神を祀る村

 声の主は先ほど水を持ってきてくれた少年――タムだった。
 ユーリもデイルも部屋に扉がないのを、うっかり失念していた。

 声が気になって覗いたら、ベッドで二人――なんて場面、少年には刺激が強かっただろう。
 慌ててユーリたちが身を起こすと、彼は後ろを向いていた。

「恋人同士の時間をお邪魔して、申し訳ありません」

「いや、謝ることではない。こちらが配慮に欠けていた」

 顔どころか全身を真っ赤にするタムは、両手を頬に当てている。
 そんな様子を見ると、見ているほうまで頬に熱が移るものだ。

「ところでなにか、用だったのでは?」

 ユーリとタムが頬を染めて照れ合っていると、デイルがすかさず軌道修正してくれる。
 問いかけにぱっと振り向いたタムは両手を握りしめ、当初の目的をようやく果たす。

「は、はい。ご気分がよろしければ、こちらへお伺いしてもよろしいですか、と長老が」

「わざわざ? できたら僕はここがどんなところか知りたいので、そちらへ伺いたいのだけれど駄目なのか?」

「いいえ! もしお望みであれば村の案内をしつつ、来ていただいてもいいと。長老の家はここから少し歩いた先です」

「そうなのか。ではぜひ案内してほしい」

 秘密主義というわけではなさそうで、ユーリは安心した。
 デイルへ視線を向けると頷き返してくれたので、心配はなさそうだった。

「ユーリさま、こちらを」

「ああ、うん」

 ベッドから降りたユーリに肩掛けを着せ、デイルは留め具で抑えてくれた。
 普段、彼がマントにつけているものだが、よく見ると綺麗な空色の宝石だ。

 見慣れたその色がなにを意味するか、気づいてしまい、ユーリは留め具をそっと握りながら、頬だけでなく耳まで熱くする。

 留め具の宝石の色など気にしていなかった。そういえばと思い返せば、ユーリのマントの留め具は鮮やかな赤みの強いピンク色。
 ちらりと目の前に立つデイルを見ると、目が合った。

「ユーリさま、まだ本調子ではないのですか?」

「ち、違う。ちょっと色々と自分は疎かったなと思っただけだ」

(誰がこんな配色にしたんだ?)

 最近帝都で、恋人に自分の瞳の色をした装飾品を贈るのが流行っているらしい。
 いつだったかユーリは侍女が話しているのを聞いた。婚約者に贈られたと喜んでいたが、自分には関係ないと気に留めてもいなかった。

 未来のユーリはそんな流行があったのも知らなかったくらいだ。

「もしかして装飾品の色を気にしていますか?」

「ふぇっ?」

 悶々と考え込んでいたらズバリと言い当てられ、ユーリの声がひっくり返る。

「これは皆さまの配慮です。なにか説明があったかと思っていたんですが」

「配慮? ……ああ、僕たちがお互いの色をつけていたら、余計な虫がつかないと?」

「そうです。ユーリさまはご自身の美しさにとても疎いですから。皆さま、心配しておられたのですよ」

「僕は誰にでもついていくような男ではないぞ」

 心配は嬉しいものの、どこか納得がいかない。ユーリがムッとした表情を浮かべたら、デイルはクスッと小さく笑うだけだった。

「さあ、参りましょう。彼が困っています」

「――っ、タム、すまない。行こう。あまり待たせるのは忍びない」

「い、いいえ。仲睦まじくてとてもいいと思います」

 随分と年下の少年に気を使わせてしまった。
 恥ずかしさが尾を引き、ユーリは無意味に咳払いをする。しかし目の前の二人は、顔を見合わせて苦笑いするばかりだ。

 少々、時間を取ってしまったものの、タムに軽く村を案内してもらうことにした。
 ユーリたちがいた客人用の家は、村の入り口付近。井戸のある中央広場を抜けてから、山に近い場所にある、長老の屋敷へ向かうそうだ。

 幻の村と大層な呼称で呼ばれていたのは〝シノス村〟というらしい。
 村自体はどこにでもある普通の、ありふれた風景を持つ村だった。

 家々に明かりが灯り、夕餉の香りが漂い、煙突から白い煙がゆらりと立ち上っている。
 地面は土と砂利、井戸の周りは石畳が敷かれていた。

 外の世界と隔てられているのに、時代がひどく遅れている様子もなく、大きく発展しているようでもない。
 見たところ商売をしている店がないので、集落とも言えるだろう。

 タムに日用品はどうしているのかと聞けば、外の村や町へ買い物に行ったり、行商をしたりしているそうだ。
 外と行き来をしているから、村の雰囲気に差異がないのかもしれない。

 ただし、通りすぎる村人は皆、魔力が潤沢とわかる色を持っている。普段、宮殿で魔法使いたちを多く見ているユーリでも驚く光景だ。住んでいる人――数十人が全員、宮廷魔法使いに引けを取らない、魔力持ちなのだ。

 けれど彼らは平凡で素朴な印象。ユーリとデイルの姿を見ると、温かい笑みを浮かべ「ようこそ」と声をかけてくれた。

「この村はシノスさまの加護で護られています」

「シノス――ドラゴンの、名か」

「時間の流れも外と比べるとゆっくりなので、みんな長生きです」

「だとしたら、タムは僕より年上なのだな」

 辺りへ視線を向けつつ話を聞いていたユーリは、タムの言葉を聞いて慌てて振り向いた。
 だが彼は小さく笑って緩く左右に首を振った。

「ふふ、僕は見た目どおりの子供です。大体成人を過ぎた頃くらいから成長がゆっくりになっていくんです。でもみんな、年齢より言葉がしっかりしているようですね。外へ行くとハキハキ喋るので驚かれます」

「確かにタムは言葉が達者だ」

「シノスさまがお寂しくないように、僕たちは長生きなのかもしれません」

「なるほど」

(神獣は神に等しく、計り知れない時間を生きている。寂しくもなるだろうな)

「時折、外に出て伴侶を得て帰ってくる村人もいますし、外から迷い込んでここに居を構える人もいます」

「村人たちはわりと自由なんだな」

 子供や青年ばかりという状況ではないので、外から来た人が村人を見ても、さほど違和感を抱くことはないだろう。そもそも村は滅多に外部の者が立ち入れない場所だ。

(出入りできる者たちはきっと、心根が優しく穏やかな人間なのだろうな)

 皇帝の継承の儀式と通ずるものがある気がした。

「長老さまを含む、三賢者さまはもう随分と長く生きていらっしゃるようです」

「ドラゴンにも詳しいのだろうか」

「はい。そのお話もされたいそうです」

(もしかして、長老という人物は僕たちがここへ来た理由も、すでに知っていたりするのだろうか。ドラゴンによって時が巻き戻されている事実も)

 民家が集まっていた場所からさらに進むと、ひらけた場所に出る。
 屋敷と聞いていたが、確かにほかと比べるべくもない、広い庭を持った建物が建っていた。

 母屋と別棟が数棟。平屋だがどれも建物は大きく、大層立派だ。

「あちらの道を行くとシノスさまを祀ってる神殿があります。そこを抜けて山を登れば、シノスさまがいらっしゃるとか」

 屋敷の後方へと延びる、道を見ていたユーリに気づいたのか、タムは指さしその向こうにあるものを教えてくれる。

 ドラゴンは神殿まで下りてこないけれど、祭壇で山にいる彼と会話ができるらしい。長い時を生きる神獣にとって、村人たちはお喋り相手なのだろう。

「あら、タム。おかえりなさい」

「姉さま、お二人をお連れしました」

 屋敷に入ると、玄関にいた赤色の髪をした女性が振り向き、にこりと笑みを浮かべた。着ている衣服がとても上等な仕立てなので、この屋敷の住人だろう。

 ぱっちりとした茶色い瞳と、優しい面立ちはタムによく似ている。

「ようこそいらっしゃいました。タム、長老さまは応接の間にいらっしゃるわよ」

「わかりました。ご案内してきます」

 こちらへどうぞ――と言うタムに連れられユーリたちは屋敷の奥へ向かう。
 おそらく建物自体は古く、修繕しながら使っているのだろう。それでも板張りの床も、貼られた壁紙も、汚れ一つなく綺麗だった。

 ふとユーリは、時間がゆっくりならば、建物の傷みもゆっくりなのかと、どうでも良い考えを巡らせる。

「そういえば、タムは長老の血筋なのだろうか?」

「そのようですよ」

 ぽつんとユーリが独り言を呟いたら、いままでずっと斜め後ろで控えていた、デイルが応えてくれた。

 思えば彼は迎えからここまで、ユーリの代わりに対応してくれたのだから、村の状況を知っているのだ。おそらくタムとすでに面識があったに違いない。

「デイルは長老殿と、もう顔を合わせたのだよな?」

「はい。数百年、生きてるとは思えぬほど――普通のご老人です。賢人と呼ばれているだけあって、聡明な印象でしたが」

「数百年。それはすごいな」

 人の寿命はせいぜい、六十年か七十年程度だ。
 治療薬が開発され、魔法も発達しているため、未来よりも長生きな人が増えているかもしれないけれど。だとしても数百年は途方もない時間だ。

「おじいさま、お二人をお連れしましたよ」

 デイルと二人会話をしているうちに、目的の部屋に到着したらしい。
 二枚扉の前で立ち止まったタムが軽くノックをし、中へ声をかけていた。

 しばらくすると扉が開き、長身の男性が顔を見せる。

「ゼルアさま、お待たせしました」

「ああ、タムか」

 男性はデイルと同じか、少し年上くらいの見た目だが、おそらく見たままの年齢ではないのだろう。
 タムに視線を向けていた男性――ゼルアは、ユーリたちに気づくと、やや鋭い切れ長な目を向け、軽く腰を折って礼を執る。

「お待ちしておりました」

「僕たちが来るとわかっていたような対応だね」

「こちらへ向かっていらっしゃるのは、鳥が知らせてくれました」

 言葉とともにゼルアは身を引き、入り口傍にあった大きな止まり木で羽を休ませている、白い鳥を手のひらで指し示す。

「なるほど、この鳥は確か言葉を覚えるのだったな。図鑑で見たことがある」

 大人でなければ腕に乗せられないだろう大きさ。長い尾が優美だ。とても賢く言語を覚え、会話もできる個体さえいるらしい。

 鳥はユーリの視線に翼を拡げ、バサバサと揺らすと「ようこそようこそ」と挨拶する。
 つぶらな黒い瞳が愛らしく、ユーリはくすりと笑い「ありがとう」と返した。

「中へどうぞ」

「失礼する」

 ゼルアに進められ室内へ入ってみれば、宮殿の応接間と変わらぬ、華やかに整えられた場所だった。ここへ来るまではわりと質素倹約な雰囲気だったため、意外だ。

 おそらく重要な客人を招く部屋なのだろう。調度品一つ一つが見事である。

「ようこそいらっしゃいました。ユーリル殿下」

 部屋の雰囲気に気を取られていたら、声をかけられる。
 少ししゃがれているけれど、落ち着いた声音。ソファの横に立ちユーリたちを待っていたのは、しゃんと背筋が伸びた思慮深げな老人だ。

 昔はきっと美しい緋色だったのでは、と思えるほど綺麗な薄ピンク色の髪。瞳は皇帝ルカリオよりも鮮やかな緋色をしている。

「私はフェンロットと申します。この村では長老、と呼ばれておりますが。ああ――シノスさまの言うとおり、緋色の魔女さまの面影、どころか生き写しですな。さあ、おかけください」

「……ありがとう」

(緋色の魔女、か。ドラゴンも、シノスも言っていたな)

 勧められるままにユーリは、フェンロットの向かいに腰を下ろす。
 デイルは身内同士の場ではないのでソファの後ろへ控えたが、気づいたフェンロットがユーリの隣へと勧めた。

「デイルさまもおかけください」

「勧めてくださっているんだ、座るといい」

「はい、ではお言葉に甘えて」

 少しばかりデイルが躊躇する様子を見せたので、ユーリもぽんぽんと空いた座面を叩いた。

 三人が席に着くと、部屋に招き入れてくれたゼルアがお茶を淹れ、テーブルにお菓子とともに並べてくれる。そして彼は用が済んだとばかりに部屋を出て行った。

「早速ですまないがフェンロット殿。まず聞きたい。あなたは時戻りをご存じだったか?」

「はい。存じておりました。私は一つ前の未来の記憶が残っております。おそらくシノスさまのご加護ゆえでしょう」

「そうか、ならばドラゴンについて詳しく知りたいのだが」

「もちろんお話しいたします。しかしその前にユーリル殿下は、ご自身について知られたほうが良いかと」

「緋色の魔女、と言うやつか?」

「左様でございます。時は、王国時代――王位争いが熾烈であった頃です」

 フェンロットが話してくれた昔語りにユーリは息を飲んだ。