判断を誤った代償

 ミハエルの結界を打ち壊したデイルの魔力は鞭のように、しなやかに伸び、暗色の剣に絡まる。

 輝きを放つ魔力でできた鞭はどんどんと、ミハエルの魔力を浄化して言っているように見えた。
 ミハエルの持つ剣は姿を崩し始める。

(あの禍々しい剣、嫌な感じがした。なにか改良してこの地の毒を自分の魔力に取り入れているのかも。叔父上ならやりかねない)

 ふわりと空中から現れたデイルが、ユーリを護るように目の前に立つ。
 マントと鮮やかな色をした髪がなびく様子に、ユーリはほっとした心地になった。

「ユーリルの騎士――デイル、ディーか。ははっ、私としたことがとんだ見落としだ。なにもできない、陰気な魔法使いが、こんなに立派になっているなんて想像ができないよ」

 デイルの顔を鋭い眼差しで見ていたミハエルは、額に手を当て急に大笑いをし始める。
 彼の発した言葉を聞き、ユーリは無意識に顔をしかめた。

(ディーは人見知りなだけで、陰気なわけじゃない。僕のディーになんて言い様だ)

「そうか、お前が時を戻していたのか。そして今回はドラゴンとやらの加護を手に入れたのだな。だが、神の創造物であるドラゴンは、無償で願いを聞かないだろう。ユーリル、いまの君はなにかを成し遂げなければいけない。できなければ大切なものを――失うんじゃないか?」

「叔父上の甘言には乗らない。僕は、僕の手で」

「私なら君の願いを全部叶えてあげられるよ。各地の浄化も、この場所の浄化も、私は一瞬だ。ああ、未来を変えたい? 家族で仲良く暮らせる未来がいいのかな?」

 心の内を見透かすような言葉。

 向こうはユーリなどより遙かに経験値が多い。未来での経験、そしていまの世でさらに積み重ねているものがある。

 思えばミハエルは嘘や冗談を言わない。すべて叶えるだけの切り札を持っている。

(そうだ。未来もこれまでも、誰も彼を疑わないのは嘘をつかないからだ)

 ミハエルの言葉が巧みな証拠でもある。嘘ではないけれど、自身の有利な立ち位置へ持ち込める話術を持ち合わせていた。

(未来でも帝国だけでなく、他国の人間も皆、叔父上に信頼を置いていた。彼ほど正直者はいないと。僕は逆に胡散臭くないだろうかと思っていたけれど)

 普段から嘘をつかない人間に、甘い言葉で誘われれば、うっかりと地獄の底へ――足を踏み出してしまうものなのかもしれない。

「ユーリさま、早まった行動はなさらないでくださいね」

「……わかってる。僕は今世ではデイル、あなたを一番に優先すると決めている」

「あまりわかっていないようですが」

 振り返らぬまま声をかけてきたデイルが小さく息をついた。
 なぜ呆れられるのかと疑問に思いかけ、ユーリはようやく気づく。

(デイルのためならどんなことでもする、って言う意味になるな)

 自分も同じ考えのくせに、と言い返してやりたいところだが、いまは暢気にそんなやり取りをしている場合ではない。

 一瞬の間に、デイルの片手で抱えられ、場所を移動していた。
 先ほどまでいた場所に、魔力でできた矢が数本刺さっている。役目を終えたそれはサラサラと粒子になり、空に溶け、消えていく。

(魔力を物質化できるほど、器用に扱えるのはデイルくらいだと思っていたけど。さすが叔父上だな)

「ユーリル、その男のお荷物になるのは嫌だろう? 私の傍へおいで」

「ぐっ、確かに僕は二人ほど剣も魔法も秀でていないが、それはできない。デイルが悲しむ真似はできない」

「そうか」

 ユーリが誘いを真っ向から断ると、なぜだかミハエルは納得したような相づちを打つ。
 訝しく思ったユーリが、隣に立つデイルの様子を確かめようとした瞬間、ユーリへとまっすぐ魔力の槍が飛んできた。

 驚き固まるユーリとは違い、冷静にデイルは腰に下げた剣を引き抜き、槍をはじき飛ばす。
 瞬時に魔力の剣よりも、剣に魔力をまとわせたほうが良いと判断したのだ。

 しかし次々と攻撃が放たれる。すべてユーリに向かって――

(手に入らないなら壊してしまえっていう意味か?)

 防戦一方になるデイルへ、ユーリも補助魔法で助力するけれど、ミハエルの攻撃は衰えるどころか威力を増すばかりだった。

 途方もない魔力を使っているはずなのに、穏やかな――胡散臭い――笑みを浮かべて、顔色さえも変わらない。

「周囲の魔力を自力へ変換する魔法陣を展開しています」

「そんなことが可能なのかっ?」

「この場所の、せいです」

 途切れる様子のない攻撃が続き、デイルが苦々しい顔で舌打ちをする。
 だが彼の珍しい仕草に、驚くよりも前に、ユーリは彼の言葉の意味を悟った。

 いまいる墓所の土はユーリアの意志が宿った魔力を帯びている。だからこそ各所にある土は、毒が拡がらないよう周囲の魔力を吸収し、蓄えて補っていた。

 希少種が多かったのも、やって来る者たちに対する撒き餌ではなく、効能を浄化の助力としていたのだ。

「毒が応用できたら、魔力も応用できる、か。本当に無駄に頭が良くて厄介な人だ」

 毒を抑え、なおかつ花が咲き乱れる墓所、全体が魔力溜まりになっている。
 ミハエルは土地から魔力を吸い上げているのだ。

 魔力欠乏が起こり、土が赤くなった現象をミハエルが利用していた、とわかったけれど、デイルが不利だと状況の理解ができただけだ。

「すぐに真似できるような陣ではないです。すみません」

「デイルが謝ることじゃないだろう! あっちは年の功によるものだ!」

 いくらデイルが天才でも、この状況下で読み取ってすぐさま展開させるのは難しい。
 というよりどういった魔法陣を発動しているのか、わかっている時点ですごいのだと褒めてやりたいけれど、やはりそれどころではない。

 無尽蔵な魔力を確保しているミハエルと、延々とやり合うのはこちらが圧倒的不利だ。

「デイル、来るのか?」

「来ます。ただもう少し時間稼ぎは必要かと」

 ユーリが端的に質問すると吉報と状況の悪さが同時に知れる。

「ふぅん。帝国の天才魔法使いの名は、伊達ではないのだね。君がいまの魔法文化を促進させたのは知っている。だけれどね、私も無駄にやり直しているわけではないんだ」

 こちらは必死になっているのに、ミハエルはのんびりティータイムをしているみたいな、リラックスした様子だった。

 優雅さを見せるのに反して、攻撃は上空から矢が降り注いだり、隆起した地面が刃のように襲いかかってきたり、ユーリたちは休む暇もない。

 気づけば、デイルの空けた結界の穴さえ修復されている。

「デイル、僕はいったん引いたほうがいいか?」

「駄目です! 私から離れてはいけません!」

「でも――っ」

 ユーリは自身を庇いながらでは、デイルが本領を発揮できないのではないか、と思ったけれど彼に一喝された。

 そんなやり取りを見ていたミハエルが初めて表情を変える。
 ニィっと口の端を持ち上げて、美しくも恐ろしい笑みを浮かべた。――途端。

 ほんのわずかな隙をつかれ、ユーリは足元から這ってきた魔力の蔓に足を取られる。
 ぐんと足首を引っ張られ、ひっくり返るユーリの体。

 とっさにデイルへ手を伸ばせば、彼の背後で地面が身の丈を超えるほど隆起し、鋭利な槍へと姿を変える。

「ディーっ!」

 目の前で愛おしい人を二度も、為す術もなく失ったデイルは、どれほどの絶望を感じたのか。考えたユーリは想像だけでも恐ろしかった。

 だが恐ろしいなどというのは生ぬるい。

 いま目の前で心臓を背後から貫かれた彼の姿を見て、発狂しそうなほどの喪失感を覚え、喉が切れそうなほどの叫び声を上げた。

「……ディー、ディーっ! 嫌だ、いやだ」

 足首を拘束されたままでは、地面を這いずってもユーリは彼に近づけない。
 うつ伏せで倒れたデイルはピクリとも動かない。

 地面を引っ掻くユーリの爪は欠け、剥がれ落ちそうになる。

「ユーリル、君は彼がいると彼を優先してしまうんだろう? だったらいなくなればいい。簡単な話だ」

 ゆっくりと近づいてきたミハエルがユーリを見下ろし、慈愛を含んだような優しい笑みを浮かべた。まるで慈悲を与えたと言わんばかりの表情だ。

「――さない。許さない、許さないっ! あなたの魂を粉々にしても足りない」

「君はそんな表情もできたんだね。怒りに染まった顔も綺麗だよ」

「僕から――『わたしからディーを奪う人は許さない!』」

「ああ、美しい色だ」

 ユーリは自分の感情に重なる、もう一つの感情を感じ取ったが、抵抗することなく身を任せた。
 己とまったく同じ、怒りの感情を抱くのは魂に残る〝ユーリア〟の心だからだ。

 気づいたミハエルは瞳を輝かせて喜色を浮かべる。
 自身から溢れた魔力の圧で、なびいたユーリの髪は鮮やかな緋色だった。

「これが君の本当の色なんだね」

「近寄るな!」

 夢見心地といった風情のミハエルが足を一歩踏み出せば、威嚇するようにユーリは魔力の火花を散らす。それと同時に、足首にまとわりついていた蔦もはじけ飛んだ。

 ミハエルは暢気に目を瞬かせ驚いているが、ユーリはすぐさまデイルに駆け寄る。

「ディー、ディーっ、いま傷を塞ぐから」

 デイルの傍へユーリが駆け寄ると、地面に血が染み込み始めていた。瀕死でありながら血溜まりになっていないのは、まだ貫通した槍が刺さったままだからだろう。
 いつミハエルが魔法を解いてしまうかわからない。

 ユーリは慎重に土と岩で成形された槍を分解して、デイルの傷を塞いでいく。
 元々ユーリは回復魔法に秀でていなかったが、おそらくユーリアに知識がある。

 とは言ってもデイルの心臓は止まっている可能性が高い。
 血の気のない真っ白な彼の顔を見たユーリの瞳からは、ボロボロと涙がこぼれてきた。