初候*雀始巣(すずめはじめてすくう)

 目が覚めた時、なにやら賑やかな子供の歌声が聞こえてきた。それに気づいて寝床から起き上がった暁治は自室の障子を開いて縁側に出た。ガラス戸の向こうに見えたのは、家の広い庭。
 目の前には種植えを終えた花壇と、最近見慣れたご近所さんの似ていない自称兄妹の姿が見える。ここから奥、アトリエ近くで縁側に並んで座り、なにやら二人とも楽しそうにしている。けれど先ほど聞こえた子供の声はもっとたくさんあったような気がした。

 しかしどう見てもそこにいるのは二人だけだ。寝起きでぼけたかなと気恥ずかしさを覚えながら暁治は頭を掻いた。

 昼時から兄である朱嶺がいると言うことは今日は休日か、と休み続きで感覚の狂った曜日を思い返す。カレンダーを見ると金曜日だったが、春分の日で祝日だった。そう言えば今日はゴミの日だったのではなかったか、そんなことを思って台所へ行けば、くずかごの袋は新しい物に取り替えられている。

「単なるただ飯食らいじゃなかったんだな」

 込み上がってきたあくびを噛みしめながら居間の時計を見れば十一時を過ぎたところだ。夜遅くまでアトリエでキャンバスに向かっていたとは言えかなりの寝坊だ。昨日はなかなか思うようなものが描けなくて粘ってしまった。
 相変わらず暁治の感覚は鈍く濁ったままで、なかなかこれと言ったものにたどり着かない。梅の花――あれがここ最近では一番の出来ではないだろうか。しかし売り物になる代物ではないが。

「お前たち、ご飯は食べたのか?」

 縁側を歩いて二人の傍まで行くと兄妹は揃って振り返る。そしてそれと同時にチュチュチュンっと雀が一斉に飛び立った。

「はる、おはよー!」

「雀に餌をやっていたのか? なにをやってたんだ、って生米じゃないか」

 にぱっと明るい笑みを浮かべた兄と、ふんわりと笑った妹の手には精米した米が握られている。地面にはその食べかすがあちこちに。雀は雑食らしいが生米など消化できるのかと思わず首を傾げてしまう。
 けれどそんな暁治の考えが読めたのか、縁側に腰かけていた朱嶺がぱっと手の米を蒔いて立ち上がる。そして人差し指を立てて得意気に語る。

「雀は稲が好きだから生米も食べられるんだよ。大きな粒でも消化できなかったらちゃんと身体の外に排出されるし」

「ふぅん、でも餌をやったら居着いてしまうだろう」

「雀は幸福の鳥だから平気さ。風水鳥とも言われて家に居着くと幸運が舞い込むんだ。鳳凰の雛なんて言われたりもする。家内安全、一族繁栄、富を呼ぶとも言うよ」

「雀がねぇ」

 都会では街中でチュンチュンと飛び交っているだけの小さな鳥だ。道で見かけても普段は注視することもない。そんな鳥が幸運の鳥――しかし田舎で見るとそれも可愛らしく健気に映るものだ。
 庭の木の枝でこちらを窺っている姿を思わず見つめてしまう。

「そろそろ巣作りの季節だから、軒下にそのうち巣ができるかもね」

「まあ、家の中が汚れるわけでもないだろうからいいけど。ふん避けを付けておけよ」

「えー、僕が? んー、まあ、そのくらいはいいか。はあぁ、それよりもお腹空いたよー! はるったら全然起きてこないんだもん。僕たち朝は寂しく食パンを囓ったんだから」

「食パンを食ったなら十分だろう。別にパンの耳しかなかったわけじゃあるまいし」

「えー! 桃ちゃんもお腹空いたよね?」

「うっ、お前、それ狡いぞ」

 米を庭に蒔いた二人は仲良く手を繋いで居間へと移動する。そして綺麗な二つの顔を見合わせてからもの言いたげに暁治を見上げた。その視線にぐぬぬと唸ると桃が小さく首を傾げる。
 図々しく生意気な朱嶺が腹を空かせていてもなんとも思わないが、さすがに小さな子供が腹を空かせているとなると黙ってはいられない。見透かされている、それがわかっていても台所へ向かわざるを得ないのだ。

「とりあえずちゃんと手を洗えよ」

「はーい! 桃ちゃん、あっちで洗おう」

 台所から繋がる洗面所へ向かった二人の背中に暁治は大きく息をつく。さて、なにを作ろうかと悩むがもう昼も間近、簡単に作れるものが良いだろうと思った。しばしその場で考えて、そう言えばと冷蔵庫を覗く。
 あさりの酒蒸しが食べたいと思い、買って砂抜きしておいたものがある。パスタを茹でてあさりの味噌風味にすることに決めた。具材はシンプルにタマネギと小葱だけ。

「バターをちょっと入れるとコクが出て旨いんだよなぁ」

 教わったレシピは醤油と味噌だけだったが、ほんの少しだけバターを落とすのが暁治風だ。わりとどんなものにでもバターを落とすと旨くなると思っているが、美味いのだから仕方ない。

 ちらりと暁治が居間を振り返れば、こたつで二人は仲良くおはじきをしている。今時の子にしては珍しい遊びだ。このくらいの年の子たちならゲーム機などを持っていてもおかしくないと思うが、親があまりそういうのに寛容ではないのだろうか。
 わりと着ているものも古風だし、洋装はまだ一度も見たことがない。古い家の子供なのかと首を傾げたくなる。

「ほら、できたぞ。テーブルの上を片付けろ」

「ごっはん、ごっはんっ」

「ほら、桃のは貝殻を取ったから、もしジャリッとしたらぺってしろ」

 大皿を二枚と小さめの深皿を一枚。両手を挙げて喜び踊る兄に比べて妹は控えめだ。可愛らしくはにかんで両手を合わせる。そしてお祈りするように目を閉じて、しばらくしてから箸を掴んだ。

「桃は箸でいいのか? フォークを使っていいんだぞ」

 箸の隣にフォークも用意していたがこくこくと頷く彼女は器用に箸を使ってパスタをすくい上げる。それがちゅるりと小さな口に吸い込まれていくと、片手を頬に当ててほわりと笑みを浮かべた。
 こういう仕草は兄と似ている気がする。

「よしよし、美味かったんだな」

「んー! 美味しい! はるが料理上手で良かったぁ」

「お前、もしかして作れないのか?」

「え? まあ、作れるけど。んー、家では僕、一番下っ端で雑用係だから、たまには楽をしたいよね。あ、桃ちゃんはお姫様ね」

 口いっぱいに頬ばって至極幸せそうな顔をしている朱嶺はあっという間に皿を空にすると、おかわりないの? なんて首を傾げてくる。この細っこい身体のどこにそんなに入るのかといつも不思議でならない。

「ああ、雀、また集まってきたね」

「もう生米はやるなよ」

「えー、ケチだなぁ」

 和やかに昼飯を食べているとまた庭が少し騒がしくなってきた。チュンチュンと鳴き声が響きパタパタと羽音も響く。
 そう言えば昔からこの鳴き声も羽音もよく聞いていたような気がした。そんなことを思いながら暁治は皿に視線を戻す。

「……今度、ちゃんと鳥用の餌を買ってきてやるから」

「わぁ、はるってばおっとこまえぇ」

「調子いいやつ」

 昔懐かしい思い出がまた一つ。祖父と並んで雀を見ていたのはいつの頃だっただろう。ふっと口の端が持ち上がり、古いぼけた思い出に暁治は目を細めた。