存在
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 愛しているからこそ、苦しみから解き放ってあげたい。そう伝えたかったのかもしれない。
 けれどすべてを愛しているがゆえに、醜く歪んだ恋人を愛せないと、突き放したようにも見える。

 ある種のハッピーエンドではあるが、なんだか少し胸に引っかかる終わり方だ。なぜあそこで、愛していると言ったのだろう。
 受け止めたかったのは、恋人の心ではなく、恋人を想う自分の心。愛しているのは恋人を想う自分。

 救いたかったのは、自分自身だったんじゃないだろうか、なんて考えまで浮かぶ。

「よくわからない終わりだな」

 しばらくエンドロールを眺めて考えてみるけれど、やはりすっきりしなくて、なにを最後に伝えたかったのかがわからない。
 なぜあの台詞を選んだのだろう。

「悲しい、二人のお話だよ」

「え? 一応ハッピーエンドだぞ」

 小さく呟かれた声を振り返ると、リュウの頬を一筋涙が伝った。あまりにも静かに泣くものだから、その涙に驚いてしまう。
 そっと手を伸ばして、濡れた頬を拭ってやれば、後ろから強く抱きしめられた。

「どの辺りが、悲しかった?」

 首筋にすり寄るぬくもりに、くすぐったさを感じながらも、はらはらとこぼれる涙をじっと見つめてしまった。
 彼の目に、心に、あの世界はどんな風に映ったのだろう。

「愛している人、受け止めたい。でもその想い、相手も自分も苦しめて、愛してる気持ちすべて壊してしまう。一緒にいること、その人のためにはならなくて、それ終わらせないとって思ってる。断ち切らなきゃいけない。終わらせなきゃいけない運命なんだ。二人のために、二人が愛してる時間、それを捨てなくちゃいけない」

 彼の目には二人の愛が見えたのか。自分の目には映らない愛情が、彼の目には映っているんだ。
 二人の関係を断ち切ることで、お互いがすべてから解放される。これで恋人の魂を、自由にすることができるのだと。

 愛しているがゆえに、恋人との終わりを選んだ。苦しみから解放するのではなく、自分の愛から解放する。だから彼女は泣きもせずに、笑みを浮かべたのか。
 ひねくれずに素直に受け止めれば、彼と同じ答えが見つかっただろうか。

「そういう解釈もあるんだな」

「宏武は?」

「つまらない考えだよ」

 そんな優しい考え方、自分にはできそうにない。でもなんだかリュウの言葉は、物語を語っていると言うよりも、なにかを見てきたみたいな物言いにも聞こえた。
 彼はどこかでそんな想いを、してきたんだろうか。愛する人のためにすべてを終わりにするような、そんな悲しい結末を。

「宏武、お風呂入る?」

 ぼんやりと真っ暗になった画面を見つめていたら、ふいにリュウがこちらをのぞき込む。その顔には、もう先ほどの悲しげな表情はなくて、優しい笑みが浮かんでいた。

「ああ、そうだな」

「じゃあ、お湯ためる。待ってて」

「ありがとう」

 リュウはすでに風呂に入って、寝間着に着替えているが、彼はあまり湯船に浸かることはしない。シャワーだけで済ますことがほとんどだ。
 おそらくそれは、生活習慣の違いと言うものだろう。いつも仕事が終わってから入る、自分のために湯をためてくれる。

 ご機嫌な様子で、風呂場に駆けていく後ろ姿を見送ると、ソファから立ち上がり、プレイヤーからDVDを取り出した。ケースに戻した、それをなんとなく見つめ、リュウのことを考える。

 彼はいままでどんな恋愛をしてきたのだろう。恋愛対象が同性でありながら、それを良しとはしない環境にいたのは、なんとなく想像がつく。
 だが彼はまっすぐでとても素直だ。自分の感情にもきっと正直だろう。

「彼に愛される人は幸せだろうな」

 繕うことなく愛情を向けて、ひたむきに愛してくれる。ただ傍にいるだけの自分にも、彼はひどく優しい。
 彼といると、毎日が楽しくて世界が明るく見える。――しかしそこまで考えて、思い馳せるような感覚を振り払うように、大きく首を振った。

 また余計なことを考えている。気持ちを落ち着かせるように大きく深呼吸して、胸に溜まった感情を追い出した。

 それにしても人とこうして暮らすのは、どのくらいぶりだろうか。最後に誰かと一緒に暮らしたのは、随分前のような気がした。
 いつだったろう、あまり覚えていない。

 ここ最近は誰かと付き合った覚えもないし、付き合っても長く続かなかった。
 仕事も不規則だし、普通に働いている人とは時間も合わないので、すれ違いも多いのだ。けれどリュウは毎日家にいるから、すれ違いようもない。

 なんだかひどく彼との時間に慣らされている、気がする。

「宏武、いいよ」

「ありがとう。リュウは先に寝ていても構わないよ」

「本、読んで寝る」

「わかった。じゃあ、眠たくなったら寝るんだぞ」

 なにげない時間を二人で過ごしていると、彼が存在していることが、当たり前のように思えてくる。
 慣れと言うものは、人の感覚を麻痺させるのだろうか。

 けれど自分を性の対象をしているリュウを、いつまでも傍に置いていてよいのかという考えもよぎる。
 自分が同性との関係に否定的ではないから、どこかで足を踏み外してしまいそうな気がする。それでなくとも、自分の心は揺れてばかりいるのに。

「いなくなるなら、早いほうがいいな」

 できればいまよりも情が深くなる前に、離れたいと思う。足を踏み出したら、きっと後戻りできない気がする。
 後悔するのは目に見えてわかるのに、それに縋りついてしまう自分が想像できた。

 彼の無邪気な心が、自分に向けられるたびに惹かれそうになる。しばらく誰かと一緒にいなかったから、愛情に飢えているのだろうか。

「リュウのやつ、ボディーソープ変えたな」

 考えごとをしながら、ボディータオルにソープを吐き出したら、ふわりと嗅いだことのない香りが広がった。
 いつも使っているものがなくなったので、買い物ついでに頼んでおいたのに、まったく違うものになっている。

 普段使っている安価なものではない。香りがいい、少し高めなボディーソープだ。そういえばリュウは香りを楽しむ傾向がある。ハーブティーもその一つだ。

「まあ、いいか」

 違うものをカゴに入れられて、気がつかなかった自分も悪い。買ってきてしまったものは仕方がないと諦めた。それに泡立つたびに香る、柔らかな甘い香りは悪くない気がする。

 自分は使い慣れたものを、延々と使い続けるほうなので、はっきり言ってブランドや品質には無頓着だ。しかしこのままだと、シャンプーなども変わってしまいそうだなと思った。

「リュウ、まだ起きてたのか」

 風呂から上がって、寝室に行くとリュウがベッドの上でまだ本を読んでいた。真剣に読んでいるのか、こちらが部屋へやって来たことに気づいていないようだ。
 傍まで行って、のぞき込むとようやく顔を上げた。

 驚きに目を瞬かせる彼の頭を撫でたら、表情を一変して満面の笑みを浮かべる。それは少し子供っぽい表情だけれど、華やかで周りが明るくなる笑顔だ。
 なんだか胸の辺りが少し温かくなった。

 だがそれに浸りそうになった自分を、慌てて引き止める。無闇に近づき過ぎてはいけない。

「なにを読んでいるんだ」

「宏武の本」

「ふぅん、面白い?」

「うん、面白い」

 リビングの本棚には、そういえばそんな本も並んでいたか。普段はシナリオを書いたり、雑誌やブログの記事を書いたり細かな仕事が多いけれど、本の執筆もすることもある。

 それほどたくさん出してはいないが、シナリオを小説化したものやエッセイなどが多い。リュウが読んで、面白いものでもないような気がするのだが、わからないものだ。

「目を悪くする。今日はもうやめておけ」

 寝室は間接照明で薄暗い。スタンドライトの明かりはあるけれど、本を読むにはやはり少し暗い気がする。しかしリュウは「うん」と生返事するばかりで、また本に視線を戻す。

 その様子はまるで幼い子供のようで可愛い。けれどせっかくいい目を持っているのに、悪くなっては元も子もない。読んでいる本を取り上げると、しおりを挟んでサイドテーブルに置いた。

「もう寝るよ」

「わかった」

 まだ物足りなさそうな顔はしているけれど、こちらの言うことに文句を言ってくることは、まずない。
 リュウがタオルケットを被り、横になるのを見届けると、自分もベッドの上に乗り上がった。

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