近づいた視線をまっすぐに見つめれば、唇が笑みをかたどる。ゆっくりと引き寄せて、目いっぱい抱きしめると冬悟は小さく笑った。伸ばされた腕に抱き込まれて、身体をさらに引き寄せたら二人でもつれるように転がってしまう。
「笠原さん、ビール零しますよ」
「大丈夫、開いてるの空だから」
「ほんとに酔ってますね」
「そうかな?」
「そうですよ。いつもだったら外でこんなことしないでしょう」
確かにそうだ。いつもだったらもっと慎ましくしているところ。この場所はあまり人目に付かない隅っこではあるが、引っ越したばかりで変な噂を立てられても困る。このままキスしたい気分だけど、羽目を外しすぎるのは良くない。
「うん、ちょっと冷静になった」
「それは良かったです」
名残惜しいが抱きしめた身体をゆるりと離してそのまま大きく伸びをする。青い空に綺麗な桜色。それを見ながら大きく深呼吸をした。身体を起こした冬悟も俺の視線の先を追いかけるように桜を振り仰ぐ。
こんなにのんびり二人で桜を眺める時が来るなんて、初めて言葉を交わしたあの時は想像もしていなかった。人生なにが起きるかわからないもんだ。
「俺、いますげぇ幸せ」
「え?」
「だって、好きな人と一緒に暮らすって初めてだし」
不思議そうな顔で振り返った冬悟に思わず照れ笑いしてしまう。けれどそんな俺にやんわりとした優しい眼差しが向けられた。
「自分も初めてですよ」
「マジで? いままで彼女と暮らしたことないんだ?」
「ええ、気の抜けた姿を見られたらあっという間に振られますしね」
目を瞬かせた俺に冬悟は少し照れくさそうに笑う。ああ、そうだった。この人のプライベートはかなり残念なんだ。最近は俺に気を使っているのかそれほどだらけた格好はしないが、朝起きると相変わらず見事な寝癖と無精ひげ。
しかしそれが出勤前になるとピシッと隙のない男前になる。その変貌は何回見ても面白い。
「けど、それも言い訳だったのかもしれないです」
「どういう意味?」
「なんていうか、そこまで相手に必死ではなかったんじゃないかと思うんです。振られても、まあ、仕方ないか、くらいの気持ちで」
「ふぅん、いまは?」
「いまは笠原さんに振られないように必死です。少しでもよく見られたいですし、飽きられないようにと思うとかなり焦ります」
少し不安そうな表情を浮かべて顔を俯かせる、その仕草がひどくいじらしい。俺と違って引く手あまただろう男が、自分に必死になってるのはかなりの優越感。
勢いを付けて身体を起こすと、その勢いのままに冬悟を抱きしめた。
「笠原さん?」
「好きだよ、いままでで一番ってくらい」
耳元に囁きかけると、驚きで目を丸くしていた顔が目に見えてわかるくらい赤く染まる。その顔に気をよくしてそっと鼻先に口づけた。