すべてが欲しい
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 普段は真面目で、大人しそうな顔をしているのに、性に対して奔放でいつも驚かされる。
 初めて抱いた時も、宏武は俺に足を開いて、いやらしく腰を振ってきた。

 その姿に正直言えば、自分のコントロールが効かなくなったくらいだ。
 宏武にこんな一面があったのかと、興奮さえしてしまった。けれどそれと共に、ほかの男の影を感じて苛立ちも覚えた。

 最初から性欲が強くて、行為に後ろめたさを感じないタイプも少なくない。しかし宏武はそういうタイプではないと思う。どちらかと言えば、他人に教え込まれて開花した夜の花。
 それを示すように、彼の中でカチリとスイッチが切り替わる。オンとオフで別人みたいにその反応を変えた。

「宏武、だらしない口が俺のを零してるよ」

「あ、いや、駄目。もっと、もっと中に出して」

 熱に浮かされたうつろな目は、スイッチが入っている証拠。それはまるで催眠術みたいだ。だけど目が覚めると、なにかが抜け落ちたみたいに清廉さを取り戻す。
 一度でいいから、その汚れない彼を抱いてみたいと思う。

 いまの宏武で満足していないわけではないが、自分の手で汚してみたい。あの白さを塗りつぶしてみたい。

「あぁっ、リュウ、中、いっぱい」

「宏武に搾り取られっぱなしだよ。ここ、すごいぐちゃぐちゃって、いやらしい音がする。こんなに注いだら、孕んじゃいそうだね」

「んんっ、もっと頂戴、孕ませて」

「可愛いね。俺のがそんなに欲しいの?」

 涙とよだれでぐちゃぐちゃなのに、腰を揺らしてねだる顔がたまらなく可愛い。
 縋る声が媚薬みたいに染み込んで、熱を疼かせる。もっと俺だけの宏武が見たい。俺以外知らない宏武が欲しい。

「本当に催眠術でもかけてあげようか」

「リュウ、イク、イっちゃう! やっ……あっ!」

「どんな宏武が見られるのか、ちょっとゾクゾクしちゃうね。ほら、ちゃんと下の口だけでイッて」

「んっ……んっ、あっぁっ、リュウっ! クル、あぁっ!」

 可愛くて愛おしくてたまらないのに、宏武を抱いていると酷く扱ってしまう。熱情のままに身体を押し開いて、手当たり次第に噛みついて、その身体を征服したい気持ちになる。

 それは多分、彼の中のすべてを上書きしたいから、なのかもしれない。無理矢理に刻みつけて、俺以外では反応できないくらいにしてやりたい、と思っている。

「ごめんね、宏武」

 いつも彼の意識が飛ぶまで、抱き潰してしまう。もっと優しくしてあげたいのに、自分の中に住む獣がそれを許してくれない。
 食らいついて、血肉をすべて引きずり出して、空っぽになったそこに俺を注ぎ込みたい。

「宏武、好きだよ。こんな感情、生まれて初めてなんだ。自分でも持て余す」

 宏武を知らなかった頃は、もっと甘ったるい世界にいた。
 可愛いアキを、愛しい愛しいと大事に腕で抱きしめて、ただひたすらに甘い言葉を囁いて、そんなふわふわとした夢心地な世界に浸っていた。

 だけどいまはもう、そんな砂糖菓子みたいな甘い感情に浸ってはいられない。宏武が欲しくて、欲しくて、飢えたように求めてしまう。

「壊しちゃったらどうしよう」

 いつも意識がない宏武を見下ろして、目が覚めなかったらどうしようかと不安になる。大切にしたいのに、ボロボロになるまでその身体に牙を立ててしまう。
 甘噛みがわからない、頭の出来が悪い犬みたいだ。大事なものを夢中で振り回して、ズタズタにする。

「宏武、好き。宏武、愛してる」

「リュウ?」

「ねぇ、俺を叱ってよ」

「……どうしたんだ?」

 閉じられていたまぶたが開いて、潤んだ黒い瞳で見上げられると、いつも胸が押しつぶされそうになる。だけど優しく伸ばしてくれる手が嬉しくて、その気持ちをなだめすかされた。
 瞬いた瞳が俺を映し込んで、やんわりと微笑むから、許された気になってしまう。

「大丈夫?」

「うん、平気だ」

「身体、綺麗にしてあげる。中も掻き出さないと」

「あっ、リュウ、待って」

「また感じちゃう?」

 いつも眠っているあいだにしてあげるから、スイッチの切れた宏武にしてあげるのは初めてだ。
 戸惑うように瞳を揺らして、腕に縋りついてくる。それはいままでにない反応で、それを思わずじっと見下ろしてしまう。

 注ぎ込んだものを、掻き出すために指を押し込めば、小さく肩が震えて胸元に顔を埋めてくる。
 なるべく刺激しないように指を動かしたが、茹で上げられたみたいに耳や首筋まで赤くした。

 漏らす声はか細くて、必死でこらえているのがわかる。どろりと孔から、吐き出したものがこぼれ出るたびに、泣きそうな声を上げてしがみつく。

「ごめんね。すぐ終わらせるから」

 これは俺が見たいと思っていた本当の宏武、だろうか。なだめすかすように頬を撫でると、瞳に涙をいっぱい浮かべた顔を持ち上げる。
 揺れる瞳と羞恥で赤らんだ顔がたまらなく欲を誘う。けれどまたスイッチを入れてしまわないように、やんわりと唇を重ねるだけに留めた。

「もういいよ。身体拭いてあげるから待ってて、シーツも取り替えるから」

 恥じらうように目を伏せる宏武は、昼間に見せる清純な顔をしていた。
 その表情に誘われるままに手を伸ばして、噛みついた傷跡を撫でれば上擦った声が漏れる。しかし自分の声に驚いた顔をして、彼は唇を噛みしめる。

「本当に別人みたい」

「え?」

「なんでもないよ。首、ちょっと血が出てる。薬塗ってあげるね」

 ベッドから剥ぎ取ったシーツを丸めて抱えると、口先にキスだけして寝室を出る。ゆっくりと戸を閉めたら、身動きできなくて立ち尽くしてしまった。
 いつもとは違う顔を見て、それを思い出すだけで、むずりと熱が膨らんでくる。

 あの宏武が食べたい。そんな感情が湧いてくるけれど、それを振り払うように首を振った。いまはまだ踏み込んでは駄目だ。
 少しずつ、少しずつ近づいていかないと、すぐにスイッチが入ってしまうだろう。それじゃあ意味がない。

「絶対、全部忘れさせる。上書きしてやる」

 だけどこんなことを考えているだなんて知られたら、意識して余計にスイッチが入ってしまいそうだ。
 なにごとも慎重にしなくては。拳を握りしめて意気込むと、抱えたシーツを手に脱衣所に足を向けた。

 シーツは洗濯機に押し込んで、洗剤を放り込む。最初の頃は柔軟剤を入れずに洗って怒られたが、いまは洗濯をするくらいは俺にもできる。

 棚から取り出したタオルを濡らして、乾いたものと一緒に用意すると、今度は薬の箱をひっくり返して、いつも宏武がこっそりと塗っている傷薬を取り出す。

 噛み傷がひどくなることはかなり多いのだが、宏武は手当てをしていることを、あまり知られたくないようだった。
 もしかしたら俺が、気に病まないようにしているのかもしれない。

「宏武?」

 寝室に戻ると、宏武はタオルケットを引き寄せて横になっていた。眠っているのかと思い、そっと傍に寄ったが、近づいた俺の気配に気づいてまぶたを持ち上げる。

「身体、拭くから」

「うん」

 ベッドの端に腰かけて、ゆっくりとタオルケットを引き下ろすと、しなやかな身体が目に映った。
 なめらかな白い肌には首筋や鎖骨、胸や腕、太ももにまで赤いうっ血と噛み跡が残っている。

 それの一つずつ確かめながら、汗と体液で汚れた身体を拭いていく。そしてつま先まで綺麗に拭い去ると、傷薬を塗り込めた。

「ごめんね、宏武」

「ん?」

「いつも痛いよね」

「平気だよ。リュウに執着されてるのがわかって、案外嫌じゃないんだ」

 情けなくしょげる俺に、宏武は綻ぶように笑った。穏やかで優しい笑顔。そんな風に笑ったら、アキに似ているんだろうなってずっと思っていた。
 だけど実際は、あの面影にはちっとも重ならなかった。

 宏武の笑みを見て、思わず唇を寄せてしまう。薄い唇に何度も吸い付き、舌先でその形を辿る。
 彼はそれにうっとりと目を細め、両手を伸ばして俺の頬を撫でた。

「リュウ、好きだ」

「俺も好き、宏武が大好き」

「なにか悩んでるみたいだけど、自分はいつだってリュウのことしか考えていない」

「宏武」

 優しい眼差しが俺をまっすぐと見つめる。その目から愛おしい、そんな想いが感じられた。
 ふいに宏武の気持ちが心に流れ込んできて、自分の勝手な感情を握り潰したくなってくる。

 どんな時だって宏武は、俺のことをちゃんとその目に映してくれていた。独占したい気持ちばかりに心を急かされて、それを見落としてしまうところだった。

「宏武、俺は、宏武の全部が欲しい。髪の一筋、涙の一粒も残さないくらい、宏武が欲しいんだ。自分でも苦しくて仕方ない。まだ全部掴めていない気がして、もどかしくて」

「リュウ」

「お願い、こんな俺のこと嫌いにならないで」

「……好きだよ。どんなリュウだって構わない。いまこうして傍にいてくれることが奇跡だって思ってる。飛べない自分に翼を与えてくれたリュウが、誰よりも好きだ。だからもう泣くなよ」

 溢れた涙が宏武の頬にこぼれ落ちる。
 ボタボタと落ちて柔らかな頬を濡らすけれど、それに少しくすぐったそうな顔をしながら宏武は笑う。そして手のひらで涙を拭ってくれる。

「リュウ、ずっと傍にいて。離れずに傍にいて」

「離れない。絶対に、俺は宏武の傍にいる。誰にも宏武は渡さない。俺は宏武のためにここにいるんだ」

 重たい俺の言葉に、少し驚いたように目を瞬かせたが、宏武は嬉しそうに瞳を細めた。
 さらには眩しそうに俺を見つめて、好きだって何度も囁いて、引き寄せた俺にキスをくれる。

 触れるだけの小さなキスは、胸の痛みを和らげていく。だけど涙だけは降り止まなくて、宏武は声を上げて笑った。

「可愛い」

「馬鹿にしてる?」

「してない。リュウが可愛くて、愛おしいなって思ってるだけ。慣れない場所で、一生懸命に頑張るリュウがたまらなく好きだ。そうだ、そろそろちゃんとしたピアノが置ける部屋に引っ越さないか? ここだとリュウは好きな時にピアノを弾けないだろう」

「ううん、いいんだ。ここでいい。俺は宏武と出会ったこの場所でいいよ。ピアノはどこでだって弾ける」

 ここには宏武との思い出が、たくさん染みついている。初めてここに来た時のことも、泣きながらここを離れた時のことも、どれも忘れられない。
 だから離れたくないんだ。

 宏武の持っているピアノでは満足できない俺は、ここでピアノを弾けない。
 それでもいまは構わない。だけどそう言ったら、宏武は少し寂しそうに笑った。

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