さらさらと音を立てそうな金髪に、なかなかお目にかかれない紫色の瞳。

 女性的な雰囲気はまったくないのに、男でもうっかり見惚れてしまいそうな美麗な笑みだった。
 だが客は、つられてにやけそうになった顔をすぐに引き締めた。

 店の扉が開いて、現れた人物に気づいたからだ。
 彼は緩く波打つ前髪が、赤みのある珍しい瞳にかかり、ルイとは些か違う色気を醸し出している。

 背が高いだけでなく、手足も長く均整のとれた体つきで、ルイと並ぶとなんと絵になることか。
 雑誌の表紙を飾っても頷けるビジュアルだ。

「ユキさん、お疲れさま」

「ああ、リュイ。迎えに来た」

「うん。あっ、話の途中ですみません。また来てください」

「は、はい! いつもお世話になってます。オーナーさんにも会えて光栄です。また来ます」

 ふとこちらを向いた赤い瞳に、客はペコペコと頭を下げて、ギクシャクとしながら店を出て行った。
 その後ろ姿を見ながら、ルイことリューウェイクは肩をすくめて息をつく。

「ユキさん、睨むみたいな目で見ないの」

「別に単に見ただけだろう。あの客は道理をわきまえてるから、そんなに警戒はしてない」

「そんなことばっかりしてるから、番犬とか言われちゃうんだよ」

「君をほかの男に盗られずに済むならなんでもいい」

 恋人の忠告にふて腐れた顔をする雪兎は、さっさとバックヤードに声をかけて、リューウェイクを店から連れ出した。
 もちろん強引な行動ではなく、退勤時間を過ぎており、リューウェイクは雪兎を待っていたので問題ない。

 こちらへ来てからすでに半年の月日が過ぎて、もうすぐ夏を迎える。
 言葉がすべて通じる特典だけでなく、女神の大盤振る舞いで、この世界にリューウェイクの戸籍が存在していた。

 おかげでリューウェイクは、雪兎の兄である夏生の養子になれた。現在の名前は〝御堂ルイ〟だ。
 わざわざ養子に入らずとも良かったのだけれど、なんとなく家族の結びつきが強い気がして、選択を任せられた際にリューウェイクが決めた。

 名前については若干のひと悶着があり、リュイという呼び名を、ほかの人に呼ばせたくない雪兎が駄々をこねた。
 結果、似た響きのルイとなったわけだ。ちなみに桜花は変わらない呼び方をしている。

「ユキさんがいるのに、僕がほかの人に目移りするはずないのに」

「違う。俺が狭量なだけだ。向こうでは状況的にリュイが恋愛対象に映るような機会が少なかったが、こちらでは違うだろう? 独り占めしたくてたまらないんだ」

 乗り込んだ運転席で、ハンドルを握る雪兎はちらりと、横目でリューウェイクに縋るような目を向けてくる。
 捨てられた子犬みたいな、雨に濡れた子犬のような、なんとも言えない庇護欲をくすぐる表情だ。

 最初は雪兎の家族と馴染む期間を過ごし、最近になって外の世界で様々な人に出会う機会をもらった。
 だが紹介してくれた雪兎の友人たちが、あまりにリューウェイクを褒めたので、急に不安が募ってしまったらしい。

 友人たちはこれまでにない雪兎の反応に驚きつつ、いまは絶賛からかい中のようだ。
 おかげでいつまで経っても雪兎の不安が抜けきらない。

(まあ、でもそんなユキさんが可愛いんだけど)

 向こうにいた頃は、気位の高い猫のように思えていたのに、いまではすっかり忠犬わんこだ。
 普段のビシッとした部分は変わらないが、リューウェイクが関われば飛んでやってくる勢いだった。

 店で働き始めた当初、リューウェイクは少したちの悪い客らに、しつこく絡まれたことがある。
 アルバイトの子が慌てて雪兎へ連絡をしたら、速攻でやって来たのだ。

 その時の雪兎がよほど恐ろしかったらしく、店の外で見かけた男たちは、リューウェイクと目が合った途端に逃げ出した。

「リュイ、なにを笑ってるんだ?」

「ううん。ユキさんはいつでも頼もしいなって思っただけ」

 運転をする凜々しい横顔を眺めつつ、リューウェイクはつい思い出し笑いをしてしまった。

「今日は月に一度の恒例の日だね。物量がすごいから控えてって言ったけど、大丈夫かな?」

 店舗から雪兎と二人で暮らすマンションまで、車で十五分弱だ。
 地下駐車場に車を駐め、エレベーターに乗り込んだところで、リューウェイクは雪兎を見上げた。

「あの男たちは、魔法陣を祭壇かなにかと、勘違いしてるんじゃないか?」

「あははっ、確かに、彼らならありえそう」

 眉間にしわを寄せた雪兎の顔を見て、リューウェイクは声を上げて笑う。
 異世界へ繋がる魔法陣が神殿にあるせいで、余計に混同している可能性があった。窓口になってくれている神官たちは毎月大変だろう。

 七階に到着して家に帰り着くと、二人はまっすぐに奥の部屋に向かった。
 3LDKのファミリータイプの部屋は、雪兎がリューウェイクと暮らすために購入したのだが、一部屋は魔法陣専用となっている。

 とはいえ帰還の陣ほどの大きさはなく、部屋の片隅にカーペット状にして敷いていた。
 知らぬ人が見ると魔法陣は怪しすぎるので、いざとなれば丸めておける。

 魔力の供給はこれもまた女神特典で、リューウェイクが存命のあいだは物品送付に限り、魔法陣の使い放題になっていた。
 自分の加護する世界でないからと、些か女神は羽目を外しすぎに思える。

 それでもあいだで仲介している、神殿に迷惑がかからないよう、向こうからの受付は月に一度なのだ。

「バロン、ただいま。もう届き始めてる?」

『届いているぞ。先月よりはいくらか少ないように、見える』

 薄く隙間が空いていた扉を大きく開いて、リューウェイクと雪兎は中を覗き込んだ。
 魔法陣の傍らには、ふかふかな毛並みの白猫が座っていて、異世界からの物が届くたび光る陣を見つめている。

 いまでこそ当たり前にここにいるけれど、転移が完了したその場にバロンまでいて、大層驚いた。
 送り届けただけかと思いきや、女神が心配するからリューウェイクがこの世界にいるあいだ、傍にいるのだという。

「いや、見えるだけだろう、これは。物が小さくなっただけで量は変わってないぞ」

『うむ、我にもそう思える』

 魔法陣の傍に、しゃがみ込んだ雪兎とバロンが会話する様子に、リューウェイクはほっこりとした気持ちになる。
 なんと平和で幸せな光景だろうか。

 女神の奇跡で雪兎と出会うまで、こんな幸福が自身に訪れるなど夢にも思わなかった。
 自分を律し、自分の感情を押し殺し、親兄弟に従順であれと生きてきたのに――

 いまは繕わずに自分をさらけ出し、声を上げて笑う。
 なによりもリューウェイクは生まれて初めて、自分だけの家族を手に入れた。

「リュイ、こっちに来てごらん。ほら、向こうでも写真が撮れるようになったみたいだぞ」

「すごいな。額縁に入れてこの部屋に飾ってもいい?」

「ああ、今度一緒に見繕いに行こう」

 仲間たちの笑顔をまた見られるなんて、本当にいつか里帰りができるのでは、と期待してしまいたくなる。
 あんなにも最初は、異世界へ行くのを悩んだというのに、皆と別れる必要もなくいまもこうして繋がっていられるのだから、人生はわからないものだ。

 じっと写真に写る仲間を見つめ、リューウェイクはこの上ない喜びを噛みしめた。

「リュイ、いまは幸せか?」

「もちろんだよ。人生でいまが最高に幸せだ。ユキさん、僕を救いに来てくれてありがとう」

「俺も君に、リュイに会えて幸せだ。でもこれからもっと幸せになろう」

 受け止めるために拡げられた雪兎の腕に、リューウェイクはためらわずに飛び込む。
 力強く抱きしめられ、ぬくもりが伝わるだけで心が満たされた。

 二人で歩み出した新しい人生はまだ始まったばかり。
 これから先、二つの世界には後生に伝わる、二人の歴史が刻まれることになるだろう。


end