父との初めての対話
森からクトウの宿へ戻ると、ユーリはライが魔法局員から借りてくれた通信鏡で、皇帝ルカリオと会話の場を設けることになった。
いまは念のため部屋の外から、デイルが防音魔法をかけてくれている。
「僕が通信鏡を使えるようになるなんて、思わなかった」
通信鏡とは鏡を通じ、対面して会話ができる希少なものだ。大きさは様々だけれど、いま手元にあるのは携帯用なため、手のひら一つ半くらいの大きさ。
折りたたみ式の丸い鏡で、開くと蓋の裏側に鏡がついていた。底面に刻まれた、魔法陣に魔力を注げば通信が始まる。
転送の魔道具と同じく、魔力が少ない者には扱いにくい代物。
だが最近すっかり魔力が整い、以前よりも魔力操作が上手になったおかげで、この程度の大きさならば難なく使える。
『数日、離れただけだが、なにやら顔つきがしっかりとしたな』
「――っ、ありがとうございます」
机の上に置いた鏡の中で、ルカリオは息子の成長を眩しそうに見つめ、緋色の瞳を細める。
これまであまり会話をした記憶がなかったので、たったそれだけでもユーリは嬉しくて、照れくささを隠しきれない。
『報告は聞いている。供の者たちはよく働いているようだな』
「とても頼りにしています」
『それで、私に内密の話とは?』
「はい、実は――」
三人に話した未来の出来事をユーリは詳細に、覚えている限りをルカリオへ伝えた。
信じてもらえなかったらと、今度は恐れを抱いたけれど、皇帝として、父として彼はしっかりと話を聞いてくれる。
『そうか、ミハエル――バカな真似を』
ユーリにとってミハエルは叔父、ルカリオにとっては弟だ。
話を聞き終わったルカリオはため息をつき、瞳に悲しげな色を浮かべた。
『そこまでして、帝位に就きたかったのだろうか』
帝国は血族継承ではない。
弟だからと皇帝になれるわけではないけれど、まさかドラゴンの魔力に拒絶されるとは、当時のルカリオも思っていなかったのだという。
もちろんこれまでも儀式で選ばれなかった候補者たちは多くいた。
ただミハエルはひと目でわかるほど、赤色が強く、魔力も豊富。幼い頃から魔法の扱いにも長けていた。
誰しも次期皇太子は彼だろう、と思っていたのに――失格どころか部屋から追い出された。
魔力の石に、触れるのを拒まれた程度と思っていたため、ユーリもそれを聞いてさすがに驚く。
誰もこんな結果は想像しなかった。いや、想像もできなかったはずだ。
「確かに叔父上はとても優れていますが――一番大事な条件を満たしていません」
『そうだな。私も薄々気づいていたが、可愛い弟だからと見ぬふりをしていたのだろう』
ルカリオとミハエルは十歳以上、歳が離れている。
ほかにも弟妹はいたものの、末の子は特別可愛く思えてしまうのだろう。
エルバルト家は代々、情に厚い人物が多い。
だからこそ長く帝国を預かっているとも言えた。しかしミハエルは少々異端だ。
『あの子は執着という感情がなによりも強い。欲しいものは手に入れないと気が済まない性質だ。私たちが甘やかしすぎたのかもしれんな』
(母上に横恋慕をしてるなんて父上はお見通しだろうな)
悩ましげに眉間を指で揉むルカリオから苦労が忍ばれる。
母、エリーサがルカリオの婚約者となったのは十四の頃。ミハエルは七歳。
美しい女性への憧れから始まったのだろうか。ユーリは複雑な気分になった。
『ミハエルと関わる際は気をつけなさい。私からこんなことは言いたくないが。ユーリル、そなたは本当に、彼女によく似てきた』
「……はい。あの、父上。もし叔父上が今回の件」
『そのときはその時だ。身内だからと見逃しはできない』
「はい」
『ミハエルは国境に居を構えているため、現在は外交も担っている。ふむ、少しあの子の周囲を洗ったほうが良さそうだな。ユーリル、情報に感謝をする。一人でよく頑張ったな』
「ありがとう、ございます」
思いがけない賛辞をもらい、ユーリは喉が詰まり、目が潤む。家族が一人もいない世界は辛く寂しかった。
そんな気持ちを分かち合い、心から褒めてくれたルカリオを初めて身近に感じる。
(もしかして父上は叔父上のことがあって、僕にあまり干渉しすぎないようにと、思っていたのだろうか。だから兄上たちもそれに倣った、とか)
家族にお荷物だと、嫌われているのだと思っていた未来。蓋を開けてみれば、むしろ皆、ユーリを構いたくて仕方がなかった。仲良くなりたかったのだと知った。
『ああ、そうだ。未来でそなたは一人きり、ではなかったのだな。黒色の魔法使いか……意外と近くにいるかもしれないぞ』
「え? それはどういう」
『確信のないことは口にできない。だが、いつかきっと出会えるはずだ』
「そう、ありたいです」
『思っていれば、必ず叶う。またなにかあればいつでも私を呼びなさい。いま使っている通信鏡はそなたが持っているといい。これは私へ直通の鏡だ』
「えっ! そのように重要なものを?」
『私とて、可愛い末息子は気になる。体には気をつけて、無理をしないようにな』
「はい。父上もお体に気をつけて」
二人でいたわりの言葉を掛け合うと、あとは今後の予定を軽く伝え、通信鏡を閉じた。
そしてユーリは蓋をした鏡に触れながら、長い息を吐く。
「すごい。父上とこんなにたくさん話をしたのは初めてだ」
未来の話や、視察の話が大半で仕事の範疇だけれど、ユーリにしてみれば感慨深いのだ。
視察を命じられる際に、謁見の間に呼ばれたのも初めてだった。
肉親であるのに皇帝陛下という高貴な立場の人である、という認識が強く、近くて遠い存在に思えていた。
しばらくぼんやりしていたら、部屋の扉をノックされる。
「デイルか?」
「はい、もうよろしいですか?」
「ああ、入ってくれ」
返事をすると静かに扉を開き、デイルが部屋に入ってくる。
帰ってきてすぐ、ユーリが部屋へ篭もってしまったから、彼は旅装をほどく暇もなかったと、いま気づいた。
「すまない。疲れているのに休ませもせず、見張りの役目までさせて」
「このくらいはなんてことありません。着替え、お手伝いしましょうか?」
「いや、自分でする。デイルもくつろいでくれ。今日はもう、特に用はないだろう?」
「はい」
二人はマントを脱ぎ、体を拭って着替えるとようやく人心地をつく。
ほっとしてユーリがベッドに腰掛けたら、デイルは微笑ましそうにやんわりと笑った。
「デイル、近くへ」
「どうされました?」
ぽんぽんとベッドを叩くと傍まで来たデイルは首を傾げる。いまにもその場に跪きそうだったので、ユーリは彼の手を引いて隣に座らせた。
「父上と話ができた。僕のことを可愛い息子だと言ってくれた」
「はい。ユーリさまは愛されておいでですよ」
「知らなかったんだ、ずっと」
「いま、知れた。それだけでも時を戻ってきた意味がありましたね」
「うん。……デイル」
優しい声音。穏やかな響きにすがるように、ユーリはデイルの袖をくんと指先で引く。
意味を悟った彼は困った顔をするけれど、大きな手でユーリの髪を撫でてから身を屈めた。
そっと触れる唇に、ユーリの心は満たされる。両手を伸ばして広い背中に回せば、さらに深い口づけを与えられた。
「……はあっ、僕は、悪い主人だな。デイルに、こんなことをさせて」
「なにも言わないでいてください」
「うん」
ぬくもりが離れていき、もの寂しくなった唇に指先を当てられ、ユーリは小さく頷いた。
うやむやな関係。デイルは添い遂げる人を作らないと言っていた。だからこそ気持ちを明確にしてはいけない。
一度、想いに火がついてしまえば、きっとユーリは引き返せなくなる。
おそらくデイルも同じ気持ちなのではないかと思えた。
なんの感情も持たない相手に、これほど優しく、いたわりと愛情を込めて口づける人はそういない。
錯覚かもしれないものの、デイルの口づけにはひどく想いがこもっている。
(父上は、魔法使いは近くにいるかもしれない、と言っていたけれど。彼がもしいま、目の前に現れたら、僕はどうするのだろう)
「ユーリさま、そろそろ眠りましょう。明日からも忙しい日々が続きます」
この宿は二人分のベッドがある。祭りの夜のように一緒に眠ってもらうことは叶わない。
なだめるみたいに頭を撫でられ、ユーリは仕方なしにベッドへ潜り込んだ。
部屋の明かりがふっと消え、すぐ傍でぎしりとベッドの軋む音が聞こえた。
窓からは月明かりが射し込んでおり、窓際で眠るデイルの輪郭が見える。
(顔も名前も、声もなにもかも思い出せないあの人に会いたい。それと同じくらい、いまは会いたくない)
切なくなる胸を押さえながら、ユーリは毛布の中でうずくまるようにして眠った。