花咲く場所へ

 調査員がミハエルを見かけたという場所は、フィズネス領とユーリアの墓所の境目だったという。
 周囲は毒も拡がっておらず、危険はないけれど、さすがにユーリ一人で行くのは無謀すぎるので、デイルが同行することとなった。

 しかし同行者がデイルで大丈夫だろうか、という気持ちがユーリにはある。
 ミハエルに会ったら、露骨に嫌な顔や牽制をして、態度が悪くなりそうに思えた。

「デイル、叔父上に会っても睨んだり威嚇したりしてはダメだぞ」

 隣を歩くデイルを見上げ、一言忠告すると、ひどく不満そうな表情を返された。

「私をなんだと思っているのですか、狂犬ではありません。わきまえた行動はできます。あの男がユーリさまに危害を加えない限り」

「ん、まあ、そうだな。デイルは冷静なタイプだものな」

 心外だと言わんばかりの言葉を信じようと、ユーリは素直に頷く。

(ただ最近は名前を呼ぶのも嫌そうだよな。敬称で呼ぶのも腹立たしく思っていそうだ)

 サクサクと草を踏みながら進むデイルをちらりと見上げ、横顔を見つめたあと、ユーリは彼の手袋に包まれた、大きな手に指先を伸ばした。

 手を繋ぎたい、そう思ったものの、触れる前にデイルの手が目の前から消える。

「え?」

 ふっとかき消えてしまった手を見てぱっと顔を上げれば、先ほどまで森の中を歩いていたはずが一面、濃霧に覆われていた。

「デイル? デイル! どこだ?」

(油断をしていた。叔父上は空間魔法が使えるのか?)

 おそらく大きな結界にユーリだけが閉じ込められた可能性がある。
 こんなことならば最初から手を繋いでおけば良かったと、ユーリは苦い表情を浮かべた。

 なんとなくデイルが一緒だからと、気が緩んでいた部分があるのだろう。

「誘いに乗るしかないよ、な」

 濃霧がうっすら晴れてきた。一定方向のみ。
 先ほどまで歩いていた方角から、ユーリは体を動かしていないので、そちらはユーリアの墓所へと至る道だとわかった。

 大きく深呼吸をすると、ユーリは右手首の腕輪をぎゅっと握る。
 普段は机の鍵の役割をしているけれど、ここへ来る前にデイルが魔法を仕込んでくれていた。いざというとき、使うといいと言われている。

 使う必要がない、それが一番であるものの、いまのユーリにとって腕輪がお守り代わりだ。
 誘われるままに進むと見渡す限り、花が咲き乱れる広場に出た。

「ここが、ユーリアとディアランが眠る場所」

 中央には石碑がある。花を踏み荒らさないよう、敷かれた石畳を歩き、ユーリは石碑の傍まで進んでいく。

(ディアランは最後にどんな魔法を使ったのだろう)

 中央に立ち、花畑を見渡すとわかる。優しい白やピンクの花からは、儀式の間で感じたディアランの魔力が漂っていた。

「死の間際、自身を花とする。そんな魔法、あるのかな」

 その場にしゃがみ、ユーリは可愛らしい花を優しく撫でた。ふわっと香る匂いも、キラキラと散る魔力の粒子も、まだここにディアランの意志が残っているように思える。

(彼女を愛し護ろうとする意志。優しさだけではなく、とても強い心を持った人だったんだろうな、きっと。いまのデイルと一緒だ)

 魂は巡りいまのデイルに継承されている。それでもディアランとしての心が、意志がここに残っているのだ。ミハエルが部屋からはじき出されるほど嫌われた理由がわかった。

(ユーリアに横恋慕する男なんかに、力を継承してやりたくないよな)

 ふふっとユーリが小さく笑っていたら、ふいに風が乱暴に吹き抜け、花びらが舞い散る。

「可愛らしい笑みだが、ほかの男を思い浮かべながらと言うのは気に入らないな」

「――――っ」

 真後ろ、耳元から声が聞こえ、ユーリの体が強ばる。
 まったく気配を感じさせなかった。身を引きながら後ろを振り返れば、妖しい笑みを浮かべたミハエルが立っていた。

「ああ、以前は魔力が整っていなかったから、気づかなかったが……やはりユーリル、君の魔力は彼女と一緒だね」

「触らないでください!」

 手を伸ばされ、ユーリは反射的にミハエルの手を払う。
 だがそんな反応などものともせずに、再び伸ばされた手はユーリの肩を掴んだ。

「子猫のように威嚇されても、可愛いとしか思えないな」

「気色の悪いことを、言わないでください」

 自分を殺した男に可愛いと言われて喜ぶ変態はそういない。
 たとえミハエルが絶世の美貌を持っている人物だとしても、ユーリから見たらあからさまな手のひら返しをされて、気味が悪いとしか思えない。

(魔力か。未来の叔父上もここに出入りをしていたんだな、やっぱり)

 何度も足を踏み入れていなければ、ユーリアの魔力の質を正しく知るなどできないだろう。

 いまの世であったのは体調が回復したあとだ。彼ほどの実力者であれば、合った瞬間にユーリの魔力に気づく。ゆえにあの反応だった。

 焦がれた人物を目の前にして、髪に口づけるだけで留めたのはある意味、理性的と言えるのかもしれない。
 それでもユーリとしては二度とあんな触れ方はされたくない。

「叔父上、あなたは一体、なにがしたいのですか」

「そうだね、ユーリルをはべらせ、兄上が座っている椅子に座りたいかな」

 クスッと笑い、ミハエルは子供がおもちゃを欲しがるような軽い言葉を吐く。

「叔父上は帝位につけません。ついたとしても、ドラゴンは帝国の大地を、加護を取り上げるでしょう」

「だったらなんだって言うんだい?」

 毅然と言い放つユーリに、笑みを深くしたミハエルは、なんてことない表情を浮かべる。

「あっ……」

 肩に置かれたミハエルの手で、やすやすと体を押し倒され、ユーリは石畳の上に仰向けで横たわる。

 上から見下ろしてくるミハエル。背後の景色はまるで違うものの、あの日が思い起こされ、無意識にユーリの肩が震えた。

「土地が足りなければ、増やせばいいのさ。周りにたくさんあるだろう?」

「そんなに簡単なことでは」

「彼らはせっせと自分の国に毒をまき散らしているよ」

「――っ、まさかここの土を持ち出しているのは、近隣の国々なのですか?」

 誰が関わっているのか、ユーリは疑問に思っていた。
 しかしそれが土地をまたいだ近隣国だとは簡単に予想できない。他国の人間を容易く国に招き入れるなど、国境を預かる者としてあってはならない。

(土地の浄化と引き換えに、帝国の属国にするつもりか)

 取り引き材料を持っているからこそ、自国に密入国しても目をつぶっているのだ。
 ドラゴンに与えられた土地が取り上げられても、奪い取るくらいの真似はしそうだと、ユーリは目の前の男がひどく恐ろしく思える。

 それとともに彼も、未来の記憶を確かに持っているのだなとわかった。

「あなたはまた、僕の家族を奪う気か」

「ふふ、やはり君も記憶があるのだね。そうじゃないかと思ったんだ。上手に感情を隠していたけれど、私に対して怯えを感じているだろう?」

「……っ」

 肩に置かれていた手がするりと首筋を撫でる。
 いまなら勢いよく起き上がれば逃げ出せるというのに、ユーリは体を動かせない。

 さらりと肩からこぼれた、ミハエルの長い髪が頬に触れるだけでも、心臓の音が早くなっていく。

「ここを一突き、意外と一瞬だった。さすがにドラゴンも心臓までは護れないのだね」

 そっとミハエルの右手が左胸に添えられ、ユーリはひゅっと息を飲む。

「大丈夫だ。もう殺したりはしない。大事に大事にして可愛がってあげるよ」

「いや、嫌だ! 僕はあなたのものになんてならない!」

 体に重みがのし掛かり、首筋にミハエルの唇が触れた瞬間、ユーリは無我夢中で右手を振り上げた。それと同時に右手首に熱を帯びる。

 小さな抵抗と嘲笑っていたミハエルも他者の魔力に気づき、防御の構えをとった。

 ユーリの右手には光でできた短剣が握られている。自身の魔力も込めれば、姿を変え、立派な長剣となった。

「ヘイリーたちに剣を習ったのだったね。そんな物騒なものを振り回すなんて、ユーリルには似合わないよ」

「なにもできないお飾りの人形になんて、もうならない」

「困った子だね。君程度が……私に敵うとでも?」

 剣を構えたユーリに、ため息をついたミハエルは一歩足を踏み出す。
 しかしわかったのはそこまでだ。気づけば目前まで迫っており、ユーリは暗色の剣を受けるので精一杯だった。

 体格、腕力、速度、剣の扱い。

 どれもミハエルに敵わないのは明らかだ。だとしてもユーリはなにもしないまま、捕らわれたくなかった。

「綺麗な顔に傷はつけたくないな。手足くらいはいいかな?」

(ここまで叔父上が狂った人だとは、思わなかった)

 優しげな笑みを浮かべ、口にした言葉の残酷さ。
 これほどの狂気を宿していながら常人のように振る舞える異常さが恐ろしい人だ。

「ひと目、見たときから私の心は君に囚われている。あれはいつのことだったか――未来では義姉上を失って、嫌気を起こしてしまったけれど。本物がいれば、それだけで十分だ」

「冗談じゃ、ないっ!」

 本気でユーリを手に入れるためなら、手足の一本二本、落としてもいいと思っている。
 剣を受け流し飛び退くと、ユーリは目前から視線を外さず、空間に意識を研ぎ澄ませた。

 ミハエルの魔法の扱いはとても素晴らしい。ここまでの実力の持ち主はそういない。
 だがそれ以上に、努力を積み重ねた人物をユーリは知っている。

「――デイル! ディー、僕はここだ!」

 ユーリが右手首の腕輪に左手を添えれば、強く輝き、腕輪から放たれた閃光は一直線に伸びてミハエルの頬をかすめていった。

 途端にパリンと薄氷が割れるような、繊細な音がして、まとわりつくような嫌な魔力ではない。

 ユーリが心から焦がれた優しく強い魔力を感じた。