帝国建国の秘話

 初代皇帝が八番目の王子であったと言う史実は本当だった。
 ドラゴンが彼に地を貸し与え、帝国の地を治めていけるよう、魔力も貸し与えた。

 ただし、ドラゴンは友であった少女の願いを聞き、皇帝となった八番目の王子――ディアランに、力を与えたのが真実だ。

 ディアランは末の王子で温和穏健、争いを好まない性格。平民出の側室の子だった。
 ゆえに兄姉たちから見下され、邪険にされて、辺境のフィズネス領で暮らしていた。

 そこでディアランは緋色の少女ユーリアと出会うのだ。
 他国の出身で、緋色の髪に緋色の瞳というだけで迫害されたユーリアは、辺境のホートラッド山に迷い込み、ドラゴンと出会う。

 のちにディアランとも巡り逢い、フィズネスの地で〝緋色の魔女〟さまと、皆に親しみを込めて呼ばれ、愛されるようになる。

 二人は辺境の地で愛を育んでいくが、王都では横暴な王族に非難の声が上がっていた。

「――ディアラン王子の兄姉たちは、辺境で名を広めた緋色の魔女さまに目をつけるのです」

「当時は魔力持ちが少なかったのだな。ドラゴンに魔法の使い方を教えてもらった彼女は、いい国の旗印になる」

「しかし王子は恋人を危険な王都へ連れて行くのを拒みました。そして城に残された母親を盾に取られるのです。ディアラン王子は母親を連れて必ず戻るとユーリアに約束しますが」

「戻れなかった、のだな。だとしたら、約束を果たさなかった王子にドラゴンはなぜ土地と力を」

 フェンロットの話を聞きながら、ユーリは納得する部分と腑に落ちない部分が浮かんだ。

(ユーリアが僕だとしても。大事な友を裏切った男にドラゴンはなにを思って)

『過去のそなたも同じ真似をしたではないか。あの男の未来のために、我に願った。男の治める土地に平和をと――わずかな寿命と、我と生涯の友になる約束を引き換えに』

 ふいに思い出したドラゴン、シノスの言葉。

「わずかな寿命と引き換えに? もしかしてディアラン王子は――」

(デイル、なのか?)

「ディアラン王子がフィズネスに戻ろうと、奮闘しているあいだにこの地域一帯で病が流行ったのです。その病が拡がらぬよう、緋色の魔女さまは身を投じて病を収束させました」

「病、身を投じて? それで寿命が残り少なくなったのか。病とは……もしやいま流行っている、毒の病なのか?」

「緋色の魔女さまは自分の体に病を閉じ込めたのです。しかし何百年と時が過ぎて、彼女が埋葬された土地に染み出てしまったようです」

 予想外な昔語り。まさか病の発端が建国以前で自分自身だったなど、さすがにユーリも予測できなかった。

「王子は、彼女の状況を知らなかったのか?」

「噂は聞いていたけれど、身動きが取れず。駆けつけた時には虫の息でした」

「え? デイル?」

「……いまも奥底の記憶が、ぼんやりと浮かぶのです」

 思いがけない言葉に驚き、ユーリが隣のデイルを見れば、胸元をぎゅっと握り苦渋の表情を浮かべている。

「デイルは未来だけではなく、生前の、過去の記憶もあるのか?」

「最初から、ではありません。未来でユーリさまを失ってからです。雷が帝都に落ちて、私はいまに戻りました。まだ十に満たない歳でした。それ以降少しずつ、色々な記憶が頭をかすめるようになりました」

 ユーリは未来といまの二つの記憶でさえ整理に苦労をしたのに、デイルは三つもの記憶が混在していたのかと、苦悩が忍ばれる。

 それが幼い子供の時であったなら、余計に辛い場面もあったはずだ。

「あの頃の私――いえ、ディアランは無理やりに皇帝として持ち上げられました。そして他国の姫君を皇妃として迎え入れろと、くだらない論争に翻弄されているあいだにユーリア――あなたを失ったのです」

(それが本当ならば、まるで未来の僕たちと真逆の立ち位置じゃないか。なりたくもない皇帝にされ、周りに振り回され。僕が先に命を失う点は過去のままだけれど、今世では僕がデイルを失いそうになっている。〝皮肉な運命〟――本当にドラゴンの言うとおりだ)

 先ほど目が覚めた際に、聞こえた気がした『失いたくない』という声。あれは夢や幻聴ではなく、デイルがユーリとユーリアへ向けた声だったのかもしれない。

 帝国を預かる者は血族で継承するとは限らない。それはドラゴンのせめてもの情けだろう。
 皇帝となったディアランが望まぬ結婚、子供を儲けずとも良いようにしてくれた。

 ユーリアが死したあと、悲しまぬようにしてくれたのだ。
 フェンロットが最初に、この話をした意味がユーリはようやくわかった。

 ドラゴンは時を戻したが、帝国の物語に重要な役者ではなかった。

「あっ、もしかして儀式の間にある、ドラゴンの魔力の塊と言われている。あの宝石はディアランの魔力の塊なのか?」

「おそらくそうでしょうな。彼は退位したのち、魔力のすべてを結晶化させて宮殿を去った。と、私は祖先に聞きました」

 向かいにいるフェンロットが、ユーリの言葉に大きく頷いた。
 条件を満たしていないのに未来の自身が、皇帝となってしまった意味をユーリは悟る。

 ディアランはユーリの魂に残るユーリアの気配に惹かれて、選んでしまったのだろう。

「……では二人の眠る地を病の根源にしておけないな。早く土地の浄化をしなくては。墓所は、一体どこにあるのだろうか」

 ちらりともう一度、ユーリはデイルを横目で見るが、彼の視線は床へ向けられている。
 デイルが未来の記憶、過去の記憶までもあるのだとしたら、彼は二度もユーリを失ったのだ。なにもできないまま、二回も目の前で失った。

(魂を全部明け渡したくなるのも理解ができる。だけど僕は、ディー、あなたと生きていきたい。必ずドラゴンの、シノスの望む未来にしてみせる)

 俯きがちなデイルの手に、ユーリは自身の手を重ねぎゅっと握った。膝の上できつく握られていた手は、一瞬ビクッと反応したあと、ユーリの手を握り返してくる。

「かの地はこの村とフィズネスの狭間にあります。我々一族が封印し、病が拡がり出ないようにしているのですが、最近になって土地に出入りする者がおります」

「最近とはいつ頃だろうか」

「二、三十年ほどでしょうか」

(聞いて良かった。フェンロット殿と僕たちの最近に齟齬があると思ったんだ)

 フェンロットは気づいていないらしいが、小さく隣からクスッと笑う声が聞こえた。
 きっとデイルも同じことを思ったのだろう。

 落ち込んでいた彼の、気分が少しまぎれたのではないか。そう思えばフェンロットに、感謝せずにいられない。

「デイル、叔父上が公爵領を賜ったのはいつだ?」

「十五年前ほどかと。ですが元々、フィズネスは帝国領で、保養地とされていました。幼い頃にミハエルさまが滞在していた可能性もあります」

「……デイル、僕はいま、嫌な考えが浮かんだんだが」

「なんでしょう?」

 腕を抱き、ふるっと肩を震わせたユーリの様子に、デイルは驚きの表情を浮かべ、肩をさすってくれた。

「フェンロット殿、ユーリアの肖像画は残っているのだろうか」

「はい、残っております。ユーリル殿下によく似た美しい少女でした。この村だけではなく、もしかしたら外の村にも残っているかも知れませんな」

「まさか――ミハエルさまは」

 建国の頃、フェンロットが生まれている可能性はない。祖先の話と言っていたくらいだ。
 だと言うのにユーリと顔を合わせた際、緋色の魔女に生き写しだと、彼は感心していた。

「たぶん、そのまさか、かもしれない。叔父上は肖像画を見た可能性がある」

「皇妃殿下ではなく、ユーリさまの美しさに魅せられているのですか、あの男は」

「デイル、ここではいいが言葉に気をつけろ」

「ユーリさま! これ以上、彼に近づく真似はやめてください。あとのことはこの私が」

「そう、できたらいいけれど。簡単にはいかないかもしれないじゃないか」

 体をこちらへ向けたデイルがユーリの両肩を掴んで、必死な顔をする。
 気持ちはとてもわかる。ユーリとてそれが本当ならば、一切関わりたくない。

「殿下、お気をつけください。我々の結界をすり抜けるような人物です。最初は迷い込んだのかも知れませんが、その後は出入りする方法を見つけ、我々の目を盗んで入り込んでいます」

「叔父上は心根以外ならば、非常に優れているからな」

 デイルのことを言えない、悪口とも取れる言葉だが、事実だ。
 魔力が豊富、魔法の扱いに長け、身体能力も知力も高い。外面、見た目も完璧だ。

「つい最近、外で川に土砂が流れてきたと聞いたのだが」

「近くに川が流れております。おそらく出入りしている者たちの仕業でしょう」

「土を持ち出すのに掘り起こし、崩れたのだな」

(しかしあの叔父上が、足がつく真似をするとは思えない。だとすれば別の人間も今回の件で動いているのか)

 ミハエルの配下も有能だ。土砂崩れを起こすなどヘマはしない。
 どこの人間が関わっているのかも確認しなくてはならないだろう。

「対策を練らなくてはいけないな」

「浄化の魔法陣がどの程度、完成されているか確認もしなければいけませんね」

 デイルの言うとおり、浄化の魔法陣も急がなくてはいけない。

「でしたら、殿下たちは早めに村を出られたほうがいい」

「――っ! そうだった。ここにいると時間の進みが違うのだったな」

 半日が外の世界での何日なのかわからないものの、長居をしないに越したことはない。
 フェンロットの言葉を聞いて、ユーリは慌てて立ち上がる。

「慌ただしくて申し訳ない。また落ち着いてからこちらへ伺いたいのだが」

「もちろん、ユーリル殿下ならばいつでもお待ちしておりますよ」

 休ませてもらい、話を聞いたら早々に立ち去るなど、本来であれば失礼に当たる。
 とはいえ下手に気を使って長居をしたら、どれほどの時間が向こうで過ぎているのか、まったくわからない。

「できれば、ドラゴンに――シノスに、会いたいと伝えてほしい」
「かしこまりました。お伝えしておきましょう。私も再びお会いできるのが楽しみです」

 フェンロットと固い握手を交わし、次の約束をすると、ユーリとデイルはすぐさま村の入り口へ戻った。